第1話
高校生になると名前で弄られることもなくなる。よく言えば年々生きやすくなっているし、悪く言えばそういう個々人の特異性のようなものは興味を持たれなくなっていくということなんだろう。僕は僕で、クラスメイトはクラスメイトだけど、そこにある自分との差異、みたいなものを気にするレベルというのは年々鈍化する。小学生の時は苗字みたいな名前のちょっとした違い、ちょっとした浮いている部分、そんなところに良くも悪くも人は気づく。それが自分の唯一性――自分の世界の発見だからだ。でも、それはいいことだけじゃない。僕の名前が笑われたように、そんな想像力、違いに気づく視点みたいなものが容易に自分達と、自分達ではない存在、に分けてしまって排斥が起こる。
初めのうちはそれでも問題ない。でも排斥をしているうちに、また別の違いに気づいてしまう。無くて七癖なんて言うけれど、違いの無い人なんていない。それに気づかれるのが早いか遅いかの違いでしかないのだ。ちょっとした違いに気づかれるのは、良くも悪くも存在が世界の中で比重が大きいということなんだ。
でも僕はそんな比重が軽くなっていくこと大歓迎。名前を弄られることが無くなるの大歓迎。僕は人にとやかく言われるまでもなく自我を保つ鍛錬が出来ている!
なぜなら小学校中学校をぼっちで過ごしたから! 友達がいなかったから! 皆、大人になって一人でいることにも触れられなかったから! 高校に進学して、同じ中学校だった人たちもいるけど、入学式の時に誰も僕に気づかなかったから! うわあああ!
そんな中学校時代の古傷を感じながらも僕は思考を切り替える。誰にも覚えられていないってことはポジティブな側面だってあるはずなんだ。物事には常に異なる視点が存在していて、それは絶えず揺らいでいるはずなんだ。どちらを選ぶかというのが僕の人生を左右させるのなら少しでも陽の当たる道を選んでいきたい。そういうわけで高校入学を機に僕は決意する。
友達が欲しい! 友達を作ろう!
そうなったのなら善は急げ! 入学式はボーナスタイム! 誰に声をかけても大抵知らない同士で「同じ新入生だよね!」というのが話す理由になるので話しかけても問題なし! というかそういう風に思わないと怖くて話しかけられないです!
僕は入学式の会場を出た瞬間から全身の感覚を集中させる。どんな物事にもタイミングがある。バスケットボールでシュートを決める選手が(バスケやったことないけど)ゼロコンマ一秒単位で自分の肉体のタイミングを測るように(肉体のタイミングなんてわかったことないけど!)、まだ付き合っていない人とのデート(デート以下略)で「付き合ってください」という決定的な話を切り出す瞬間を相手との呼吸とか会話の流れで測るように(付き合ったこと以下略)、僕は教室までの流れで隣にいる人に話しかけなくてはいけないのだ!
最初が肝心なはずだ。話しかけるというのはそれなりに精神的なリソースがいることだから、話題を降るだけで大抵の相手の場合、乗ってくれるはずだ、そうだと信じたい。入学式は誰だって不安だから仲間を作りたいはずだ。そうであってください!
隣の人が露骨に誰か中学からの知り合いと仲良さげに話をしているわけでないのなら、僕が声をかけることで新生活の不安を軽減する、という利益が生じるはずだ。だから僕がいきなり入学式の後に隣の人に声をかけるのはおかしなことじゃない! 当然の流れ! これこそが入学式にやるべきこと! だから僕が声をかけるのは正当なんだ! 頑張れ僕!
と思って僕は声をかけることにする。相手が話しかけやすい雰囲気かどうかとか、大人しそうか元気そうかとか、性別がどうだとか、そういうことを考えてはいけない。何故ならこれから僕は「お互いこの学校初めて同士だから仲良くしませんか?」というアクションを起こすのだ。そこにそういう打算を入れてはいけない。打算は案外人に見抜かれるものだから、僕は声をかける相手は選ばない。そう、今こうして入学式を終えて教室まで歩いている人並みの中で隣にいる人、その人にこそ全身全霊を込めてたわいのない話を振ってみる、それこそがこれからの高校生活を作る第一歩になるはずなのだ!
そうして僕は声をかける。隣を見て、その姿をしっかりと認識する前に声を出す。(相手を認識すると僕は震え上がって声が出なくなるからなんかでは断じてないんです)
「あ、あの! 入学式、校長先生の話長かったですネ!?」
「は?」
僕に返された言葉はそれだった。その瞬間に僕は思う。
終わった。
何事も最初が肝心。それは外側から見た成功不成功とかだけではない。僕のメンタルの問題なんだ。僕は完全に今のリアクションで心が折れてしまった。
こ、怖い! 人に話しかけるの怖すぎる!
と、思うのだけど隣のいた人の様子がおかしい。「アンタ……どうして」とか呟いていて、さっきの「は?」は僕が話しかけたことに対しての不愉快な感情としての「は?」ではなくて想定外、まさか人に声をかけられるとは思っていなかったという意味の「は?」であるようなニュアンスが滲んでいる。
ただ僕はその言葉に想いを馳せるどころではなかった。その声をかけた相手が、よりによって僕なんかが声をかけるには烏滸がましいくらいに眩しい雰囲気の女生徒だったからだ。
住む世界が違う。そう、思った。まず目に留まるのは艶やかな金色の髪で、ミックス?あるいはクォーターと呼ばれるルーツの人なのかもしれないなと僕は考える。目尻は鋭く、もしもそれで睨まれたら僕は震え上がるしなんだったら学校も即不登校即留年コースまっしぐらかもしれないな、なんてほど凛々しかった。全身に纏う空気みたいなものが異質だった。僕の名前の異質さ、ってのは舐められる、見下すための動機になるような異質さだったけど控えめにいっても彼女の異質さは格が違う。僕と違って高貴と分類されるような印象を人に与える空気、そういう感じだった。
「アンタ、なんで私に声かけようと思ったの」
そんなことを考えていると、想像した悪い方向に物事は運ぶ。睨まれたら僕は〜なんて思っていたらびっくりするほど鋭い、尖りすぎていて刺し殺されそうな視線で彼女は僕を見てそう聞いてくる。
「え、いや、入学式ですし、こう、人と交流を……したくて……ですね……」
話せば話すほど、完全に人里を遠く離れた人語を介する悲哀に満ちた鬼のような言葉になっていく。オデ、ニンゲン、スキ。
「そうじゃなくて、なんで私に声をかけたわけ?」
ただ隣にいたからです。なんて言えるわけがない。これは高度なコミュニケーションが求められている! 誰でも良かったというのは相手を軽んじているかのような印象を与える表現なので、良くない! だからでっち上げでもいい、相手に興味があるということをちゃんと示していかないといけない! 僕は
「き、気が合うかなと思いまして……」
「ハァ?」
嗚呼! 今度の「ハァ?」は完全に「何言ってんだコイツ」の「ハァ!?」だ! 僕にはわかる! わかってしまう! 許してください! 出来心だったんです!
そんな言葉にならない声を自分の内側で響かせていると彼女は僕の胸のあたりをじっと見つめている。何か付いていただろうか? 入学初日から制服を汚すのも嫌だったから朝ごはんを食べてから制服に着替えたし、登校中も転んだり、水溜りをトラックが通過して飛沫がかかったりなんてことも無かった。普通、そう、僕が制服を着ていることを「異常」とバカにする意図でもなければ普通に見えるはずだ。
でも、人に見つめられる。視線に晒されるという経験自体、中学校で殆ど人と関わらなかった反動で緊張感が凄い。思わず言葉を失ってしまう。
「出来かけ、か。道理でね」
そう彼女が呟いて、スタスタと人波を掻き分けて先に進んで行ってしまう。僕も追いかけようとするけど、彼女の進む速度はあまりにも早い。僕が進もうとしても人を避けていかないといけないのに、彼女が人波を歩いていく様はまるで目の前の人が避けているかのようにスムーズだ。僕はあっという間に人波で彼女を見失う。
それが今思えば全ての始まり。僕と伊橋さんとの出逢いだった。
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