現実を直視させる回

「あおひと、そらってきれいなんだな」

「現実見ろよ梅吉」


 とある放課後、ファミレスの奥まったボックス席にて梅吉と青仁は相対していた。二人の間には二枚の紙が置かれている。それぞれ内容は同じだが、書かれている名前だけは異なるそれは、残念ながら学校関連の書類ではない。つまり──


「は?『女性に性転換してから精神的なものを含め何かしら変化はありましたか?些細な事まで含め記述してください』とかいう恐怖をお前は直視できるっていうのか?じゃあ今すぐ書けよオレの目の前でさあ!」


 病院による性転換病患者向けカウンセリングの問診票であった。当たり前だが性転換病に罹患するとホルモンバランスが崩れるどころの騒ぎでは無くなる上、身体が異性のものへと変じるというどう考えても精神に負荷を与える症状が発生する為、こうして定期的なカウンセリングが義務付けられているのである。

 とはいえその問診票そのものが現在進行形で二人の心を抉っているので、本当にカウンセリングに意味があるのか疑問ではあるが。


「無理に決まってんだろこの手のことでお前ができなかったら俺も出来るわけ無えんだよ!」

「ほらなあ!」


 しかしいくら二人が足掻こうとも、同時期に発症した二人に同時期にこれを書いて病院に来てね!と言われている時点で最早逃げられないのである。

 救いはないんですか?そこになければないですね、と梅吉が脳内で自己完結していると、青仁が飲み物ドブをストローで吸込もうとしていた。


「んごっ?!あだめだこれストローで吸えない。なんかめっちゃもったりしてる」

「何をどうしたらドリンクバーで粘性が生まれるんだよおかしいだろ」


 そうして彩やかにシリアスを破壊していく。流石である。元々この為に梅吉は青仁をファミレスに連れ込んだので、計画が成功したという事だろう。青仁とドリンクバーの組み合わせは最凶なので。


「何言ってるんだ梅吉?こういう事はまれによく起きるぞ」

「いや絶対に起きないから」

「具体的に言うと特に何もエロいこと無かったのにちんこが勝手に勃起するぐらいの頻度で」

「まれによく起きちゃまずいことを起こすな」

「ドリンクバーの神秘は起こるべくして起きたことだろ何言ってんだ梅吉……あ、女の子になっちゃってからの精神的な変化思いついた、あんまり抜きたくならない」

「ツッコミどころを渋滞させるな!」


 収拾がつかなくなってきた為ひとまず一喝する。

 というか何故梅吉は対シリアス破壊最終兵器を解き放った筈なのに、いつの間にか最終兵器自身に裏切られて真面目な話に引き戻さ……いやこれは真面目な話なのだろうか?


「えっ梅吉は違うのか?あそっかお前生理中ムラムラしたりするぐらい性欲大魔神だもんな」

「男子高校生なんか全員性欲大魔神だろさも自分は関係ないみたいなツラすんじゃねえよ!」

「でも今俺身体的にはじょ、女子高生だし。う、梅吉だって関係ないだろ?」

「……」


 青仁の自爆特攻そのものな発言に、青仁諸共梅吉はファミレスのテーブルに沈んだ。


「……青仁、ひとまずこの話はやめよう。あらゆる意味で危険すぎる。というかファミレスで美少女二人がするような話じゃない」

「そうだな……でもこれ以外の話こそ危険すぎないか?主に俺らの心へのダメージが」

「よーし青仁今から紙飛行機大会を開催しようぜ!使う紙はこれな!」

「紙飛行機の折り跡ついてる問診票、闇深すぎないか?」

「なんか漫画にありそうだよな」

「俺知ってる、ヒロインが余命○日とか言ってる類いのやつで、病室から飛ばした紙飛行機が男の後頭部に直撃するんだろ」

「あまりにも無意味な解像度の高さ」


 先程から精神がぐちゃっている梅吉によりアホ発言が飛び出した結果、現実逃避気味に会話が意味不明な方向性へと転がっていく。それ程までに、この問診票は二人にとってストレスの塊なのだ。

 好ましくない変化を直視できるほど、一般的な高校生のメンタルは強くない。


「てかよくよく考えたら女の子って抜くって言わないのでは?抜くものついてないし」

「そこに話を戻すな。戻す場所間違えてんだよ」

「だって下ネタって俺らのスタート地点的な節があるだろ……ほらあれだよ、初心に戻るってやつ」

「下ネタが初心に含まれたらこの世は終わりだっつの!あと女の子ってそもそも本当にひ、一人でしてるのか?その手のやつだとめっちゃしてる子と性的知識皆無で何もしたことない子とって色々あるだろ、どこまでネットのエロ知識が正しいのかマジでわからん」

「えー『性転換病患者 自慰 頻度』で検索っと」

「おい馬鹿やめろ!」


 ぐだぐだ言いつつ結局下ネタから逃れられていない元男子高校生・現女子高校生であった。


「──青仁。こういうのは先手を取ったほうが圧倒的に有利だとオレは知っている」

「ちょ、おま」


 とはいえいつまでも現実逃避をしている訳にもいかないのだ。一通り馬鹿騒ぎをした後、梅吉はシリアス面をして、状況についていけていない青仁を置いてけぼりに自らの手で戦いの火蓋を切った。



「お前、精神的に弱るとスキンシップ多くなるよn」

「うぼびgdhうぇqふぁえでgwあ゛ーーーーーーーーーー!」



 最早言語という人間が持ちうる最大の武器すらも捨てて、獣へと退化した青仁の絶叫がファミレスに響き渡った。


 そう、自分で自分の変質を直視できないと言うならば!他人が指摘すれば良いのである。


「おい待てやけに大人しく俺をファミレスにつれてったと思ったら理由これかよ?!」


 現状の真実にやっとこさ思い至ったらしい青仁が叫ぶがもう遅い。どちらも診察日という名の締め切りは迫っているのだから逃れられないし、逃げたらたったひとりで自分の変質に向き合う苦行が待っている。


「オレもお前もドリンクバーと飯が無いと正気が保てなくなるからな。んじゃ二つ目行くぜ、これは精神かって言われると微妙だし多分オレもそうだけど座る時さりげなく内股になってるよな」

「いやだってそれは足閉じないとパンツ見えるからだろ!」

「そういう女の子の標準装備スキルをオレらは着々と身につけつつあるんだぜ?」


 意気揚々と正論を述べたつもりの青仁を、梅吉は既に自らを傷つけ終わった言葉の刃で切りつけた。

 こればっかりは梅吉も気がついた時天を仰いだものだ。考えてみれば当たり前の事実ではあるが、それでも辛いものは辛いのである。


 今まで自分とは全く違うと感じていた、綺麗とは言えない欲望を向けてきた対象に、自らが近づいているということは。


「我帰宅求也」

「エセ中国語を繰り出す程度で逃げられると思うなよ」


 愚かにも逃走という選択肢を選ぶつもりらしい青仁の肩を掴む。その華奢具合にはやはり一瞬びくりとしてしまうものの、掴んでいる己の手すらも華奢なので、最近得体の知れない感覚よりも悲しみが勝ってきた。


「つーか一人で悶々と自分を客観視するより、当たり散らせる相手が目の前にいた方が遥かに楽だろ」

「…………病院に行かないという選択肢は?」

「お前自分のお袋に勝てるの?勝てるなら好きにしろって思うけど」

「……」

「よっわ」


 無言で青仁が梅吉の手を振り払い、着席する。


「じゃあ俺から言うけど、なんの抵抗もなく女子トイレに入れるよな。普通、男子高校生は女子トイレに入れないのに」

「……おぼべ」


 青仁の無様な醜態を笑っていたら反撃がクリティカルヒットした。どうかしてるだろこんな世の中。


「ていうか最近の梅吉、ありとあらゆる仕草にどんどん違和感なくなってるというか。外見に合ってるよね」


 ……確かに、学生という形で社会生活を送っている以上、プライベートな空間にいることより外にいて猫を被っている時の方が圧倒的に多い訳で。その為意図的に被っていた猫が定着してしまった側面はあるだろう。それ自体は人間として仕方ないことなのだから。

 まあそれを認められるか否かはまだ別の問題なのだが。青仁がどんどん可愛くなる分にはいいぞもっとやれという話だが、自分はなりたくない。そして多分似たようなことを青仁も思っている。


「……い、いやそれはお前もだろ?!?!少なくとも春先のお前は無意識にお姉さん的な素振りを繰り出してることはなかった!」


 だからこそ、梅吉は致命傷を負いながらもどうにかこうにか青仁に言い返す事ができた。


「ぐ、具体例を挙げろでなければ俺は認め無え……!」

「たまにオレに向けてる視線が慈愛の籠もったそれ」

「そ、それは俺じゃなくて梅吉が悪くないか?!俺すらも慈愛の籠もった目で見てしまうほど最近のお前めちゃくちゃかわいいんだよ!」

「確かにオレの外見は最高に美少女だが今それ関係あるか?!」

「外見だけじゃないって言ってるだろ?!まさに今、ちまちまとハンバーグ切り分けてる仕草がめちゃくちゃかわいいんだよ!まあクソデカハンバーグがおやつ扱いなのは何一つかわいくないけど!」

「?!」


 今、こいつはなんと言った?梅吉の動作がかわいいとか言わなかったか?無意識に食事の手を止めて、梅吉は思考を回す。


「……」


 確かに梅吉は現在ハンバーグを食している。ついでに言えば青仁の言う通りちまちまと切り分けているのは、当たり前だが男だった時より一口で食べられる量が減ってしまったからそう見えるだけだ。

 逆に言えば、この程度の些細なものすらも先程挙げた通りかわいいと捉えられてしまうような女の子に近づいているという証左でしか無かった。


「……カウンセリング、どうにかこうにか逃げられねえかな」

「いや逃げられないって言ってたのお前じゃん」

「じゃあかわいいって言われると嬉しくなっちゃうも追加で」

「う、うううう嬉しく無えよ?!」

「はいダウトー」


 オレがこんなのになってしまったんだからお前もそうであって欲しい、という理不尽な願望から生まれた適当発言は真実だったらしい。それが本当に良いことなのかまでは梅吉にはわからないが、お前も道連れにしてやる精神は満たされた。


「ていうかさ、逆に変わらない事ってなんだろ」

「は?青仁お前軽率にパンドラの箱を開けるつもりか?」

「え、いやそんなつもりはなかったんだけど」


 なんてことを考えていたら、青仁がさりげなくとんでもないことに手を出そうとしていた。梅吉達二人が変わらない事。それはひどく単純であるが故に、精神的な変化並に残酷すぎる真実なのだが。

 とはいえわからない奴に教えてやることもまた優しさだろう。そう解釈した梅吉は、未だ首をひねり続ける青仁にこう言った。


「女子との会話能力」

「おい梅吉それは反則手だろいい加減にしろ!!!!!」

「だから言っただろ変わってないことそれ即ちオレらが目を逸らしたいことそのものなんだよ!」

「女子になったら自然と女子とのコミュ力が見に着くと思ってたんだけど!!!!!ていうか生粋の女子はどうやって対女子コミュ力を磨いてんだよ?!?!」


 青仁の悲痛な叫びが響く。声音が女の子らしいトーンだが、発言内容が完全に非リア男子でしか無かったため違和感が半端なかった。しかしそんな事を言い出し始めたら会話内容と声の不一致が気になりすぎて二人はまともに会話ができなくなってしまう。故に梅吉は華麗にスルーをキメた。


「青仁よく思い出してくれ、オレらは女子歴半年未満、周りの女子は十七年選手だ。経験が違いすぎる」

「じゃあ緑は何で俺たちよりまともに女子と話してんの?!」

「もしかしてお前怒ってる?そういう事言っちゃうとオレのガラスのハートが傷つくんだが?」

「どっちかっていうと緑のコミュ力をわけて欲しいなって心の底から思ってる」

「それは本当にそう。あいつロリコンなんだから対ロリコミュ力だけ磨いてりゃいいのに、なんでオレより女子高生と話せるんだよ」

「……もしかして、俺たちこの件については緑を師と仰ぐ必要が存在していたり?」


 シリアス顔で発された言葉に、梅吉は沈痛な面持ちで頷く。返す言葉もなかった。


「……前あげたら喜んでたし、プリンで買収したら教えてくれたりしないかな」

「やるか。二人で出せば大した金額じゃないし」

「よし。じゃあ明日……いや明日土曜か。月曜日学校行く前に買いに行こうぜ」

「賛成」


 そうして二人の間で、緑に対女子コミュニケーション講習会を開かせようという計画が進みだした。

 なお二人は気がついていないようだが、緑が同年代の女子と会話ができるのは、興味がないせいで一周回って深いことを考えずに済んでいるだけである。師と仰ぐ必要は一ミリもない。


「ところで何の話してたんだっけ」

「青仁、順調に女性用衣類の着方覚えていってるよな。その調子でオレに手ほどきできるぐらいになってくれ。オレはそういうお姉さんが大好きだから」

「ぴぎょぽ」


 とはいえ暫くした後、互いに互いを指摘し続けるという地獄は再開されたので、無事当初の目的である問診票を埋めること自体は達成されたのだが。

 おそらく真に恐れるべきは、埋まってしまったことそのものである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る