第14封 デートであれば急接近②
(……わたしは、いつも通りだけど、ナンフェア王国は少しずつ、きっと良い方向に動いてる)
水仕事も厭わず行うテトラの両手は、全体的に赤らんでひび割れている。ペールオレンジの髪も相変わらず艶がなく、きっちりまとめて誤魔化しているだけで、ぽさぽさと傷んでいた。
家族から届いた手紙には、リナンの融資が始まっているので、王国の事は心配するなと書いてあった。
帝国より派遣された使用人たちも、良く働いてくれているという。
披露宴を楽しみにしていると、柔らかな文字で締めくくられた文章の端から、テトラを案じる心が窺えた。
(……よし!)
テトラは両手を握りしめると、店主に声をかけ、先ほどの衣服を含めた数点を試着する。
既製品とはいえ、購入者に合わせた手直しが必要になる。体型に合わせて丈やゆきを詰めてもらい、出来上がったら再度取りに来る仕組みだった。
ハンバルが店主に掛け合い、貸し切りにしてくれていたおかげで、時間も掛からず終了する。
満足な顔で戻ってきたテトラに、すっかり手持ち無沙汰になっていたリナンが、面倒そうに視線を上げた。
「終わったのか?」
「はい! ありがとうございます、
外で殿下とは言えないので、公爵閣下、と呼ぶ事になっている。
リナンはやはり微妙な顔をしていたが、長い溜め息を吐いて、ニコニコとしている店主に声をかけていた。
再び馬車に戻ってハンバルと合流し、出立する前にテトラは表情を引き締め、口を開く。
「殿下。差し出がましいお願いで申し訳ございませんが、今からわたしとデートして下さいませんか?」
「はぁ?」
シラストとハンバルが同時に吹き出し、リナンが胡乱げに眉を寄せた。
三人の反応も無理ないだろう。テトラもこんな状況でなければ、もう少し言葉を選んだところである。
「婚約披露宴に向けて、武装を整えたいんです」
「武装ってなんだよ」
「我が国の、引いてはわたしの、帝国での扱いは押して知るべしでしょう。このまま披露宴に望めば、周囲から、嘲笑の的になる事は必須です。なので、
「…………それで?」
「リナン殿下。わたしは
リナンの双眸が微かに見開かれた。
ハンバルが何事か口を挟みかけたが、シラストが片手を口元に叩きつけて阻止し、固唾を飲む。
先ほどのように一人で物色していては、リナンの雰囲気を掴むドレスや宝石が選びにくい。なので今この瞬間だけで良いので、婚約者として振る舞ってほしいのだ。
隣り合って見つめていると、第三皇子は緩やかに視線を逸らす。そして片手で頭を掻き、至極疎ましいと言わんばかりの長い息を吐いて、テトラを一瞥した。
「好きにしろよ」
「ありがとうございます! では、バードレイン宝石店へお願いします」
言質は取ったぞ! と心の中で拳を振り上げ、テトラは御者に、有名店だと聞き齧った宝石店の名前を伝える。
そうすればモゴモゴとしていたハンバルが、ギョッとしてシラストの腕を押し除けた。
「そっそこは帝国内でも、名店中の名店ですよ!? 貴女のような田舎者が行くところではありません!!」
「え、そんなに格式高いんですか?」
他の侍女や下女の会話で、有名店だと話題になっていたのを聞いただけで、テトラは内情を知らない。
母国にはそこまで高額な商品を扱う店がないので、つい、そのつもりになっていた。
そこまで格式が高いのなら、服装だけで門前払いになってしまいかねない。
片手を頬に当てて考え込むテトラに、シラストが眉を下げた。
「いえ、入店自体は問題ないかと思います」
「そうなんですか?」
「はい。バードレイン宝石店は、王家御用達でもありますし、リナン殿下が城下に降りた際、立ち寄る店の一つですから」
「あら……つまり問題があるのは、わたしだけ、という事ですね」
先ほど換金してきた宝石類の一部は、その店から安価なものを付き合いで購入したのだという。
テトラは思案した後、馬車の足元に置いていたトランクを引き寄せた。
「それなら、ちょっと小細工しましょう」
トランクを膝に乗せて、留め具を外す。揺れに気をつけながら開け、中から装飾品を見繕った。
流石に着替えはなく、火打ち石色の侍女服なので効果は薄いが、多少のハッタリなら通用するだろう。
テトラは慣れた手つきで髪留めを外し、甘やかな色合いの長髪を三人の前に晒した。
両側のもみあげから垂れるひと房を残し、手早く三つ編みにして、後頭部で一回転させるように纏め上げる。
手持ちの中でも、緑の色味が強い髪留めを付け直し、後れ毛を指先で払った。
胸元を飾るネックレスは、複雑なカットが施された水晶を下げる。陽光が当たると、着用している衣類の色が中で屈折し、神秘的な色合いへ変化するお気に入りだった。
トランクの留め具をかけ、再び足元に置くと、軽く己の顔を叩いて目蓋を閉じた。
今からの自分は、侍女ではなく、王女だ。
ハンバルが唾を飛ばすほどの名店なら、小手先三寸のテトラは直ぐに見破られてしまうだろう。
リナンの色を纏い、自分自身を守る為に、女は度胸といかなくては。
何度か大きく深呼吸をして、気持ちを切り替える。
程なくして馬車が停車し、御者の声が聞こえ、扉が開かれた。
ゆっくりと目蓋を開けた瞬間から、テトラは口元に笑みを乗せる。
御者が扉を開けても、普段なら即座に離席するシラストが、口を半開きにしたまま固まっていた。
ハンバルは口を何度も開閉させ、しかし何も言葉が出ず、緊張に青褪めた顔のまま座席で腰を抜かしている。
視線の動きや指先一つまで気を配り、テトラは目を細めて、隣に座るリナンを見上げた。
硬直している彼に微笑み、姿勢を正したまま、しなやかに指先で水晶に触れる。
「ナルツ閣下」
城下で使用しているという、偽名に呼びかければ、彼の指先が微かに動いた。
「エスコートして、頂けますか?」
精一杯を取り繕う美しい王女は、
リナンはどこか慎重にその手を取り、テトラの肩を引き寄せた。
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