track #14 - Towering Inferno②
「あ、いたいた」
と、部屋に入って来た男の人がテレビを観るアタシの視界を遮った。視線が合うと
「おまえらぁ、その布団もうだめだな、クリーニングだなぁ」
彼が部屋にいる一同に言いながらアタシの横に座った。社長と客たちの親し気なやりとりを聞いていると、どうやらココは彼の住まいのようだ。
そして綾部はアタシを見て話し出した。
「
「知り合いなんですね」
「そう、彼の今度のアルバム、ウチから出すことになってさ」
綾部とアタシが今日偶然居合わせた理由がわかった。
「それにしても、ぜんぜん、連絡くれないじゃ~ん」
と、あいかわらず軽い口調の彼が言ったので「すみません」と、愛想笑いをして謝ってはみたが、今でもその誘いにのるつもりはないので
「サオリちゃん、すごいですね。元気ですか?」
と、話を逸らした。
「サオリ、すっかり人気者になっちゃってさぁ、オレより忙しくなっちゃってんだから」
「かわいいし、人気出るのわかりますよ」
「最近はぜんぜん遊んでくんないのよ、アイツ。アイドルかなんかと付き合ってるっていうしね」
綾部はサオリについて饒舌だった。
サオリはグラビアアイドルから歌手に転向する際に社長の苗字から『綾』という文字を1字もらって改名してたし、曲にはプロデューサーとして社長の名前がクレジットされている。ただならぬ仲だと予測していたしウワサにもなっていたが、それは違うのだろうか。
サオリの恋愛事情までも把握していながら、サオリについてはまるで自分の所有物のように話すし、割り切った仲というやつなのだろうか。サオリの恋人はサオリと綾部の関係を知っているのだろうかなどと、アタシには関係ないことを考えながら、サオリや他の所属アーティストについての話を聞き流していた。
そして綾部はDJ
「シンガーの子、またねー」
と、売れないモデルだと名乗っていた女の子が、だいぶ酔いがまわっている様子で手を振った。
仕事部屋は2階にあった。
部屋の奥には入り口に向いているデスクがあって上にはパソコンや事務用品が乗っていて、壁際のラックには高級そうなコンポと数々のトロフィが並んでいる。反対側の壁には扉があって別の部屋に続いていた。
アタシはデスクに向かって置いてあるレザーの大きなソファーに座わった。綾部はデスクの上から取ったUSBをコンポに差してリモコンを使って音楽を再生した。
1曲目に流れた曲はすでに他のシンガーが歌入れする事が決まっていて、その理由や経緯を立ったまま説明してくれた。2曲目になると
「これはちょっと
などと構想を語りながらアタシの横に座った。
曲を聴きながらしばらく彼の話を聞いていると、彼は左手をアタシの腰にまわしてささやいた。
「
アタシは何と返していいかわからず黙ると、さらに続けて
「サオリより歌うまいし、スタイルいいしね」
そう言って更にアタシの方に身を寄せた。
アタシの右腕と綾部の左半身が密着していて、この後よからぬ誘いが来ると察したアタシの心臓は早くなった。
玄関から入った時、若い男の子に立ち入ってはいけないと注意されていたプライベートなスペースに誘われたということは、そういうことだ。
アタシは「ちょっと、お酒まわってきて……」と言って下を向いてその場をやり過ごそうとした。まだコロナビール1本しか飲んでないので酔ってなどいない、だけど気分は最悪だ。
この誘いを断ればDJ
でもサオリのようにスターになれば、1回の我慢を良かったこととして塗り替えられるのだろうか。誰にも知られずになかったことにできるのだろうか。裏切りではなくギブアンドテイクだったと思えるようになるのだろうか。
そもそもアタシは何故コノ部屋に彼と2人きりになったのだろう。わかっていて着いてきたのではないか、自分自身のことも信じられない。
瞬時に思考が巡ったがこの場を逃げ出す勇気は出ない。
「大丈夫?」と、聞かれ「ちょっと……」と精一杯、酔っている演技をして返答した。こんな酔っぱらい相手にできないとどうか諦めてくれないだろうか。切羽詰まったアタシにはそんなくだらない手段しか考えつかなかった。
アタシの腰にまわしている綾部の手は離れるどころかさっきよりチカラが入っていて、少しの隙も見せられない状況だった。
だけどアタシの中のわずかな下心を見抜いているかのように彼は迫ってくる。
こんな音楽業界の大物を敵に回すことになるのに、何て言って断ればいいのだろうというアタシの弱さも見抜いているようで、いっこうに離してはくれない。
「となり寝室だから休む?」
と、よりチカラ強く優しく怪しくアタシに微笑む。
精神的にも物理的にも追い詰められたアタシは固まっていると握り締めているスマホが振動し、メッセージを受信した。
それによってアタシは我に返りとっさに「スミマセン」と言って、身体を反らせてスマホに目をやった。
<どこ? 帰った? オレずっと下にいるんだけど もう帰った?>
ケイからだった。彼はもうこのパーティからは脱出していたようだ。
「ごめんなさい。ルミ、
と、適当なことを言いケイに返信した。
<にげたい こわい>
<戻るから どこにいる>
<しごとべや>
<すぐいく>
アタシが少し身体を離して綾部にはわかられないように素早くケイとメッセージをやり取りしている間も、彼はアタシから離れようとしなかった。
「すみません、ルミ、探してるみたいで」
アタシはウソを言ってそれを振り払い立ち上がると
「
と、綾部は言ってアタシをまた座らせようとアタシの手首をつかんだ。腕にチカラを入れ、再び座らないように足を踏ん張り彼と目が合ったまま抵抗した。彼の目はこの後の期待を訴えていて、アタシはただその目を見たまま逸らせずにいた。その無言の攻防がまるで数分続いたように感じていると入り口の扉が勢いよく開いた。
ケイだった。
突然のケイの登場に綾部は驚いてアタシの手を離した。すぐさまアタシはバッグを持って入り口にいるケイの元へと駆け寄った。
「スイマセン、こいつはオレの1番尊敬してる先輩の女で、連れて帰らないとオレまじで
ケイがそう言い放って出口に向かって歩き出した。
ケイは綾部と同じようにアタシの同じ手首を強く掴んで引っ張ったが、アタシは今度は抗うことなく従って引かれるままに自動的に足を動かした。前を歩くケイの肩程に伸びた少し癖があってウエットな黒髪がリズミカルに動くのを見つめながら。
無言のままエレベーターに乗り1階についてマンションから出て外の空気を吸った瞬間、アタシは物陰に走っていきなぜか吐いた。吐くほど飲んでいなかったにもかかわらず。
少し遅れて背後から近づいていたケイがアタシの背中をさすって、ペットボトルの水を差しだした。
「すげータイミングで水持ってんだね」
アタシはお礼も言わずにそのペットボトルを受け取って勢いよく飲んだ。
ケイは笑っていた。
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