track #35 - Both Sides Now②

「待って。探したんだよ……」

そう言って小野瀬は舞台から降りて楽屋に戻ろうとするアタシに声をかけたが、アタシは歩き続けた。

「ねぇ、アイちゃん、話したいんだ」

アタシの後ろからついて来る彼は続けた。

ウエイターやウエトレス達が所狭しとお客の注文したものを運んでいて、それをかわしながら黙々と歩いた。

楽屋や調理場に続く扉を開けて振り返り小野瀬を見て

「アタシは話すことないよ」

と、言って扉を閉めて彼を遮断した。

 あれ以来彼とは連絡をとっていない、会ってもいない。アタシと彼には何も起きないと諦めながらも、多少の期待はあった。いつか連絡がくるかもしれないと思っていた。だけど待っても連絡はなく、彼を思っても意味がないと悟って、いつの日か彼のことを忘れた。

恨んでいるわけではないが、今更彼と話したいとは思えなかった。話したところでアタシはニューヨークに住んでいて、彼は日本であいかわらずスターをしている。なにも起きるわけがないし、また期待して、期待通りにならなくて、落ち込みたくはなかった。

何よりも、さっき5年ぶりに彼と目が合った瞬間にまた期待を抱いてしまいそうな自分が怖かった。

 楽屋で帰るために荷物を整理しているとウエイトレスが来て紙ナプキンを差し出した。

小野瀬からのメッセージで、宿泊しているホテル名と電話番号と明後日には東京に戻ると書かれていた。ウエイトレスの彼女はヒラヒラと100ドル札をアタシに見せて彼と会うようにと念をおした。彼から多大なチップを受け取って伝言役を全うした彼女がおかしくて、アタシは笑顔で返事をしたがメッセージの書かれたナプキンをゴミ箱に放って楽屋を後にした。


 店の裏口を開けるとシトシトと雨が降り出していた。まだ傘をさすほどではなく、フーディーをかぶって裏路地を歩き出すと、薄明りの軒下で雨宿りをしている小野瀬と目が合った。さすがに横を通り過ぎるわけにはいかず彼の方へと歩み寄った。

「急に振ってきちゃって……」

と、彼は笑顔で言った。少し前からここにいたようで肩まで長くなった髪が水分を含んでうねっていた。

「100ドルもあげすぎだよ」

アタシが呆れたふうに言うと

「おかげで裏口おしえてくれたから」

と、彼はキレイな二重の目を細めて微笑んだ。

 裏路地から賑やかな通りに出て先ほどまでいたバーの隣のコーヒーショップに入り、狭い店内の小さな2人掛けのテーブルに座った。雨宿りで目的でその他に理由はない。

「髪、すごいのびたね」

「あぁ、うん、今期やってたドラマの役でね。伸ばしてみたらいがいといいかなって」

「似合ってるよ」

「そ? 次の予定ないからこのままのばそうかなぁ」

5年前、手を繋ぎながら一緒に日の出を見た時は一気に距離が縮まったアタシ達だが、今はまた距離ができているようでぎこちなかった。何ともない会話を少ししては沈黙が訪れて、コーヒを啜り、またどちらかがたわいもない話題を出してはそれはまた途切れた。

スマホの天気アプリで今夜の空模様を調べると間もなく雨は止みそうで

「もうそろそろ止みそうだよ、ホテル戻り方わかる?」

「うん、タクシー乗るし……」

「そっか。じゃ、これ飲み終わったら帰ろ?」

コーヒーは2杯目で1時間くらい途切れ途切れの何でもない話をしたのでアタシはそう言った。

彼はうなずいて、コーヒーを飲み干した。

コーヒーショップから出るとまだ雨粒は落ちてきていたがそれほどでもなく、歩道の際まで行ってタクシーが通るのを待った。

「Uber呼ぼうか? アタシが運転手に説明するし」

タクシーがなかなか捕まらなかったので、目線を少し上げて背の高い彼を見て聞くと

「いや、ちょっと待って」

と、神妙な顔つきに変わった。

「オレ、Uberウーバーとか髪のびたねとか、そんな話しにきたんじゃねぇんだよ」

彼が突然我を忘れたかのように乱暴に言ったのでアタシは驚いた。

そしてなぜニューヨークまで来たのかやっと確信にふれる話を、小雨の降る中歩道に立ったまま始めた。

 5年前、自分の立場をもっとちゃんと説明すべきだったし、何もできなかったことを不甲斐なく感じて5年間ずっと自分を責めていたという。だけど、忙しさと仕事に対する責任で現状を打破する術もなく、アタシに連絡する勇気もなかったと打ち明けた。それでドラマの撮影が終わってまとまった休みが取れることになって、直接アタシに謝りたいと思ってニューヨークまで来たのだった。

「ここに来るまで5年もかかっちゃった……ごめん、本当に。情けない男で」

彼は少し笑顔で、でもとても悲しそうに言った。

情けなくなどない、ただスターという役割を全うしているだけなのだ。彼の境遇を理解はしている。アタシが歌うことを辞められても結局MEGANミーガンのようなシンガーに曲を提供し続けているように、彼もスターを続けているだけだ。求められているしそれが天性のモノだから。

「謝らなくていいよ、怒ってもないし。事情わかるし。仕方なかったんだって思ってるよ、今では」

「でも、音楽辞めちゃったし……オレのせいかなって……」

「それは……ちょっと自信過剰じゃん?! 他にもいっぱい、いろんなことにうんざりしてたんだ」

アタシが冗談ぽく返答すると彼は「そっか……」とつぶやいた。

 それからUberウーバーを呼んで車が来るまでの間、彼がどのようにアタシを探し出したかを聞いた。EMPIREエンパイアのルカのオフィスにまでわざわざ足を運んだのに彼女は口を割らなかったそうだ。

それで望みは薄いがクラブまで行ってアタシと仲が良かったラッパーやDJに聞いてまわったという。口を割ったのはルミだった。先ほどのウエイトレスではないが、彼女ならこんなハンサムに切々と事情を説明されて居場所を知りたいと訴えられたら断れないだろうと納得できておかしかった。

「クラブなんか行ったら、目立って仕方なかったでしょ」

アタシがその経緯を聞いておもしろがると

「オレ、クラブ行ったことなかったからさぁ、経験のひとつになったよ」

と、笑っていた。

「ラッパーの役やってなかった? ケイと仲いいよねぇ?」

「そうそう、でも行ったことないよ。ケイクンと飲み行ったりするけど」

「ケイにアタシの居場所聞けばよかったじゃん」

「何度聞いても教えてくれなかったんだよ」

ケイはルミとは違ってアタシと小野瀬のよくわからない関係に巻き込まれのも面倒で黙っていたのだろう。それに姿の見えない世間からのバッシングの嵐にさらされていた当時のアタシを覚えていて、また同じことが起きてしまうのではないかと危惧したのだろう。現在ひっそりとニューヨークで暮らしているアタシへの思いやりだったのだと思った。

たわいもない話が続いたが、先ほどよりアタシ達の距離は近くなった気がした。

車が到着して小野瀬が乗りこむ前に言った。

「明日、会える? アイちゃんのおすすめのトコ連れてってくれるって約束、まだじゃん?」

そういえばそんな約束をしてたような気がする。どこへ連れて行く気だったかのかも忘れたし、ここはニューヨークで事情も変わった。それだけ時間がたっている。

「観光案内なら付き合うよ」

アタシは意味深になりすぎないようにそう答えた。

「じゃぁニューヨーカーの行くようなトコ連れてって」

彼はいつかのアタシのようなリクエストをして、ニヤリと笑って車に乗った。

車を見送りながら、かわいくない返答をしたのは自分を守るためだと気がついた。明後日にはいなくなってしまう人に心を奪われないようにするための防御だ。

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