track #12 - Dream Value②

 「おい、ちょっと来い」

マサトが列に並んでいるアタシの腕をつかんで引っ張った。

店の入り口から出て2、3歩進むと

「見てたぞ、今の」

「あぁ、これ?」

と、社長の名刺を見せた。

「アイの自由だけどさ、オレらラッパーと違ってシンガーはメジャーの方がいいのはわかってるから何も言わねぇけど──」

マサトは厳しい顔をして話し出した。

「アイが何したってオレはおまえを批判したりしないよ、友達だから。でもJayジェイさんを悲しませるのは許せねぇんだよ。オレ、Jayジェイさんには世話になってるし、尊敬してるから」

アタシの1番の弱みを突いてくる。いや、ジョージはアタシの強みなはずだ。

「だいじょうぶ、アタシは。あんな誘いには乗らないよ」

「ならいいけど。何か悩んだ時とか行動する時はオレらとかJayさんの顔思い出せよ」

「うん、アタシはマサトは裏切ってもジョージは裏切らないよ」

そう言うとマサトは笑ってアタシと肩を組む形で言った。

「オレらにはそう簡単に売れる道はねぇよ。チート使ったら説得力なくなるぜ」

確かにそうだ女性のエンパワーメントについて歌っているのに、社長の恋人だか愛人だか都合のいい女になってつかみ取ったって意味はない。それにジョージを裏切ってまで叶える夢に価値なんてない。アタシはプライドもジョージとの愛に満ちた日々も捨てられない。

2人楽屋に戻って、“綾部”と書かれた社長の名刺をゴミ箱に捨てた。


 それから3ヶ月後くらい、アタシはクラブに行くために渋谷の駅に降り立った。改札を出て横断歩道に向かうと大量の広告が目に入り、足を止めた。

あちこちのビルの大きな看板にサオリが写っている。大きなビジョンにはサオリのデビュー曲のMVが流れていた。

“綾野さおり”と名前を変えたサオリは相変わらずかわいく、金髪をカールさせて看板ごとにいろいろな表情を見せている。

アタシの音楽とはかけ離れた派手でアップテンポのキラキラした音色で恋愛を高い声で歌っている。アタシは横断歩道を渡らずにMVを見ていた。

たまたま後ろからやってきたマサトが声をかけてきた。

「ヤったらここまでしてもらえんの、すげぇな。あの時の子だよね」

「そうだね」

「まぁ、1回や2回じゃねぇだろうな、愛人にでもなったのかね」

「そうかもね」

2人で黙って大型ビジョンを見続けた。

「ヤればよかったとか思ってんのか?」

マサトはビジョンを見るのをやめてアタシを見て聞いたので、それはないと答えた。うらやましくないと言ったらウソになるが、アタシにはサオリのような選択はできない。後悔はない。

 サオリのデビュー曲は宣伝のおかげか大ヒットした。

音楽番組やCMなどテレビでもよく見たし、コンビニに行く度に表紙になっている雑誌をよく見かけた。もともとかわいらしい外見は女の子の憧れとなって、歌手という枠を超えて人気を得ていた。

偶然出会って一緒に東京の夜空を見上げた女の子は本物のスターになった。


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