第30封 一手を打ちに行こう⑤




 悲鳴が上がった。

 顔面蒼白で腰を抜かしたレベリカと、三人の侍女からだ。

 テトラが本当に髪を切るとは、夢にも思っていなかったのだろう。ザマァみろである。


 テトラは怒りが多少収まり、切り取った髪が床に落ちぬよう気をつけながら、短刀を鞘に収めた。

 髪が散らばってしまったら、掃除が大変になってしまう。

 呑気に髪の毛を対処しようとしたところで、シラストが短刀を取り上げた。


「っなんてことを……!」


 テトラよりよほど狼狽えた顔で、騎士が呟く。

 その背後でリナンが一歩よろめいて、しかし何かを堪えるように呼吸すると、唖然とする周囲を見渡した。


「全員、レベリカが命じた内容を聞いたな。然るべき相手に問われたら、間違いなく証言しろ。……俺はここにいる全員を覚えている。忘れるな」


 地を這うに似た、普段より数倍は低い声が木霊する。

 使用人達はテトラの時とは別の意味で、震え上がり頭を下げた。


 リナンはテトラの腕を掴み、足早に廊下を歩き出す。

 怒りや困惑が混ざった気配に、テトラは眉を下げて付き従った。


 (お、怒らせちゃったのかしら……)


 テトラとしては、あまりに怒り心頭であった為、髪を切った事に後悔はない。

 だが一般的に、王族含めた高位貴族の女は、長髪を良しとする風潮なのが各国の現状だ。

 婚約披露宴間近の女が、バッサリ髪を切ってしまったのは、愚策であったかもしれない。


 一部が胸の辺りまで短くなった髪に触れ、テトラは眉を下げる。

 結えない長さではないし、髪はいずれ伸びるし、特に問題はないのだが。


 リナンは自室に足を踏み入れると、テトラの腕を解放し、束の間。

 シラストと共に来たマウラバルが、痛ましげにペールオレンジの髪を指ですいたところで、リナンが片手で顔を覆った。

 肩が震えたかと思えば、思い切り吹き出して笑い出す。


「は、ふはっ、はははっ! 本当に切るか普通? バカなんじゃねぇの?」

「なっ、失礼ですね!?」

「完全に売り言葉に買い言葉じゃねぇか。あははは! やべぇ、面白すぎる。見たかアイツの顔! あの間抜け面を見れただけでも、最高……ッ!」


 よほどツボに入ったようである。これほど機嫌よく笑うなど初めてで、テトラは恥ずかしいやら、ちょっと嬉しいやら、複雑な心境で頬を膨らませた。

 しかしマウラバルやシラストは、そうもいかない。

 ミセスは唖然とした後、鬼のような形相でリナンに詰め寄った。


「何をおっしゃっているのです! 大事な婚約者様が、髪を切ったのですよ!?」

「そうだな。まぁ、本当に髪を切るのが最善だったかは別として、格好良かったんじゃねぇの」


 リナンは己の前髪に触れ、テトラを再び引き寄せる。

 初めて普通に抱きしめられて、彼女は仰天し喉から変な声が上がった。

 彼はそのまま肩口に顔を埋め、甘えるようにテトラへ擦り寄る。


 このまま腕を回せばいいのか、大丈夫だと彼の腕を叩けばいいのか、テトラは己に突きつけられた選択肢に迷い、シラストを見上げた。

 混乱しつつも叱責を重ねようとする侍女長を、視線を受けたシラストは眉根を寄せたまま、そっと押し留める。


「……殿下」

「少しの間、テトラを婚約者として扱いたい。……本当に、少しの時間で、いい」


 シラストはハッとして、苦笑混じりに笑みを溢すと、二人に向けて深く頭を下げる。

 まだ文句の言い足りないマウラバルを促し、近衛騎士は朗らかな調子でテトラにウインクを飛ばした。


「御前、失礼致します。……王女殿下、先ほどは最高に格好良かったですよ」


 パタン、と扉が閉まり、室内に静寂が訪れる。

 

 テトラはソワソワと落ち着かない心地で、大人しくリナンに抱きしめられていれば、彼はようやく顔を上げた。

 指先が途中から途切れた髪を撫で、眉間に僅かな皺が寄る。


「……正直な話、髪が長かろうが、短かろうが、容姿がどうであろうが、お前がここにいれば、後はどうでもいい」

「…………」

「髪だって整えればいいし、いずれ伸びる。傷が残るものじゃない」


 髪に触れていた指が、徐々に持ち上がって、頬をなぞった。

 素肌が触れた箇所から熱を帯びて、テトラは視界が潤んで息を吐く。小さく体が震えて思わず一歩下がり、それをリナンの腕が押し留めた。

 背に、腰に、優しく回る腕に引き寄せられて、胸が苦しくなる。

 テトラは奥歯を噛み締めて顎を引いた。


「だけど、お前が一人で戦う後ろで、見ているだけじゃ、駄目なんだろうな」


 唇に吐息が触れる。二人の間にある何かを、探るように。

 目を逸らしてはいけないと、テトラは両手でリナンの頬を包んで、微笑んだ。


「今はまだ、わたしはあなたの侍女ですから。守られていていいんです」

「……テトラ」

「でも、そうですね。もし、ご不満でしたら……、一緒に戦います」


 距離が更に近づいて、何度も口付けられて、テトラは多幸感に声が上ずる。


「あなたの色を纏うから。わたしの色を纏って欲しい。……あなたが好きよ。必ず神の前で、あなたに誓う。。わたしと一緒に、勝ちを取りに行きましょう」


 花のように笑って、首に腕を回し強く抱擁を返した。

 彼は一瞬、子供のように表情を歪めて息を詰め、それでも強く抱きしめ返す。


「…………なんつーか、格好いいよ、本当に。ずっと前から好きだ、好きだよ、テトラ。……俺を隣に、居させてくれ」


 


 

 

 



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