第20封 安牌にも金次第①




 馬車に揺られて約三日間。


 初めは小言の散弾銃であったハンバルも、ナンフェア王国領に入り、馬車にぶつかる羽虫の音を聞いて、次第に口数も少なくなった。

 畔道あぜみちを通り過ぎ、解体が進む城を目にすれば、口煩い男は完全に沈黙してしまう。


 久しぶりに見た領地の様子は、じわりじわりと衰退の一途を辿っていた。

 穀物の穂が揺れていたはずの地帯も、今は見る影もなく、残骸に虫が群がって朽ち果てている。


 城跡から少し奥まった場所に、庭園を構える屋敷が見えてきた。

 祖先がこの地を耕し始めた際に出土した、丈夫な石が使用されている屋敷は、陽の光によって色合いを変える。今は夕方に差し掛かっているので、壁面がほんのり赤く色付き、空に溶けていくような穏やかさがあった。


「……美しい屋敷ですね」


 馬車が停車し、先に降り立ったマウラバルが、テトラに片手を差し出しつつ目を瞬かせる。

 テトラは有り難く彼女の手をとり、先日購入した濃紺の侍女服の裾を持ち上げ、静かに昇降台を下りた。


「ありがとうございます。城を売り払った後、安く辺境伯のタウンハウスを買い上げたのです。辺境はその、害虫被害が酷くて、他国に避難してしまいましたから」


 照れ臭く笑うテトラに、マウラバルは目を細めて微かに眉を寄せる。

 御者に荷物の指示を出しながら、ハンバルも屋敷を見上げて、ぽかんと口を開けていた。


 屋敷の門を潜ると、リナンが手配してくれた使用人達が出迎えてくれる。

 これほど活気に溢れている屋敷を見るのは久しぶりで、テトラは少し胸が震えてしまった。

 同行してくれた二人に謝礼を伝え、エントランスから見える階段を指し示す。


「二階にはそこから。わたしは父母を呼んできますので、少し休んでいてください」

「……? 屋敷にご滞在ではないのですか?」


 ようやく我に返ったハンバルが、怪訝な顔で周囲を見渡した。


「ああ、はい。ここは来賓客用に整えている屋敷なので、我が家は別です」

「えっ」

「ちょっと待っててくださいね!」


 テトラはいそいそと走り去り、屋敷の裏口を退けていく。


 来賓客用に見栄えよく整備している屋敷の裏側。家族四人の住まいは、移住によって譲り受けた古民家を改修した屋敷だ。

 テトラが門柱を通り過ぎると、奥から掛け声が聞こえて目を瞬かせる。


「っせーの!」

「ふんぐぐぐ……っおっも……! 誰だよ井戸に岩なんて投げ入れたの……!!」

「王子、それでは腰がやられますよ……!」


 慌ててこじんまりした屋敷を回って、裏手にある井戸に走り寄った。

 そこでは、農作業用の服を着た父と弟、それから馬屋番の従者三人が、真っ赤な顔でロープを引っ張っている。


「みんな! どうしたの!?」

「姉上! お帰りなさい! どうもこうもないですよ、誰かが悪戯で井戸に岩を……!」


 岩の頭が井戸から見えてきているので、あと少しだろう。

 テトラはトランクを屋敷の壁に立てかけ、腕まくりをすると、馬屋番の後ろに回って同じくロープを引っ張った。蝶よ花よと育てられた姫と違い、それなりに力持ちなのである。

 四人で声を掛け合いながら、ようやく、落ちていた岩が井戸の外へ転がり落ちた。


 へとへとに地面へ座り込み、隣に座った弟が、長く息を吐き出す。

 袖で汗を拭いた父は、朗らかに笑って、子供達に両手を差し出した。


「おかえり、テトラ。ルーヴァロ、疲れただろうが、姉君に湯の用意を」

「はい、ただいま帰りました、お父さま」

「はい、父上」

「…………あの……、オービス王女殿下……?」


 父の腕を借りて起き上がった姉弟は、背後から控えめに声をかけられ、振り返る。


 そこには裏口を出て様子を見にきたらしい、ハンバルとマウラバルが、目を丸くして立ち尽くしていた。



 ◇ ◇ ◇



「よくおいで下さいましたね」

「い、いえ! 美しき黄金の月、ナンフェア王国テティシャル・オービス王妃陛下にご挨拶申し上げます」


 母が柔和に笑い、テーブルの向かい側で、カチコチに頭を下げるハンバルを見つめる。

 対する男の顔は、眼鏡が曇るほど上気してして、隣で紅茶を淹れるマウラバルですら、惚けた様子で母を一瞥していた。


 テトラは部屋の隅で、満足げにうんうんと頷いた。


 農作業によってささくれた指だろうが、艶不足でほつれた髪だろうが、そんな些事などどうでも良くなる程、母は絶世の美女なのである。母が静かに微笑むだけで、国が傾くと言われるほどだ。


 侍女服から軽装のワンピースに着替えたテトラは、母にハンバルの相手を頼み、父の書斎に足を踏み入れる。

 書斎といっても、夫婦の寝室も兼ねているので、机一つの小さなスペースだ。


 こちらも着替えた父が、不安そうなルーヴァロを伴い、テトラに封書を差し出す。


「先日、ハルベナリア国の使者がこれを届けに」

「……わたし宛の、第一王子からの求婚の書面、ですね」

「知ってたんですか、姉上?」

「うん、シェルパドゥーラ殿下から、直接言われたわ。書面を送ったって」


 流石に夜中に訪ねてこられた、とは言えないため、城の中で遭遇したとだけ伝えると、父は険しい顔で腕を組む。


「第三皇子殿下は本当に、テトラを守ってはくれないのか」

「いえ、殿下が来れない時を狙って、話しかけられました。……リナン殿下は、その、意外と、良い方ですよ」


 なんとなく肩を持つ発言をしてしまうと、弟のルーヴァロが、目を輝かせて父を見上げた。

 苦笑して息子の頭を撫でる父に、テトラは封書を開きながら目を瞬かせると、ルーヴァロが先に口を開いた。


「姉上、おれ、早く義兄上と話したいです」

「…………気が早いわよルーヴァロ」


 ルーヴァロの相手はいつもテトラであった為、義理でも男兄弟が出来る事が、嬉しくて仕方がないのだろう。

 可愛い弟に父と同じく苦笑しつつ、テトラはようやく決心して、書面に視線を落とした。


 そして書かれた文面を追いかける内、どんどん表情が険しくなっていく。


「な、……なに、これ、なによこれっ! っ婚約しないと、薬の売買は考えさせてくれってこと……!?」


 


 





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