第26封 一手を打ちに行こう①





 一日ほど経過した後、シラストの同期騎士たちが、馬車を連れて到着した。

 追尾してきた荷馬車は捕縛したようで、第三皇子直属の部隊が別所で取り調べているという。

 個人に騎士部隊がついている事に感心していれば、時期王配殿下の脛かじりですよ、とシラストがウインクを飛ばしていた。


 リナンは父から売買契約書を預かり、それをシラストに託して、先に帝国へ帰国させる事にした。

 シラストが操る馬は、気性が荒い分、他より馬力があって速く走れるという。非常に持久力もあるため、シラスト一人であれば、二日とかからず帝国に戻れるのだそうだ。


 シラストはハンバルに第三皇子の安全を託し、早朝、ナンフェア王国を出立していった。



 

「え、騎士を残すんですか?」


 テトラはリナンの首からナプキンを外しながら、首を傾ける。小さなテーブルを挟んだ向こうにいるルーヴァロも、キョトンとした顔で姉と見比べていた。

 リナンの、筋張った指先が傾けるグラスに水を注ぐと、彼は一口飲みながら目を眇める。


 本邸のこじんまりとした朝食の席は、三人だけだ。

 父母は城の解体現場を確認しに、ハンバルと共に出向いている。マウラバルは来賓用の屋敷で、使用人を取り仕切っているので、今は不在にしていた。


 ルーヴァロは干し肉のスープを飲み干すと、出入り口の近くに立っている騎士を一瞥する。


「それは有り難いですけど……、食糧の備蓄があったかな……」

「そうだわ、騎士の皆さまは食欲旺盛でしょうし、国境くにざかいでイノシシでも狩ってこないと」

「……、……食料は積んできた。俺が必要だから置いていく。騎士たちに通達して、大丈夫な連中だけを連れてきたから、変な心配すんな」

「お言葉ですが殿下、我が国では死活問題ですからね?」


 呆れを感じさせる声音に、テトラは眉を寄せてリナンをたしなめた。


 どうやら彼は、先日、井戸に岩が落とされたことを聞き、警戒しているようだった。

 鉱物の価値を嗅ぎつけ、しかし静観していたリナンが動き出したのだ。ハルベナリア国はおそらく、子飼いの業者を通して、契約書を奪おうとするだろう。

 岩が落とされたのは十中八九、本邸にいる人間で、力仕事が出来る男を把握したかったからだ。

 今朝方、シラストが持ち出したとはいえ、用じんするに越したことはないという。


 何せ契約書が渡ると、今後の取り引きに差し障る人物が、リナンをめっぽう可愛がっているのである。

 ハルベナリア国は是が非でも、契約書の行方を追うはずだというのが、リナンの見解であった。


「そんな人が、殿下を?」

「まぁ、実際にあの人が動くかどうかは、わかんねぇがな。少し積まねぇとダメかもしれねぇし」

「つむですか……」


 彼が片手をテーブルにつき、立ち上がる前動作に入ったので、すかさず椅子を引いてテトラも一歩下がる。

 歩き出す方向を察知して、リナンの後ろに回り込めば、同じく立ち上がったルーヴァロが目を丸くしていた。


「それより。お前も俺と一緒に帰るからな」

「え? あ、はい。父の許可も頂きましたし、そのつもりです」


 ナンフェア王国の意向として、ハルベナリア国には屈しない。

 父に意志を尋ねられた時から、テトラはリナンとの婚約を続けたいと願っていた。

 姑息なあの国を知った今、それが更に強まっただけである。どうにかして、害虫を持ち込んだ証拠を掴みたかった。


 頭を悩ませるテトラを、リナンはじっと見つめてから、おもむろに片手を差し出す。

 目を瞬かせ彼と手を交互に見やり、意図が分からないながらも、そっと片手を乗せて体温に触れた。


 リナンはテトラの指先を見つめ、治りかけた赤切れを優しく親指で撫でると、眉間の皺を深めて顔を上げる。


「帝国に戻ったら、あまりやりたい手段じゃねぇが、あのクソ王子に揺さぶりをかけるぞ」

「! わたしが協力できることでしたら、何なりと。……あ、でも、やりたくない手段って……?」


 テトラは彼の筋張った指を、きゅっと掴んで頷く。

 真剣な顔で続きを促せば、リナンは返答を迷った後、とある作戦を言葉にした。



 ◆ ◆ ◆



 ギンゴー帝国に戻った後、帝国王夫妻から特に何の言葉もなく、リナンはいつも通りの生活に従事していく。

 第三皇子が一時でも行方をくらませたというのに、家臣らがお小言を言うくらいで済んでしまうのだから、彼の立場は押して知るべしだろう。

 母国で大事にされないのなら、ナンフェア王国に来たときに、大事に暮らしていけばいい。テトラはそう思っていた。


 テトラは作戦遂行の前日、マウラバルの許可を得て休暇をもらい、たっぷりと睡眠をとった。

 ハルベナリア国の美容薬品は、気持ち悪すぎて捨てたので、リナンが一式新調してくれ、恋する乙女の気持ちで有り難く使用する。

 彼の部屋にあった装飾品も手元に持ってきて、鏡台の前で自身と見比べながら、主張が強すぎないものを身につけた。


 洗濯をして乾かした、濃紺の侍女服へ袖を通し、フリルの揺れる裾を広げる。

 小屋を出てから城へ入ってからも、姿勢は正して顎をあげ、真っ直ぐに前を見据えた。

 足音も静かに通路を歩き、通りすがる使用人や騎士に、柔らかい微笑みで頭を下げていく。彼らはすれ違いざま立ち止まり、惚けた顔でテトラを見送っていった。


 リナンの部屋に行き扉を叩くと、返事が聞こえる前に扉が開いた。

 すでに着替え終えたリナンが、テトラの様子に目を見張り、しかし微かに口角を上げる。


「……いい出来だ」

「自己防衛は万全ですよ、殿下。あなたの色を纏って戦います」


 普段のあどけなさを潜め、美しい王女の風格で現れたテトラを前に、真っ赤な顔でカチコチになっているシラストの尻を蹴りつつ。リナンは二人を連れ立って、食堂に向けて歩き出した。

 

 いつもなら手前で立ち止まり、マウラバルら使用人たちと共に、他の王族や侍女に向かって頭を下げ続けるが、今日はそうではない。

 テトラは大きく深呼吸をしてから、リナンの背中を追いかけ、ギンゴー帝国の王族が並ぶ食堂に足を踏み入れた。


 いざ、大いなる一手を投じる、前哨戦の幕開けである──!

 


 

 

 

 

 

 

 

 

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