第23封 安牌にも金次第④
テトラが大急ぎで屋敷に改造した古民家に戻ると、階段に座ったリナンとシラストが、疲れ果てた様子で伸びていた。
「殿下!?」
状況が分からず駆け寄り、母が持ってきてくれた水を飲ませれば、リナンは息を切らしテトラを一瞥する。
そしておもむろに片腕へ抱き寄せ、彼女の肩に顔を埋めた。
(ぴぇっ……)
汗をかいて冷たくなった体と、吐き出す熱を帯びた息に、テトラは真っ赤な顔で硬直する。
そのまま動かないリナンを、先に呼吸を整えたシラストが引き剥がした。
「殿下、リナン殿下、しっかりしてください、婚約者様がお困りです」
「…………いい匂いがする……」
「疲れると著しく思考能力低下するのやめてください!」
青い顔で揺さぶる近衛騎士に、彼は苦々しい顔で舌打ちする。
混乱するテトラの後ろで、様子を見ていた父と母、そして弟が、テトラと同様、困惑を隠せず顔を見合わせた。
父が一歩前に出る。リナンは未だ呼吸を乱しながら立ち上がり、頼りない足取りで一礼した。
シラストも床に片膝をつき、胸に手を当てて頭を下げる。
「……昇り行く、っ黄金の朝日、ヴァルガ・オービス国王陛下に、……ご挨拶、申し上げます。……突然のご無礼を、お許しください」
「いいえ、由々しき事態でしょう。何せ、我々は見栄を張るお時間すら、頂けなかったのですから」
他国へ来訪する際は、先に使者を送ってからが通例である。
テトラを含めた四人とも、平民より少し上質な服を着ているだけで、とても他国の王族を出迎える格好ではない。特に父など、農作業を手伝いに行っていたので、膝下まで土がついているくらいだ。
父が珍しく無表情でそう口にすれば、リナンは片手で自らを指し示す。
「
思いもよらない切り返しに唖然として見上げれば、父も目を丸くした。
隣にいる母が片手を口に当て、小さく吹き出し、最愛の父を見上げる。
父も表情を緩めると、母の肩を優しく抱いた。
「意地悪をなさらないで、あなた。わたくし、
「はは、すまない。殿下があまりにも愚直で、良い人だから」
「ふふ、さすがテトラの釣り上げた大物だわ。……ようこそおいでくださいました。帝国の麗しい芽吹き、リナン・ナルツシード第三皇子殿下。あなたを歓迎いたします」
美貌の母に微笑まれて、シラストがうっかり鼻血を出しても、リナンは涼しい顔である。
彼は再びテトラを見ると、ホッと息を吐き出して、オービス国王夫妻に深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
リナンが疲れ果てていたのは、途中から馬を飛ばしてきたからだという。
テトラがハルベナリア国第一王子から求婚されたと知り、急ぎ、帝国を出立して来たのだ。
最初は馬車で移動していたが、尾行を撒くために、途中の宿から姿を眩ませたという。
湯を浴びてさっぱりしたリナンを、客間の椅子に座らせ、テトラは髪を拭いてやりながらシラストを見上げた。
「尾行、ですか?」
「はい。犯人の目星はついていますが」
彼は騎士の装いから軽装に着替え、腰から下げる金具に繋ぐ剣の柄を、そっと撫でる。
シラストが懇意にしている騎士の同僚達と、リナンの護衛をしながら馬車を走らせたは良いが、どうにも不審な荷馬車が追いかけて来たのだという。
そこで第三皇子の安全を守るため、単独で駆けてきた次第だった。
「ご、ご事情は分かりましたが、リナン殿下! 近衛騎士と二人だけで馬など、危険極まりないでしょう! もし殿下に何かありでもしたら!!」
「そうです、殿下。御身を大事になさいませ」
険しい表情のハンバルとマウラバルに、返答はない。
リナンはテトラが受け取った、ハルベナリア国からの封書を読んでからずっと、口を閉ざしていた。
顔を合わせていない時間など、たった五日ほどだというのに、随分と顔色が悪く目の下も落ち窪んでいる。
テトラが椅子を回って前に立つと、彼はようやく顔を上げて口を開いた。
「見せてほしい物がある」
「え? は、はい」
リナンが望んだのは、城を売却した時の売買契約書だ。
何に使うのだろうと首を傾げつつ、テトラはマウラバルと共に一度、客間を出て本邸に戻った。
書類を持ち出すと共に、父母と弟も連れて再び客間に行くと、リナンに契約書を差し出す。
「何か気になることでもございましたか?」
シラストが人数分の椅子をかき集めてくれ、母が礼を述べながら、リナンの隣に腰を下ろした。
彼を挟んで父も座り、記載された数字や文字を目で追うリナンを、興味深く眺めている。
弟のルーヴァロもリナンの前に座り、手元を覗き込んでいた。
テトラはその様子に、なぜか居た堪れないほど恥ずかしさを感じ、少し離れた場所に立つマウラバルの隣まで下がる。
侍女長はテトラの羞恥を汲んでくれたようで、軽く背中を叩いて受け止めてくれた。
しばらく無言で書面を見つめていたリナンが、短く嘆息して周囲を見渡す。
「道中を急ぎたかった理由が、これです。この契約書が
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