第21封 安牌にも金次第②





 堅い文章を噛み砕いて咀嚼すると、赦し難いほど脅迫的な内容であった。


 第一王子シェルパドゥーラと婚約しなければ、ナンフェア王国に対し殺虫剤含めた農薬の売買を、再検討せざるを得ない。

 その代わり婚約し、無事に夫婦となれば、いくらでも薬を譲るというものだった。


 テトラは多少あった淑女の装いなど捨て、封書をテーブルに叩きつけると、父に振り返る。


「冗談ではありません! こんなの、完全にこっちが有責の婚約破棄になっちゃうじゃないですか!! 無理に決まってるでしょう!?」

「そうなんです、姉上。第三皇子殿下から、これほど出資して頂いている身の上で……、もし返還する、なんて話になったら、到底無理なんですよ」


 怒り心頭のテトラに同意し、ルーヴァロは肩を落とした。


 シェルパがあの晩、色良い返事を貰えると豪語していたのは、こういう事だったのか。

 ナンフェア王国の窮地を救うため、ハルベナリア国に嫁ぎ、シェルパの花嫁になれという脅しである。しかしリナンから多額の支援金を得ている王国は、本当に逆立ちしても、更に宙返りしても、リナンに返す金などない。


 だが、ハルベナリア国から薬を購入できなければ、テトラの行動全てが本末転倒になってしまう。


 憤りと混乱で、視界が滲んだ。どこにも晴らせない悔しさも混じり、テトラは袖で目蓋を拭う。

 ルーヴァロが慰め寄り添ってくれ、その暖かさに尚更、口から嗚咽が漏れそうになった。


 腕を組んだまま険しい表情で黙していた父が、ふと力を抜いて椅子に腰を下ろした。

 父は封書を手に取り、皺のよった文章を眺め、改めてテトラを見つめる。


「テトラ。この問題を国王の立場から臨めば、私はお前を国の礎として、ハルベナリア国に嫁がせる事が最善だと考える」

「父上!?」


 静かに告げられた言葉に、ルーヴァロが驚いて声を上げた。

 しかしそれは黙殺され、感情の読めない双眸だけが、テトラの両目を見据えている。

 テトラは真っ青な顔をしたまま、けれども目尻から溢れた涙を拭って、父を見つめ返した。


 背筋を伸ばして顎を引き、凛とした佇まいを忘れず、両手の指先を腹の前で組む。

 民を導く王女の顔となった娘に、父は目を細めて口元に笑みを浮かべた。


「お前の意見を聞かせてくれ、テトラ」


 テトラは唾を飲み込み、渇いた口内を湿らせる。

 そして数秒の後、大きく息を吸い込んで口を開いた。



 ◇ ◇ ◇



 次の日。

 テトラは来賓客用の屋敷にある応接室で、ハンバルと対峙していた。

 陰険メガネはテーブルに広げた帳簿を、一つずつ丁寧に読み込んで、指先でメガネの縁を押し上げる。


「……ふむ。一切の用途不明金がない。素晴らしい」

「ありがとうございます」

「……、……その、ですね……貴方の国が、少ない資金を遣り繰りしながら、残っている民を守り、なんとか国の体裁を保っている、という事を理解しました。……申し訳ない、これほど、とは、……思わず……」


 ハンバルの顔色は、ここ最近で一番悪かった。紙のような白さである。

 父の方針で他国に対し、王族見栄を張っていたので、ギンゴー帝国でのテトラの様子だけを見れば、そう判断されるのも無理はないだろう。

 そういう意味で、父の作戦は成功しているとも言えた。


 使用人が居ないので、母が自ら管理する帳簿だ。用途不明金など出せないほど、必要経費を除いて、切り詰めるところは切り詰めている。


 年々、害虫被害で穀物の輸出量は減り、国の備蓄も少なく、宝石やドレス、城を売っても、まだ民の生活を護るには足りない。

 それでも明日の生活に怯える日々を、リナンの一声が変えてくれたのは事実だ。

 彼が惜しまず出資してくれるおかげで、根本を解決できる……はずだったのだ。


 ハンバルはもごもご呟いていたが、大きく咳払いをすると、再びメガネの縁を上げて背筋を伸ばす。

  

「それで、この帳簿を確認して、私に何をさせようと?」

「リナン殿下から受けた出資金を返金する際、お金が捻出できる項目があるか、教えて頂きたくて」


 パリーン! と派手な音を立てて、背後で食器が砕け散った。

 咄嗟に振り返ればマウラバルが、ギンゴー帝国から持ち込んだティーセットのソーサーを取り落としている。

 彼女は珍しく唖然とした顔で、テトラを凝視していた。


「侍女長!?」

「な、っなにを、なにをそんな、それはどういう意味で、仰っているのです?」


 上擦った声で詰め寄るミセスに、テトラは目を白黒させて眉を下げた。

 

「え、ええと、こちらの有責で婚約を破棄した場合は、出資金を返還しなければと思いまして」

「婚約破棄、ですか? なぜ? 貴女に責があることなど、今のところ何一つないでしょう」


 テトラが思う以上に、マウラバルは侍女としての彼女を買ってくれていたらしい。

 照れ臭さにはにかみつつ、テトラはテーブルに視線を戻して嘆息した。


「……状況が変わりまして。でも、本当に破棄する選択肢をとるかは、捻出できる金額の……」

「無理ですね」


 揺れるテトラの心境を一刀両断するように、ハンバルが割って入る。

 彼は帳簿の一つを取ると、丁寧にめくりながら眉間にくっきりと皺を寄せた。


 ハンバルはテトラに帳簿を見せながら、どの金額がどこに影響していて、母が一年の予算をどのように考えているか、懇切丁寧に説明し始める。

 真剣にそれを聞いていたテトラは、国の実情を改めて数字で見せつけられ、徐々に体を萎ませていった。


「切り詰めるところなど、もう見栄しかありません。どちらにせよ、無理です」

「で、では、その辺を……」

「いいえ、無理です。大前提として殿下は、婚約破棄など応じないでしょう。、行動しない人なんですから」


 同時に溜め息を吐き出した二人に、テトラは目を瞬かせた。


 



 


 



 

 

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