第17封 デートであれば急接近⑤





 テトラは呆けた顔でリナンを見上げ、目を瞬かせる。

 自分はどうやら、婚約者に押し倒されているらしい。他人事のように思考を整理してから、思い切り顔に熱が上がった。

 変な声が口から漏れそうになり、慌てて引き結ぶと、オロオロと視線を迷わせる。


 テトラの様子を見下ろしていた彼は、癖になった溜め息を吐いて、絡めていた指を離した。

 意外としっかりした男らしい手が、散らばった装飾品を拾い上げて、サイドテーブルに置いていく。


「……悪い。驚かせた」

「い、いえ、……でも、あの、……殿下は、わたしの事は、その、そういう目で見ていないのかと……」


 未だテトラの心臓は、バクバクと駆け抜けていた。

 相手は自身の婚約者であり、素性も知れた未来の夫である。嫌悪感があるわけではない。それでも驚きすぎて、両手で真っ赤になった頬を挟んだ。

 なんとか上体を起こしつつリナンを窺うと、彼は眉間に皺を寄せてテトラを見つめている。


「見てない。言っただろ、俺とお前は、互いの利害が一致したからこそ婚約した。そこに誠意も情も愛も要らん」

「それは、……言ってましたが」

「要るって言った瞬間から、俺はただのクソ野郎だ。そんなもんに成り下がるくらいなら、俺は何も要らない」


 間接的なのに直球的にしか捉えられない言葉に、テトラは今度こそ言葉を失った。

 リナンは不機嫌を絵に描いたような表情で、ずっと彼女を見つめている。それなのに瞳はどこか熱っぽく、テトラはそろ、とベッドから離れた。


 乱れた侍女服や髪を手早く直し、両手を胸の前に引き寄せる。


「……殿下、あの、……わたしに婚約を持ちかけて下さったとき、わたし、もしかしたら……、重要なことを、聞いていなかったのかも、しれません」

は全部話してる」


 普段通りの突き放す言い方なのに、どこか覇気がない。


 (……いえ、違う、絶対に一番、聞いとかなくちゃならない事を、殿下は話して下さってない……!)

 

 テトラは確かに、デビュタントが過ぎたばかりの小娘だが、そこまで何もかも疎いわけではない。

 食い下がろうとするテトラに、リナンは片手を軽く払って、扉を顎で示した。


「今日はもう下がれ。俺も疲れた」

「殿下」

「下がれ」


 強めに命じられてしまえば、侍女であるテトラはこれ以上、留まることが出来ない。下手に攻防を長引かせては、思い違いをする侍女の二例目として、マウラバルの信頼も失ってしまう。

 彼女は姿勢を正して一礼すると、リナンの横をすり抜けた。


 扉の開閉に合わせて再度頭を下げ、廊下に踏み出し後ろ手に閉める。

 傍で控えていたシラストが、赤くなったり青くなったり百面相しつつ、テトラの前に膝をついた。


「て、テトラ様、殿下が狼藉を働いてはいま……、……何か、ございましたか?」


 目を丸くする近衛騎士に、テトラは答えることが出来ない。

 彼女の心臓はやはり、バクバクと暴れ回って、身体中に血液を押し流していた。


「…………シラストさま。……わたし、リナン殿下から、……とても大事な話を、聞いていないような、気もします」


 彼が絶対の信頼を置いているシラストなら、知っているだろうか。

 一縷の望みをかけ、か細い声で伝えれば、シラストは息をのんで瞠目する。

 そして眉尻を下げながら、困った顔で笑みをこぼした。


「──そうですね。ですが今の状況では、それを伝えられないのです」

「どうしてですか?」

「金をチラつかせて、貴女に返答を強要することと、変わらないからです」


 シラストは立ち上がり、扉の向こう側へ馳せるように、表情を和らげる。


 デビュタントの晩。もしリナンに、資金を融資する代わりに、婚約者兼侍女になれと言われず、を言われたら。

 おそらくテトラは、一連の流れと同じように、足元を見られていると思っただろう。

 彼の本心が込められていても、それで資金を得られるなら、その気がなくとも悪くない選択だと、そう思ったに違いない。

 何せテトラは、婚約者を射止めて一攫千金だと意気込んで、大物が釣れたと喜ぶくらいの女なのだ。


「……ですが、そのご様子ですと、殿下も脈ありということでしょうか」

「みゃっ……く、は、どうでしょう、ないと生きていけませんから…………」


 つい、焦って突拍子もない返答をしてしまったテトラに、シラストは再度目を丸くすると、朗らかに口角を上げる。


「加点方式を採用するなら、今の回答は百億点ですね」

「っ、っ、失礼します!」


 これ以上は失態を晒すと危機感が募り、テトラは真っ赤な顔で慌てて頭を下げ、廊下を小走りに走っていく。

 両手を当てた頬は熱く、ふわふわと揺れるような感情に浸っていた。

 


 



 


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