じゅん、大丈夫
帰り道。
大通り沿いの大きなスーパーのすぐ近くにはバス停があって、下校の時間にはたくさんの人がそこでバスを待っている。買い物帰りの人や、僕と同じ学生、仕事着らしき人。ほとんどの人が座れずにバス停を囲むように立ち、スマホを触ったり、喋ったり。
いつもは避けて進むのけれど、ぶつかる直前で気づいて立ち止まる。
うつむいて歩いていたみたいだ。
下を向いたまま、人の足を頼りに進路を変えようとしたとき、ふと、バス停の時刻表の根元の、丸まった何かに気がついた。
体育座りした、まだ幼い子ども。膝に顔を埋めている。
思わず顔を上げて辺りを見回すけど、誰も気に留めた様子がない。まるで僕しか気づいてないんじゃないかと錯覚する。
「あの子、どうしたのかな?」
近くの中学校の指定ジャージ姿の女子二人が、気遣わしげに話している声が聞こえた。
当たり前だけど、見えてるのが僕だけということではなさそうなことにホッとする。話しかけようかとそわそわしていた二人だけど、すぐにバスが到着し、乗って行ってしまった。
それからは、バスを待つ人々は視線を向けながらも声を掛けることはしなかった。迷子だったとしても、何か別の理由だったとしても、係わるほどの時間はないのだろう。僕も普段なら、気づかずに素通りしたかもしれない。
でも気づいたのだから、そのままというわけにはいかないよね。
うつむいている同士、これも何かの巡り合わせかなとも思えた。その子の前にしゃがみ、声を掛ける。
「キミ、どうしたの?」
「……」
返事はないけれど、驚いたのか手に力が入る。
短く刈り上げた黒髪に、青が基調のコーディネート。顔はまだ見えないけど、男の子かなと思う。何歳かまでは分からないけど、すごく幼く見え、不安なのは想像ができた。
キョロキョロと親らしき人が居ないか確認するけど、探している様子の人はいない。こちらを気にする人たち何人かと目が合うけど、知っていそうな人もいない。
「お母さんか、お父さんとはぐれたの?」
「……」
もう一度声を掛ける。
声は出さなかったけど、今度は顔を上げてくれた。男の子。泣いて目が真っ赤だ。
「……ママ」
なんとか絞り出した声はガラガラで、沢山泣いたんだと分かる。
「ワガママいったから、じゅんくんおいてかえっちゃった」
「えっ?」
じゅんと言った子の言葉に、僕の心臓が跳ねあがる。
置いて帰った? バスに乗って?
「バスで来たの? お母さんが乗って帰るところ、見た?」
動揺しながらも、確かめるために聞き返す。じゅんが首を横に振る仕草にホッとするも、一人で不安なことには変わりない。ワガママと言ったから、多分スーパーで買い物をしていたんじゃないかを予想はできた。
でも僕が一緒に捜そうと声をかけても、もうどうしていいか分からなくなってしまっているのか、縮こまったまま動こうとはしない。
しゃがんでいる僕たちの横をバスの到着と共に人が流れていく。
心配そうな表情を向けながらもバス乗る人に、僕がなんとかしなければと、気持ちが引き締まる。
じゅん。
この子の名前が分かったから、安心させてあげられるかも知れない。言葉を伝えれば、できるはずだ。見られないように、気をつければいい。
「じゅんくん、大丈夫だよ」
僕の手ぶくろ。人差し指の爪にあたる部分には生地と同じ橙色のボタンがあって、外すとゆびが少しだけ顔を出すように作ってある。
小ふで。
安直だけど、この状態をそう呼んでいる。
兄は、葉をむいたとうもろこしみたいだと言っていた。
伝える色。安心できるような色って何色だろう?
そう考えたときに、スーパーの自動ドアが開き、甘い香りが届いた。
その香りに僕の意識が引っ張られて、ふでに色が宿る。キャラメルのような薄茶色。
ちょっとした食いしんぼうな状況に恥ずかしくなるけど、この子も好きかも知れないからそのまま書くことにした。幸い、色もそこまで目立たない。
──じゅん、だいじょうぶ。
周りから見えないように更にじゅんに近づいて、ぎゅっと握ったままの小さな手の甲に直接書く。伝わりやすいかもしれないから、ひらがな。
キャラメル色の文字は、一文字書き終わると溶けて消えた。
顔を上げないかどきどきしたけど、大丈夫だった。
小ふでは目立たないけど、問題がある。
一つは、直接書かないと上手く使えないこと。
もう一つは、使い終わった後に飾りを戻すのが難しいこと。……右利きだから。
今回もすぐには戻せないから、拳を握り隠す。
「大丈夫だよ。きっとキミを捜してる。スーパーに買い物に来たんじゃないの? 僕がお店の人に聞いてみるから、行ってみよう?」
「……」
「大丈夫だよ。ね?」
「……ん」
顔を上げた瞳はまだ潤んでいたけど、じゅんはしっかりと頷いた。
なんとか、僕と母親を捜す勇気を出してくれたみたいだ。
「おにいちゃんの手、なんだかくすぐったいね」
手を繋ごうと右手にしがみついてきたじゅんの言葉に僕は驚き、そう? とだけ、なんとか返事した。
声が裏返りそうになったのがおかしかったのか、彼は変なのと、笑みをこぼす。その変化に僕は安堵した。
「てぶくろがやぶれてるんじゃない? あたらしくかえばいいんだよ」
「あはは、コレは作ってもらったんだ」
「そうなんだ、だいじなんだね」
「とっても。だから直してもらうよ。じゅんくんも洋服カッコイイから、お買い物を楽しみにして来たんじゃない? ワガママって言ってたから、見つけたら一緒にごめんなさいしようね?」
「……うん」
そう話しながらスーパーに入ると、さっきの良い香りが広がっていた。夕暮れの時間で店内は混雑していたけれど、イベントスペース出ている人形焼の屋台が香りの源だとすぐに分かった。お土産に買おうという人の列ができている。
その列に並ぶでもなく、屋台の前に女の人が一人落ち着きなく立っていた。
「……じゅんくん、ちょっと持ち上げるよ?」
「どうして?」
「あの屋台のところ、お母さんじゃない?」
なんとなく予感がしていた。返事を待たずに、脇の下から手を入れて持ち上げる。
見えるか問いかけると、ジッと屋台の方を見つめたじゅんくんから、母親を呼ぶ叫び声が上がった。
その声は、大きいのはもちろん、もう泣きじゃくってガラガラになった後の喉だから、ひっくり返って大変な声音になり、ものすごい注目を浴びたのは言うまでもなく……。
僕は恥ずかしさと、そのままになっている手ぶくろの状態を考えずに抱き上げたことを後悔し、びっくりして落とさなかったことに深くため息を吐く。
屋台の前の女性はやっぱりお母さんで、無事に再会して抱きしめてもらったじゅんを見て、僕はホッと胸を撫でおろした。
その後ひたすらに謝ってくる母親に、ワガママを言ったと反省してましたと伝え、僕たちも約束どおり二人で謝る。
その様子を見ていた屋台のオジサンが、試食だと言って人形焼を小袋に入れてくれたから、
「じゅんた、お礼をいいましょう」
と、母親はますます恐縮していた。
「じゅんた? じゅんじゃなくて?」
「みんなじゅんくんっていうから、おにいちゃんまちがってないよ。だいじょうぶ、あんしんして」
すっかり笑顔を取り戻して、僕にそうフォローするところが何だか可笑しくて、それは安心だねとおどけて返し、またねと告げて僕は帰路に戻った。
「大丈夫……、ね」
人通りの少なくなったところで、僕は手ぶくろを外してボタンを付け直した。
なんとなく、考えたことが口に出る。
うつむいていた帰り道、うつむいている場合じゃなくなって。
大丈夫じゃなかった僕の、大丈夫という言葉はあの子にまっすぐ伝わってくれたのだろうか。運良く、母親がすぐに見つかってくれたから良かっただけかも知れない。
――だいじょうぶ、あんしんして。
じゅんたの嬉しそうな笑顔が思い出された。
重なるように、灯の笑顔も、すぐに思い浮かべることができた。
もらった人形焼きを一つ口に入れると、優しい甘さが広がり、香りが鼻から抜ける。夕日は沈んで、夜になろうとしていた。
寂しくないとはまだ思えないけれど、僕はもう、うつむいていない。
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