第29封 一手を打ちに行こう④




 繊細な金細工が施された鞘が、重量を伴って甲高い音を立てた。

 シラストが反射的に抜刀しかけ、リナンがその腕を強く掴む。

 テトラは呆気を通し越し、むしろ青い顔で内心、悲鳴を上げた。


 (そ、そっ、それ、は、っやってはいけないわ、レベリカ王女殿下━━ッ!)


 確かにテトラは侍女であるが、ギンゴー帝国皇帝が難色を示した通り、リナンの婚約者で他国の皇女である。

 レベリカの行いは他国籍の王女に、刃を向けた事と大差ないのだ。


 もしレベリカが、デビュタントを迎えていない子供であったなら、まだ情状酌量の余地があった。しかし彼女は、精神的に成熟していなくても、立場は大人である。

 子供同士のじゃれ合いでは済まされない、明確な宣戦布告と取られてしまいかねないのだ。


 もちろん、ナンフェア王国は弱小国であるので、ギンゴー帝国と小競り合いはできない。

 だがギンゴー帝国が、特に驚異でもなければ敵対する意思もない小国へ、難癖つけて一方的に暴力を振るったとすれば、他国は黙っていられないのだ。

 明日は我が身と恐れ、対策を講じるのは当たり前の心理だろう。


 アマリリス連邦は、多くの国で成り立つ貿易連盟。

 それぞれの国が、自給自足で成り立たないからこそ、結ばれている国なのだ。


 リナンはシラストが殺気を収めるのを確認し、静かに腕を放しながら、片手で顔を覆う。


「………………悪い、テトラ。馬鹿な妹で……」


 (流石に謝っちゃったわ、リナン殿下お兄さま……!)


 ちょっとこれは、擁護できない認識の低さである。リナンの苦労を察して、テトラも顔が引き攣った。

 油断したのが気に食わなかったのか、レベリカが甲高い声を上げて、短刀を指差す。


「ちょっと! 聞いているの!? 早くしなさい!」

「おい馬鹿。意味分かってやってんのか? 今なら謝るだけで事が済む。さっさと頭下げとけよ」

「どうしてわたしが謝らなければならないの!?」


 二人の会話はまるで火に油だ。レベリカの興奮が絶好調ヒートアップし過ぎて、周囲が見えていないせいもある。


 騒ぎを聞きつけ、誰かが人を寄越したのか、使用人が小走りに寄ってくる。

 テトラたちの後ろからは、マウラバルが険しい顔で寄り添ってくれた。

 埒が開かないと諦め、リナンが踵を返して去ろうとした時、第一皇女の叫びが不意に止まる。


「何よ、……っ何よ、何よ! 結局は侍女に絆されているんじゃない。泣きながら裸で逃げ出したんでしょ? 知っているんだから……!」


 その言葉に足を止めてしまったのは、テトラだ。

 動揺して思わず振り返ったところを、リナンが手首を掴んで引き寄せる。

 視線を上げて瞳を揺らせば、彼は首を振ってテトラを促した。


 しかしレベリカには、テトラの機微が伝わったのだろう。

 彼女は嘲笑じみた顔で、笑い声を吐き捨てた。


「あはっ、なんだ、婚約者のクセに何も知らないのね。その男は、信頼していた侍女に襲われて、泣きながら逃げたのよ。裸で廊下を走って、お母さまの所まで、助けてママって」

「……なんてこと」

「あっはは! あの時はお兄さま方と三人で、お腹を抱えて笑ってしまったわ。涙も鼻水もみっともなくて、酷い顔だったらしいわよ? お父さまもお母さまも呆れていたわ。リナンが自分で選んだ侍女なのだから、その気を持たせた責任はリナンにあるだろうって」


 マウラバル侍女長から、概要だけは聞いていた。

 信頼していた侍女に襲われかけて、彼は心を守るために、無気力になっていったと。


 侍女長はテトラと邂逅した時、言ったのだ。


 ──思い違いをする女が、一定数いるのです。


 リナンの癖や思考を読み解こうと、観察していたから理解する。

 彼は臆病で不器用な、優しい人だ。けれど、適切な距離が分からない人ではない。

 その優しさや年相応の甘えを、自分だけに向けられる愛情だと思い違いをしたのは、どう考えても前侍女の責任ではないか。


 (それを、笑うなんて。……家族の誰も、殿下の傷ついた心に、寄り添わないなんて……!!)


 テトラの中で耐えていた糸が、ぷつりと、切れた。


 彼女はやんわりとリナンの腕を解くと、姿勢を正して目蓋を閉じた。

 再び開いたメイズの瞳に、闘志が宿り静謐に輝く。

 背筋は伸び、顎を引き、見据えたまま前に進み出ると、レベリカの表情が青褪めた。


 波紋一つ立たない、静かな水面を思わせる気配に、誰もが呼吸を忘れて動きを止める。

 雰囲気が変わったテトラに、第一皇女の侍女たちがカタカタと震え、ドレスの裾を持ち上げ首を垂れた。

 使用人たちも硬い表情で震えあがり、胸に手を当てて腰を曲げる。


 テトラは腹の前で両手を組み、指が白くなるほど手の甲に爪を立てた。


 (戦わなくちゃ。ここで無視をしたら、きっと後悔する。わたしは今は侍女だけれど、リナン殿下の婚約者だもの。彼の痛みを嘲笑う人を、わたしが許してはいけないわ……!)


 テトラは貧乏国を脱却する為なら、明日の飯にもならない矜持などクソ喰らえである。

 けれどテトラは王族として、リナンの婚約者であることを忘れた事は、一度だってなかった。


「な、何よ、ただの侍女の分際で! 不愉快だわ、さっさと髪を切りなさいったら! 聞けないなら、お父さまに言いつけてやるんだから! わたしの命令を聞きなさい!」


 逃げ腰にすらなっているレベリカを見つめ、テトラは落ちている短刀を一瞥した。

 そして臆する事なく拾い上げ、両手で強く握りしめる。


「……偉大なる皇帝陛下の御名で、命じるのですね」


 凛とした声が空気を揺らし、肌が痺れる感覚にリナンが目を見開いた。


「今、レベリカ・ナルツシード第一皇女殿下に命じられました。わたしはギンゴー帝国に敵意がないことを示すために、その命令に従わねばなりません。全員に伝えます。誓いなさい。いつ、いかなる時も、これから見聞きしたことを違えず証言すると。ナンフェア王国第一王女、テトラ・オービスに誓いを立てなさい」


 テトラは鞘を引き抜き、床に放り投げた。

 再び響いた金属音に、レベリカが目を丸くして口を半開きにする。

 重量を感じる冷たさに恐怖はなく、リナンが買い与えてくれた髪留めを外した。


 結い上げた三つ編みが落ち、テトラは紐を解くと、躊躇わず髪をひとふさ掴んで刃を押し当てる。


「わたしはあなたを赦さないわ、レベリカ皇女殿下。そしてあなたの背後にいるに伝えなさい。あなたの傍になんか国が滅んでも行かないと、一字一句違えず伝えなさい!!」

「──っテトラ、やめろ!!」


 背後でリナンが叫ぶ。

 それでもテトラは腕に力を込めて、胸の辺りから思い切り髪を切り飛ばした。


 


 

 

 


 


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