逃げられるわけが無いだろ その1

 我が姉に怪訝な眼差しを向けられようとも、梅吉は死んだ魚のような目をしたままよろよろと往来を歩いていた。


「……あのさ、私が変な目で見られるから、いい加減立ち直って欲しいんだけど」

「無理」


 姉の言葉をばっさりと切り捨てる。何故梅吉がボロ雑巾のような状態と化しているのか。

 簡単な話だ、性転換病患者向けカウンセリングでメンタルをやられた為である。やはりあれはカウンセリングという名前で行われた、合法的な集団リンチだと思うのだが。何故あのようなものが義務付けられているのか不思議で仕方がない。


「近況を話すと七割方『順調に一般的な性転換病の経過を辿ってますね〜』とか言われんだぞ?!死ぬわ!」

「傍から見てて思ったけど、珍しい病気だしって事でサンプルが少ないとかで医者側も好奇心百パーとかなんじゃないの?多分」

「少なくともあの病院には多分青仁もかかってるんだからそっちで満足しとけよ!」


 当たり前と言えば当たり前だが、性転換病なんていう珍しいトンチキ病はそこら辺の病院では取り合ってくれない。故に梅吉はこうして成人している姉を保護者として、電車に乗って大きい病院へと行ってきたのである。ついでに言えば聞いたことはないが比較的近所に住んでいる青仁も、ほぼ確実に同じ病院のお世話になっている。


「ていうかあんたレアケースらしいじゃない。だからってのもあるんじゃないの?七割型普通だって言うなら、残り三割は普通じゃなかったんだから」

「……それもそれで、死ぬほど腑に落ちないんだけど」


 どうやらいつかの梅吉と青仁を撃沈させたようなウェブサイトの内容こそが、性転換病の実態らしい。梅吉はあれをパラレルワールドのウェブサイトだと頑なに信じ込んでいたのだが、あれが普通だと笑顔で医者に切り捨てられた。現実を突きつける仕事だからって、そんな所まで突きつけなくてもいいだろ。

 とはいえ梅吉だって七割は一般人らしいので、つまりはその残り三割に人間関係にまつわる諸々が詰まっているわけだが。


「まああんたの場合は環境変えてないのに適応してるってのがあるんでしょうね。一般的には無理矢理にでも環境を変えなきゃ、どうにもならないみたいだから」

「どうにかなってるか?」


 女の子と一切接点が持てていない現状のどこがどうにかなっていると言うのだ。おかしいだろう、という本音を飲み込んで姉に問いかけるも、姉はゆるりと梅吉の言葉を否定する。


「なってるでしょ。現にあんたは、私から見てまだまだ弟のままよ。医者は普通、学生の場合発症から二、三ヶ月経つと性転換後の性別として一般的って判断される一人称とか口調とかに適応してることが多いって言ってたでしょ?多分あれ、そうしなきゃやってられなかったのよ。環境をリセットして、最初から変わった後の性別で生きてきたかのように振る舞わなきゃ。特に年中無休で内ゲバしてるのがデフォルトな上、死ぬほど閉鎖的な中高生の女子は」

「……現状を受け入れられてるのが珍しいってことか」


 これまた腑に落ちないが、姉はこくりと頷く。どうにも梅吉にとっての普通は目の前の現実であるが故に、正直あまり実感はわかなかった。たしかにクラスメイトは当初変わり果てた梅吉に困惑して緑を派遣していたし、まあある程度は梅吉の外見につられてぎくしゃくしているが、逆に言えばその程度で済んでいるだろう、と姉は言いたいらしい。

 現に梅吉にはまだ、女子の内ゲバやら閉鎖性だとかはわからない。それが良い事なのかも、いずれ理解してしまうのかもわからないが。きっと世間から見たら、梅吉は男のままで居られている。


 ……しかし、最初医者に転校するなら便宜をはかりますよ、と言われたのはこのためなのだろう。たしかに環境をリセットしたいならそれが一番手っ取り早い。普通に現状が気に入っているので何を言われているのかわからず、当時は首をひねっていたが。


「そういうことよ。むしろなんであんた受け入れられてるわけ?」

「知らん。多分女の子なのは外見だけって正しく理解されてる」

「その死ぬほど冷静な判断はどこから来たのよ、人間なんて外見にめちゃくちゃ左右される生き物なのに」

「いやオレも知らないって。むしろまともに女子扱いされたこと……あったか?」


 しいて言うなら梅吉と青仁が話している時に緑が会話に参加すると、緑が処刑されるのは女子扱いかもしれないが。何か違う気がしたのと、どう姉に伝えれば良いのかわからなかったため、適当に首をかしげておく。


「本当になんでそうな、あー……」


 梅吉が思考の海に沈んでいると、姉が何かに気が付いたのか、少し目を見開いて呻いた。


「青仁くんがいるから、レアケースなんだ」

「?」


 何故ここで青仁が出てくるのだろう。どう考えても梅吉単体だろうが青仁とセットだろうが、対女子コミュ力は何も変わらないと思うのだが。二人のコミュ力が合わさったとしても、小数点以下のコミュ力同士じゃ正の数にすら至れないというのに、それのどこがレアケースに繋がると。


「あんた何ぽかんとしてんのよ。性転換病ってかかる人少ないんでしょ?そんなのが同じ学校に二人もいたら、そりゃあレアケースにもなるなって」

「あ、あー……」


 たしかにそれは、姉の言う通りであった。


「しかも元から同性の友達同士だった相手でしょ?一般的な発症者より圧倒的に心強いに決まってる。同じ状況の見知った仲間がいるんだから。それに、完全な単独で挑むよりも少しでも人数が多い方が、集団は異物を受け入れやすい。だからある程度、社会的なイメージの影響を受けずにいられる」


 姉の話を聞きながら、ふと思う。もし青仁が男のままで、梅吉だけが女の子になってしまっていたとしたら。正直、考えたくもない。確実に青仁との仲は保てていないだろう。


 クラスメイトの童貞共は梅吉にまともに対応できないだろうから、必然的に女子の間でたらい回しにされていただろうが。そんな自分は、まるで想像がつかない。そしてきっと想像できない事こそが、梅吉がレアケースであることの証左だ。

 果たして空想の中の自分は女子に適応してしまったのか。それともできずに、孤立していったのか。考えるだけで頭が痛いので、もうこれ以上考えるつもりはないが。


 青仁という友達がいなくなってしまった梅吉は、とても寂しい思いをするだろうという事だけは確かだ。


「……オレは、めちゃくちゃ運が良いのか」

「多分ね。身体的には女でも、比較的素のまま学校生活を送れてるんだから」

「なんか複雑だな」


 つまりは梅吉と青仁、二人が同時に性転換病を発症してしまった現在こそが最適解に近しいのだ。少なくとも片方だけよりは、余程。


 故に二人の関係性が別の意味で意味不明理解不能な謎恋人関係(?)に落ち着いている事は必要経費と捉えろと?流石に無理があるだろ。


「まああんたもわかってると思うけど、これが通じるのは周囲が事情を知ってる高校の間だけよ。あと一、二年で否が応でも卒業して人間関係がリセットされたら、あんただって他人事じゃなくなるんだから」

「……知ってる」


 それは、カウンセリングと称して対話した医者にも伝えられたことだ。梅吉が梅吉らしく振る舞えているのはあくまで今だけのことだと。そのうち周囲の目も厳しくなる、演技でも良いからある程度違和感がないように女性らしく振る舞えるようになるべきだ、と。

 多様性の権化みたいなこのトンチキ病が現れてそれなりに経っているはずだが、未だ世間にはステレオタイプな女性像・男性像が蔓延っている。そう簡単に常識は変われないのだ。


「あ〜考えたく無ぇ〜オレが外いる間はずっと『わたし』とか言わなくちゃいけなくなるんだろ?なんかめちゃくちゃ気持ち悪い」

「真面目な話、社会人になったら一人称は私固定なんだからそこはよくない?」

「いやでもなあ、それとこれとは別物だろ」


 素で女の子らしく振る舞う自分とか、完全に別人だろう。……と梅吉は心底思うが。

 今現在のスカートを履くことを受け入れ、ついでに中が見えてしまわないように振る舞うことができるようになってしまった梅吉を女の子になる前の梅吉が見たら、こんなのオレじゃないと言い切るだろう。


 つまりは、最早手遅れなのである。


 何だったら多分潔く諦めた方が余程精神的なダメージが少ない。まあここで諦められたら世の人間の大半は精神を病まないだろう。つまりそういう事である。


「まあとにかく私が言えることは、女の先輩として腹括っとけってぐらいで」

「最後のまとめ方が雑すぎないか?」

「は?私がなんかいい感じのこと言えるわけないでしょ、何期待してんのよ」


 深く考えたらお先真っ暗!的な気持ちになりそうなので思考をアホな方向へと飛ばす。具体的には転校して人間関係リセットしたら、女の子とお近付きになれたのだろうかという話に。

 ……結論から言うと、自滅覚悟で女子校にでも突撃しない限り無理そうである。


「知ってる。ってことで姉貴、いい加減ペーパードライバーを卒業する気は無いか?姉貴が運転したらこんな感じで病院から駅まで長々と歩く必要無くなるんだけど」

「梅吉が早く18になって免許取ればいいじゃない。私はもう一生ペーパーの称号と共に生きると決めたんだから」

「いやお前それ宣言したの車校で初めて公道に出た直後だっただろ……早すぎるだろ……」


 なんかうっかり人を轢きそうで怖い、と珍しく半泣きで拒否したのだ。そういう所でチキるタイプでは無いと思っていたのだが、そうでも無かったらしい。


「別にいいでしょ。車校でも試験終わったら一生乗らない!とか言ってる人いたし」

「金をドブに投げ捨ててないか?それ」

「一応対価として一般常識レベルの交通ルールと便利な身分証明書を得られるんだから別に良いでしょ。後ほら、何事も経験ってやつよ」


 何かいい感じに誤魔化しているが、結局姉がチキンを発動したということには代わりないので梅吉は微妙な眼差しを姉に向けると同時に、自らはこうはなるまいと心の中で誓った。

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