track #17 - Salvator Mundi

 EMPIREエンパイアと契約したのは冬だった。契約と同時に1stファーストアルバムを制作するためのレコーディングを始めた。新人のアタシに自分のペースでじっくりと作業する時間も予算も与えてはもらえない。しかし自由度は確保してくれていてプロデューサーにTASK FORCEタスクフォースのDJ JIROジローを指名した。彼と相談してもともとあった曲のいくつかを撮り直し、新曲にも取り組んだ。年明けにシングルを出してデビューしたが結局ヒットはせずに落胆したもののアルバム制作を続けなくてはならない。

 デビュー曲をポップなラブソングにしようと決めたのは自分だった。誰もが聴きやすく歌いやすい、音にも詩にもとがったもののない誰にでも受け入れやすい曲だと作っている段階から意識していた。ヒットしなかったという結果を踏まえると、このアタシの考えは適切ではなかったのだ。

 A&Rのルカはレコーディングによく顔を出していてアドバイスをくれていたが、売れるための何かを強制するようなことはなく、アタシの意見を尊重してくれていた。レギュラーのラジオ番組も取って来てくれて、毎週金曜日の21時からの1時間、リスナーのエピソードを紹介してそれにコメントをしてリクエスト曲をかけるという番組は楽しかった。その番組のリスナーがアタシの曲も気に入ってくれて応援してくれる人も増えている手ごたえはあった。それに励まされたりもしたが、やはりデビュー曲がヒットしなかったという現実はアタシを悩ませた。

 こんなふうに最初からつまづいて迷っているアタシはケイがレコーディングでスタジオに入っているのを聞きつけ、突然押しかけて相談した。

「なんつーか、中途半端。なんだよね」

いくら友人だとはいえ、忌憚のない意見を求めたとはいえ、ケイのアタシのデビュー曲に対する評価は辛辣だった。

「ポップスに振り切れてもいないんだよなぁ……。かと言ってもないんだよ」

率直な分析は続いた。

「でも、アタシの中ではだいぶポップス意識したんだけど」

「セルアウトって言われるのにビビってる?」

答えられなかった。

セルアウトと揶揄されるのは確かにイヤだ。小さいかもしれないが今まで築いてきたファンも含めたコミュニティから弾かれるのは怖い。それに地下で頑張っている仲間達を裏切るようで怖い。

「セルアウトの何が悪いんだよ、売れて悪いことなんてないじゃん」

ケイはきっと自分が『セルアウトだ』とクラブ界隈のかつての仲間達に言われてネタにされていることに気がついている。

「本音?」

思わずアタシが聞くと

「オレは自分のスキルに自信持ってるから、どんな曲だってやるんだよ。金と目標のためにね」

ラッパーらしく自分を誇示したが、アタシはもちろんケイと同時期にクラブにいた人ならみんな知っている、彼の才能とスキルの高さを。それを今は隠していることにも気がついている。

 それからケイは自分の目標について話し出した。

この国の音楽シーンにヒップホップ・ラップを根付かせるコトを目標としていると初めてアタシに語った。それらしいミュージシャンは見かけるがホンモノがいない。ジョージとかマサトとかかつてのケイとか、その他たくさんクラブシーンにいるラッパー達のようなホンモノはメジャーシーンにはいない。音楽業界全体が不況ということもあるし、音楽の楽しみ方が変化したのもあるが、クラブで活動するラッパー達は保守的なメジャーシーンに参入する気さえなくしている。

世間もラッパーは素行が悪くてすぐ捕まる、そんなイメージしかない。この国の一般的な世論とヒップホップは相容れないのだ。

でも、それは間違っている。確かに素行の悪いヤツもいるし、捕まるヤツもいる。それを自慢げにラップするヤツもいる。政治や社会に対して異議をラップするヤツもいる。だけどそれだけではない。不良だって恋はするし、親に感謝だってする。自分が世間のはみ出し者だから弱者のキモチがわかったり、世の中を良くしたいと思ったりもする。リアリティに溢れているのがラップの良さなのだ。ラップやヒップホップを知らなくても聴けば共感できる曲が絶対に見つかる。

だけど聴いてももらえないし、大衆に聴いてもらおうというキモチも失ってしまった。

 かつてヒップホップ・ラップブームがあった。ちょうどTASK FORCEタスクフォースの世代だ。彼らはそのブームの中心的存在だったがやはりブームが去ったのと同時に契約も打ち切られてしまう。たまたまTASK FORCEタスクフォースの3人は人当たりも良く、ヒップホップ以外の音楽にも詳しかったし、器用だったのでプロデュースや文筆業など活動の範囲を広げることができたから、個人事務所を維持できてラップグループとして未だにリスペクトされて活動できている。同時期にTVやCMにまで出ていたラッパー達の中にはその栄華の見る影もなく、最近のアタシと同じように細々とクラブ周りをしているだけの先輩もいる。彼らを卑下するつもりはないが、もっと何かできたはずだ。あのブームをブームで終わらせない方法はなかったのだろうか。

当時のラッパー達の活躍を見ていたまだティーンだったケイは彼らに憧れてラッパーになったものの、自分が踏み入れたのはバブルがはじけた後の暗いクラブシーンだった。明らかに全体のスキルは底上げされているのにもかかわらず、世間との接点がまったくない、小さなコミュニティとなってしまっていた。

 そこでケイはブームはもういらない、着実にリスナーを増やそうと思ったという。リスナーを育てることから始めるべきだと考えたケイはセルアウトと言われようと何であろうと、大衆に伝わる言葉を使ってわかりやすくラップすることにした。ラップだってポップスとかわらない楽しい音楽の1つであることを知らしめるために尖ったリリックは書かない、不良っぽいことはしない、そう決めた。まずはヒップホップ・ラップというジャンルや手法に対するアレルギーを緩和する作業から始めたのだ。そうして将来的には、世界の音楽シーンのようにブラックミュージックが天下を取り、優れたラッパーがロックスターになるのを願っていた。

ケイはその礎になる覚悟でデビューしたのだった。


 夜、家でジョージにケイの話をした。

「まぁ、世間の人は韻踏むの駄洒落くらいにしか思ってないしな」

と、納得していたのでジョージはラッパーとしての目標は何か聞いてみた。

「オレはバトルしてたいんよ。ジジイになっても」

EMINEMエミネムじゃん、バトルっていうか、未だにディス曲出すとかね」

「そう、ずっと尖ってたいの」

実際は尖ってない愛情いっぱいで愛嬌のあるジョージはそう答えた。

「それはなんで?」

と、聞くと

「きっとそういう役割なんやと思う。オレはなんかバトル強いし、好きやし、そこ盛り上げろよっていう役割なんやわ。きっとな」

と、分析したのでまた質問した。

「じゃぁ、ケイはケイの役割なのかな」

「せやね、みんななんかしら役割があって、それを引き受ける覚悟せなあかん時があんねん」

だからEMINEMエミネムはあれだけ売れたのに未だに怒っているのだ。才能と共に役割を与えられたから。

アタシにはケイのような壮大な夢はないしジョージのように明確な目標はない。だけどケイの話を聞いて、ジョージと話して今のアタシの足りない部分に気がついた。

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