第32封 思うより、算段②
現皇帝に対して、馬鹿者などと
状況から察するに、レベリカ皇女の素行は、以前よりやや問題傾向であったようだ。
レヴィンスは行商のため、城へ赴くこともあったので、現皇帝と対話しながら、それとなく苦言を呈していたらしい。
しかし娘可愛い皇帝夫妻は、兄の忠告をまともに聞き入れることなく、そのまま野放しにしていたのだ。
レヴィンスは額に青筋を浮かべ、長い長い息を吐き出すと、片手で口元を覆い視線を逸らす。
「……状況は分かりました。よく己を抑え、頑張りましたね、リナン」
「別に。俺はテトラに守られただけだ」
吐き捨てるような言い方で、こちらに視線も向かないが、テトラは僅かに表情を緩ませた。
レヴィンスはテトラを一瞥し、再び短く嘆息してから、顔を左右に振る。
「お前に……いえ、貴方にとって彼女は、唯一無二でしょう。妹に殴り掛からなかっただけでも、及第点です。……よろしい。可愛い甥のためです。一肌脱ぎましょう」
そう言ったリナンの伯父は、第三皇子が所有する資産について、今後の指示をハンバルに伝えていく。特に金鉱山は、全ての事業内容から王族の関わりを無くし、リナン以外は下位貴族が関わる運用へ変える方針であった。
テトラは財政管理にそこまで明るくないものの、どうやらリナンが、いつでもギンゴー帝国から抜けられるよう、その前準備のようである。
ハンバルを連れてきたのは、この指示を受ける目的だったのかと納得しつつ、テトラは床まで視線を下げた。
(この準備をしたら、何が動くのかしら?)
「あとは私に任せなさい。金の動きを止めますから」
さらっと。
聞き返すべきか迷うような、とんでもない事を言われた気がして、テトラは勢いよく顔を上げた。
怪訝な顔でリナンも言葉に詰まり、ハンバルが顔を引き攣らせて腰を折る。
「お、……恐れ入ります、バードレイン卿」
「どうぞ?」
「金の動きを止めるとは、どのような……?」
「ああ、実際に金が止まる訳ではありませんよ? いち平民の私に、そんな力はありませんしねぇ。装飾品関係の流れが、少し滞るだけです。宝石や
ニンマリといつもの笑みを浮かべる彼に、テトラは息をのんだ。
ギンゴー帝国が名高い大富豪国である所以。
それはアマリリス連邦内で流通している、通貨を製造する
金銭は、生活を循環させる必需品。品質と安定した供給量を維持して輸出可能だからこそ、この国は盤石さを約束されている。
もし帝国内で、製造に必要な原材料の動きが鈍れば。
それぞれ鉱山を所有する貴族が、足並みを揃えて現王族に背を向けたら。
否応もなく、金銭の流通は物理的に停滞するだろう。
「っしかし、それでは、売買による収入が減ります。納税の関係もありますし、いくら卿の一声であっても、従う貴族がいるかどうか……」
「そうですねぇ。その為に我々は、個人で所有する金鉱山の
くすくすと笑う表情すら、不気味だった。
詰まるところレヴィンスは、鉱山を所有する貴族の売買相手を、リナンに鞍替えさせると言うのである。
いくら鶴の一声をもつ皇兄殿下でも、無茶苦茶だ。
それなのに隙のない佇まいに、テトラは知らず笑みを浮かべる。
(……無茶苦茶だけど、でも、この方には、そう言い切れるだけの力が、今もあるんだわ……!!)
興奮気味に瞳を輝かせるテトラは、ふと、レヴィンスの言葉を脳内で反芻した。
(……? あら? 待って、殿下の資産が、どうのって、さっき……)
「リナンが個人で所有する金鉱山は、帝国で発掘された金の
「よ?」
思わず声が漏れた。
テトラはあんぐりと開いた口を、慌てて両手で覆い隠し、しかし目を白黒させながらリナンを凝視する。
対する彼は涼しい顔だが、レヴィンスはテトラの反応に声をあげて笑った。
「はっはっは! 貴女は素晴らしい大物を釣り上げたのですよ、テトラ・オービス第一王女殿下。誇ってください、私の可愛い甥の、全てを射止めた事を」
いや、笑い話ではない。
テトラの脳内が記憶を引っ張り出し、
ナンフェア王国の領土と、ギンゴー帝国領の比率。人口、貿易関係、行商の数、他云々を、沸騰しそうになりながら弾き出した。
単純計算でしかないが、自国の年間予算と比べると、
……比べると。
(待って、えっ、ねぇ嘘でしょう!? 我が国の年間予算より、リナン殿下の個人資産の方が多いって事なの!?)
チャリーンッ!! と聞こえてきそうなほど、テトラの眼前に道が開けた感覚があった。
髪が短くなろうが、侍女殿下と皮肉を言われようが、気色悪いクソ野郎に求婚されようが、そんなものは些細なことである。
いや寧ろこれは、農薬を取り引きする話を飛ばして、農薬を開発する技術者を引き抜いて、研究整備を揃える方に舵取りした方が良い。
やはりリナンはテトラにとって、最優良物件の婚約者さまである。
これは絶対結婚だ。結婚しかない。齧り付いてでも飛びついてでも、首を絞めてでも放してはいけないのだ。
決意に燃えるテトラの思考を知ってか知らずか、リナンが白けた顔で自身の婚約者を見る。
レヴィンスは再度笑い、三白眼を眇めて首を傾けた。
「なんにせよ、この先は伯父上に任せなさい。……貴方には貴方の、やるべき事があるのでしょう」
「……ああ」
「婚約披露宴が済んだら、結婚式には呼んでください。とびきりのご祝儀で、参加しますからねぇ」
更なるニンマリ顔で視線を向ける伯父に、リナンは心底嫌そうな顔をしたものの、渋々頷いて口をへの字に曲げていた。
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