track #35 - Both Sides Now①
日本にはママに会いに年に1、2度行っている。
そのときに、まだしっかりと活動を続けているルミやマサト、ケイにも会う。ジョージは拠点を大阪に戻した。会うことはなくなってしまったが、バトルで活躍している様子を見聞きし、最近テレビにも出たりしているし、仲間のYouTubeチャンネルに出演したりもしているので、元気でラッパーを続けているのは知っていた。日本で1番かっこいいラッパーだというリスペクトは今でも変わらない。
アタシは運動と気分転換を兼ねて、自宅から自転車でブルックリンブリッジを渡りセントラルパークまで行く。秋のパークは木々が色づいていてとてもキレイだ。自転車を止めて、途中で買ったベーグルとコーヒーをバッグから取り出して、ベンチに座って短い秋の景色を楽しみながらそれを食べた。
のんびりとランチをしているアタシのスマホが震え、ディスプレイを見るとルカで、年に数回しか会えないので仕事の話は主にこのように電話やメッセージがくる。
新しいオファーが来たので、確認したいという内容だった。
『でも、断っていいよ、断るよね』
と、ルカはオファーの内容に戸惑っているようで
「誰なの?」
アタシが聞き返すと出された名前はサオリだった。
『あそこも切羽詰まってるんだよ、
ルカの言う通りサオリ側の魂胆は予想がついた。
かつて世間が勝手に競わせていたアタシとサオリが手を組んだとなれば面白い展開で話題になる。ひっそりと音楽活動しているアタシはその話題作りに利用されるのは御免だった。そもそもアタシとサオリに共通点はない。ただ同じ時期に音楽活動していた同じ年の女の子という点だけだ。音楽性も違うし、そのオファーは断った。
ルカからの電話を切って秋の空を見上げながら、サオリへの同情心にも気がついた。女の子達の憧れだったメディアに登場するサオリとは違って、本当の彼女は決して褒められたような姿勢ではない。同業者、とりわけ自分より売れていないミュージシャンや裏方のスタッフには横柄な態度をとることで知られている。天下を取ってテングになってしまった彼女を誰も修正できずにいた。
それを今更ながら暴露されたりしている。落ち目になっている彼女を更に突き落とすように。しっぺ返しを今くらっているかのように、誰も崖から落ちかけている彼女に手を差し出そうとはしなかった。
今更ではなく、なぜあの時彼女に助言してあげなかったのかと、それはそれでフェアじゃない気もする。
それと、なぜか日本では年の若い女性を需要する。若さだけに価値を見出していることが多い。ある程度の年齢にくると姿を消す。ちょうど結婚したり出産したりと人生の転換期と重なったりもするから、本人らも業界から去ることもヨシとしているのだろう。実力があって運もよければ“ママタレ”としてカムバックができる。シンガーやミュージシャンはその過渡期を上手く乗り越えるのがむずかしい。
サオリは今その過渡期にあって悪戦苦闘していてアタシにまで連絡をよこしたのだろう。5年前、アタシに『サオリちゃんみたいになりたくない』とまで言われたのにだ。
このまま彼女が落ちぶれていけばいいとは思わない。あれだけの人気とカリスマがあったのだから、過去を改めて、復調して、新しいシンガー像を世間に提示して欲しいと思っている。年を重ねても女性達のカリスマで憧れであって欲しいと願っている。そういうミュージシャンがいてもいいじゃないかと心底思う。
サオリの自業自得だと切って捨てることもできるが、彼女の境遇にも同情の余地はあった。
だけどサオリのチカラになりたいとはやはり思えないアタシは、まだ未熟なのだろうか。
その夜アタシはマンハッタンのいつものバーで出番があった。
世界屈指の観光地マンハッタンの中心・ブロードウェイからすぐの店なので観光客も来るし、古くからあるバーなので地元の人も多い。
店に入ると2人掛けのソファーが向き合ったテーブル席が並んでいて、その間を進むとカウンターがある。バーカウターの横、店の左隅にグランドピアノが鎮座する1段だけ上がる小さなステージがある。日によって本格的なジャズバンドが入る日もあれば、ピアノ演奏だけの日もある。
20時頃をアタシはアコースティックギターと金魚鉢のような丸いガラスの器を持ってステージに上がる。その日の客層を見ながら、ピアノかギターを使ってヒットソングを歌う。
アタシの
通りすがりにピアノの上に乗ったガラスの器にチップを入れてくれる。時間がたつにつれてそれが増えていく。
今夜は何曲かやった後に
店内が熱を帯びすぎたので、最後に
次はピアニストが控えているので、早くアタシはその場を去らなくてはならない。ギターを肩から外すと妙齢の女性が近づいてきて、ジョニ ミッチェルのファンでとても楽しかったと言ってチップを入れてくれた。
いそいそと歌詞カードの入ったファイルなどを片付けている間に次々とチップを入れにお客が行き来していた。自分の荷物を全部抱えて、最後にチップの入ったガラスの器を取ろうとすると1人の黒い長髪の男性が、ちょうどお札を入れているところだった。彼がアタシの方を見た。目が合うと一瞬時が止まったような不思議な感覚がした。
「ひさしぶり」
と、声を発したその男性は
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