第22封 安牌にも金次第③
テトラの予想通り、リナンと初めて顔を合わせたのは、アマリリス連邦内で開催された会合だという。
王女としてではなく、王妃の侍女として振る舞う少女に、リナンはあっという間に心を奪われたのだとか。
何をするにもやる気がなく、及第点さえ貰えれば、何でも適当に済ませていた第三皇子。それは生活面においても、食事や運動、睡眠ですら、リナンはやる気がなかった。
ただそれは、彼にふりかかった災難のせいとも言える。
幼少期から二人の兄を差し置いて、目鼻立ちの良かったリナン。
それでもリナンは、可愛がってくれる伯父や、世話をしてくれる乳母、姉御肌で頼りがいのある侍女に恵まれ、それほど苦痛に思ってはいなかったという。
侍女の不祥事を発端に、全てを警戒するようになるまでは。
優しさの裏側に隠れたいやらしい下心に、嫌悪を向けるようになるまでは。
「……殿下は表面上、いつも通り振る舞っておられました。それこそ怖いほどに。おそらく他者への嫌悪感を、無関心で補うことで、己を保とうとしたのでしょう」
そんな第三皇子を、帝国王夫妻は気にもかけなかった。
普段通りであれば大した事はないとし、問題を起こした侍女を解雇しただけで、息子に寄り添う事もしなかったのだ。
眉間の皺が消えないマウラバルに、テトラは眉を下げた。
侍女長は昔を懐かしむ様子であったが、一瞬、すん、と無表情になると、やはり呆れた様子で息をつく。
「ですが殿下は、オービス国王夫妻が連れ立った美しい少女に、陥落しました」
「か、陥落?」
「誰もが振り返る、美しい国王夫妻の長女です。安い生地のお仕着せを着ようが、髪から枝毛が飛び出ようが、麗しさは損なわれなかったのでしょう。殿下はその場から動けなかったと聞いております」
「はぁ……それは、その……すごいですね……?」
「ええ、本当に。恋は盲目的に人を変える力があるのでしょう、テトラ第一王女殿下」
マウラバル曰く、テトラの名前を出せば、渋々ながらも勉学に励み、嫌々ながらも時勢を学んで、文句を言いながらも普通の日常生活を過ごしたという。
テトラは、マウラバルがリナンの
(…………これ、本人の口から直接聞かなくて、よかったのかしら)
唖然としたまま思うテトラに、マウラバルが汲んだように目を細める。
「殿下は一生涯、貴女にこのような話はしないでしょう」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。自分の過去ですら、煩わしいからです。殿下はただ貴女を囲って、貴女と共に過ごせれば、他はどうでも良いのですから」
他人の口から聞かされる婚約者の熱愛に、テトラは喜べばいいのか、羞恥を感じれば良いのか、情緒が定まらない。
第一、それほど想ってくれているのなら、愛の言葉の一つや二つ伝えてくれても、罰は当たらないと思うのだが。
(いえ……違う。リナン殿下は自分の、そんな感情すら、嫌いなんだわ)
不埒な下心によって、心を傷つけられた人だ。
リナンが愛を語らず、情など要らないとするのはひとえに、自分のような思いをさせたくないのだろう。
愛していると言葉にする口で、金銭をチラつかせれば、結果としてテトラの思考を操る事になる。
彼は己の本心を、テトラにも、自分でも、疑いたくないのだ。
初めから自分の汚い感情など殺して、金銭と労働の取り引きだけを持ちかければいい。テトラとは契約婚紛いの繋がりで済ませ、最終的にリナンの傍にいれば、あとは
必要以上に優しくしないのも、世辞ひとつ言わないのも、リナンは自らの下心に嫌悪しているからなのだ。
彼は確かに嘘をついていない。
ナンフェア王国の財政難を助ける気持ちも、信頼する侍女が必要な事実も、本当なのだろう。
そしてテトラと婚約したい思いも。
あの日、聞かなければいけなかった言葉も、きっと。
(…………なんて、臆病で、不器用な人なの)
テトラは赤らんだ頬に片手を当て、滲んだ瞳を目蓋の内側に隠す。
心臓が徐々に早鐘を打ち始めた。全身に酸素を乗せた血液が行き渡り、知らずに寂しさが混じる息が漏れる。
沈黙するテトラの前で、やや居心地が悪そうに咳払いしたハンバルが、マウラバルの淹れ直した紅茶を飲み込んだ。
テトラが目蓋を押し上げると、第三皇子付き従者は渋い顔をして、肩を竦める。
「私個人としては殿下には、もっと相応しい女性がいると思ってますがね? どのみち貴女から言い出せば、どう考えてもナンフェア王国の有責になります。先立つものが無いのに、無謀な挑戦はただの阿呆です」
「…………そうです、よね……」
容赦なく事実を重ねるハンバルに、テトラは肩を落とした。
テトラがシェルパの話を突っぱね、取り引きが出来なくなるのなら、リナンを通して農薬を購入すれば良い。初めはそうも考えた。
しかし連邦外の国交問題に発展する為、第三皇子では流石に介入できないのだ。
かと言って悠長に構える時間も、テトラには残されていない。
(……でも、やっぱり、わたしは国を守らなくちゃ。……わたしはこの国の、第一王女なんだから)
そもそも資金がないから、こんなに悩まなくてはならないのだ。
見通しが立てられないから、妥協案も選べない。
せめて国に、事態をひっくり返せるような、他の特産品でもあってくれたら──。
厳しい資金繰りの帳簿を睨みつけた直後、控えめに扉が叩かれる。
慌てて返事をすれば、ルーヴァロが冷や汗を流しつつ、顔を覗かせた。
「あ、姉上、大変です、……義兄上が、いらっしゃいました…………」
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