代償が大きすぎる その2
梅吉はじっとりとねばりつくような視線を青仁と青仁の乳房に向けながら、無言で乳房を揉む。
「……」
「な、なんか言えよ」
確かに青仁の言う通り以前己の乳をそのまま揉んだ時よりも柔らかさは落ちている。とはいえそれがおっぱいという男が無条件に吸い寄せられる女の象徴である事には違いなく、何よりうっすらと体育着の上から透けるブラジャーに指を食い込ませるというシチュエーションは背徳感を存分に煽るものであり。そして梅吉だって常日頃から揉みたいと願っていたそれに手を出せたのだから。つまり。
「……」
「おいなんで無言で揉み続けるんだよ?!ちょ、俺そんな長く揉んでないじゃん不公平だろ?!」
「最高」
「……さ?!そ、それって俺喜ぶべきなのかって離せ!!!!!!」
流石に本格的に青仁が怒り出した為、名残惜しいものの魔性の膨らみから手を離す。乳を揉まれている際の青仁の表情の変化といい、梅吉の称賛の言葉に困惑とほんの少しの喜悦を浮かべている様子といい、全てが梅吉が恋人の乳を初めて揉むというシチュエーションにおいて完璧だった。
特に、お前だって多少は喜んじゃうんだよな?という一点において仄暗い愉悦がいっとう素晴らしかった。
「……」
「無言で手を見つめるな怖いんだけどお前」
「黙れ青仁今俺は余韻に浸ってんだよ。生まれて初めて彼女の胸を揉んだという余韻にな」
青仁の胸から手を離した後も、しばらく巨乳の感触を思い出すように己の小さな手を眺めていると、青仁が気持ち悪いものを見る目を向けてきた為反論する。
「その余韻賢者タイムって名前だったりしねえ?後俺はお前のか、彼女じゃないから」
「恋人関係(仮)って事は彼女なのでは?」
「うるせえ!お、おおお前だって他人事じゃねえんだぞ!」
「そんな無様な状態でんな事言われても何ひとつ響かねえなあ!」
そのまま流れるように墓穴を掘った青仁を望み通り墓穴に叩き込む。またもや机に突っ伏した青仁はなんとも愉快だった。
「ていうかいいんじゃないの?お前のおっぱい揉みたいっていう願いは叶ったんだから」
「……そうだけどさ、なんかこう、失われたものが大きすぎるというか」
「……」
「いや何黙ってんだよ」
失われたものが大きすぎる、そう語った青仁の顔を見て梅吉は思わず真顔になる。具体的にいうと視線を逸らしながら若干頬を赤らめているという普通に可愛らしい表情だったのだが。
一瞬、その顔が、仕草が、何もかもが。本当の女の子のように見えたのだ。目の前にいるのはいくら外見が美少女だろうと、中身は青仁に代わりないはずなのに。
「嫌な話だな、と」
「はあ?!なんなんだよ唐突に話のつながりが見えねえんだけど?!」
ため息をつく。梅吉の目に青仁が本当に女の子のように映るという事は、逆も発生しうるのだろう。というか既に発生していてもおかしくない。つまりは梅吉だって、完全に素で動いているつもりでもそれが本物の女の子と遜色ない物だったりしても不思議ではないのだ。
現在二人は恋人関係のようなよくわからない何かと化しているが、結局こんな肩書きがなくても、自分たちは完全に今まで通りでいる事はできないのだろうと考えると。少しだけ、寂しいのだ。
とはいえこんな湿っぽい寂寥感を口に出すわけがないのだが。普通に何言ってんだお前、キモくね?という話なので。だからきっと梅吉はこの寂寥感を抱えたまま生きていくのだろう。
誰にも気がつかせないまま、ずっと。
「よーし青仁、やることやったしもういい加減着替えて帰ろうぜ?」
「露骨に話逸らしてねえかお前」
「気にすんな、独り言的なやつだから」
気分を切り替えるためにわざと声を明るくして、梅吉は荷物に手をかける。
「随分とでかい独り言だな?」
「ボリューム調整が体育祭の練習でちょっと壊れてんだよ」
「いやそれはわかるけどさあ。めちゃくちゃ大声出せって言われ」
「青仁ストップ」
梅吉の張り詰めた少し低い声が響く。声をひそめた梅吉に青仁が不審げな視線を向けるも、意図を理解したのか顔を強張らせた。
多くの生徒が下校して久しい校内は、誰かが廊下で少し話しているだけでも随分と声が響く。そんな廊下から、聞き覚えのある話し声が聞こえたのだ。たまたま通りがかった教師と話しているらしいその声は、教師との会話を終えた後、足音だけとなる。その軽い足音は、二人がいる教室へと近づいてきていた。
それだけならば最悪どうとでもなる。しかし、その人物と発言内容が完全に問題だった。
「……なんか百合の気配がするような?とりあえず見に行かなくては」
そう、二人の共通の友人である女の子同士の恋愛を愛してやまない男、一茶がロクでもないことを呟きながらこちらに近づいてきていたのである!
「ど、どどどどうしよう梅吉これ絶対誤解され」
「わかってる、あいつの事だから今のオレ達が教室に二人っきりなだけでなんかとんでもない解釈をし始めるだろうな」
実際お互いに乳を揉み合っていたのは事実なので、奴が邪推するだろう事はおおよそ事実ではあるのだが。よりによって知られたら一番面倒そうな人間に知られるわけにはいかないのだ。
しかし学校の構造上、一茶にバレずに教室から脱出するというのは最早不可能である。二人揃って教室を出る様を目撃されてしまった時点で、奴は全てを察するだろう。奴の妄想力を侮ってはいけない。
つまり二人に残された選択肢は実質、教室のどこかに隠れるというものだけであった。
「なあ青仁、教室内で二人揃って隠れられそうな場所とか思いつくか?」
「……棚とか?あーでも物入ってるし出さなきゃ入れないか。教卓の裏とか?」
「足元見られたらバレないか?それ」
「あー……バレるな。どうしたら」
二人揃ってぐるぐると視線を動かし、どこか隠れられる場所がないかと考える。教室という場所は教師が生徒を監視するためか無意味に視線が通りやすいらしい、正直これと言って隠れ場所は思いつかなかった。
──ただ一つを、除いては。
「おい待てマジでやるのか?マジでやるのか?????」
「やるしかないだろ相手はあの一茶だぞ?これぐらいはやらないと奴を欺くことなんてできる訳ないっての。万全の体制を整えずに奴に見つかったら心残りどころの騒ぎじゃないだろ?!」
「くっ、確かにそれは否定できない……!」
小声でぎゃーぎゃーと言い合いながらも、二人の見解はどうにか一致した。一茶から逃れるための隠れ場所、そうそれは──掃除用具入れである。
私立であるこの高校ではぶっちゃけ、業者の人が掃除してくれる為生徒はほとんど掃除をする必要がない。故に一応存在している掃除用具入れには、肝心のほうきやらなんやらはほとんど入っておらず。隠れる場所としては現状最適なのだ。
……狭さ故に、二人で密着して入らなくてはならないということを除けば、だが。
「だろ?!ほらつべこべ言わずに入れ早くしないとマジで一茶来るから!」
「っ!あーもうこんな状況じゃなければなー!」
駄々をこねる青仁の喚きを聞き流し、梅吉は青仁を掃除用具入れに押し込む。そして梅吉も中に入り、内側からパタンと扉を閉めた。
そうして急いでいたこともあり、梅吉と青仁は互いに向き合うような体勢で押し込まれる形になってしまう。そうなれば当然、梅吉と青仁の体の距離が完全にゼロになるわけで。つまりは胸やら太ももやら、女体の柔らかい部分を互いに押し付け合う形になる訳だが。流石にそれに素直に興奮していられる程、状況は甘くなかった。何せこれは実質リアルホラーゲーム的なものだったので。
薄暗い密室の中で、青仁が既に限界だ、と言いたげな視線を送ってくる。しかし絶対に声を上げるわけにはいかない今、梅吉は青仁を睨みつけることしかできないのだ。こっちだって限界だっての、と。
そんな無言の応酬を繰り広げていると、ついに足音が二人のいる教室の前で止まる。そしてがらがらと無情にも扉は開けられた。
「?誰もいないな。気のせいか」
予想通り、一茶の声が聞こえる。どうやら気のせいと判断してくれたらしい。行け、そのまま気のせいってことにして早くここから去ってくれ、と二人は願う。双方ともに運動終わりの胸やらなんやらの柔らかさを、密室のせいでまともに脳に叩き込まれているのだ、放っておかれたら何かがおかしくなってしまう。
「でも百合の残り香はあるんだよな。ってことは僕は出遅れたのか……」
浮ついた気持ちが背筋が凍りつく感覚に取って代わられた。百合の残り香って何だよあまりにも怖すぎる。何故そんな概念的な事を嗅覚で判断しているのだおかしいだろ、一体あいつは何なんだよ?!……ただの変態だな、と脳内で梅吉は呻く。しかも妙に真剣な声音をしている事が余計に恐怖を煽る。ふざけたことを至極真面目に行っている上、精度が最悪に抜群、という意味で。
足音から察するに、一茶は教室内をくまなく回っているらしい。何故そうも執念深いのだと言いたくなるほどに入念に、奴は教室を見聞している。
教室の前方から入り、おそらく窓際の方に向かって行った足音は、ついに梅吉たちが隠れている掃除用具入れが設置された教室後方へと辿り着く。
「……ここが、一番強いか?」
「……ッ?!」
吸い寄せられるように掃除用具入れの前に立ち止まった一茶から、金属製の扉越しだというのにとてつもなく鋭い視線を感じる。何が強いのかまるで理解できないが、とにかく二人に絶体絶命の危機が訪れていることだけは確かであった。
パニックになりかけた青仁の口を、無言で梅吉が押さえつける。ここでバレてしまえば、二人揃って教室から素直に脱出するよりもはるかに一茶が面倒なことになるのは目に見えている。しかしその程度では収まれなかったらしく、許される範囲で体をねじる青仁のおっぱいが梅吉の顔に直撃した。
「~~~~~~ッ」
空いているもう片手で反射的に己の口を塞いだ梅吉の反射神経はほめたたえられるべきものだろう。青仁も何か喚こうとしているようだが、梅吉の態度でどうにか正気に戻ってくれたらしい。動きが一気に静かになる。そうだ、それでよい、と梅吉は心の中で思った。
なおそれはそれとして、顔面におっぱいがぶつかるというラッキースケベを梅吉は
「…………ふうむ」
たっぷりと無言を挟んだ後、一茶が唸る。一体何を思ってそんな事をしたのかまるでわからないが、青仁に接触している箇所から小刻みな震えを感じるので、もしかしたらホラーゲームのお化けムーブなのかもしれない。
「……よし、やるか」
この状況で一体何をやるんだよ何を!そう叫ぶことができたならばどれほど良かっただろうか。あいにく今の一茶は二人にとってホラーゲームで追いかけてくるやつのポジションなのだ、そんなツッコミは許されない。
一茶のつぶやきの後、何故かガサゴソとした物音が聞こえてくる。一茶本人はこれ以降、声を発する様子もなく。一体いつまでこの状況は続くのだと梅吉の精神が参ってきたその時。
「なぁ〜にをやるんだよ木村ァ!」
「?何って女子校の壁になる練習ですけど」
「そんな生産性皆無な上キショすぎる練習よりもな、お前には部活の練習っていう大事なもんがあるんだよ!」
「ちっ、わかりましたよ。行けばいいんでしょ行けば」
突然聞き慣れぬ野太い男の声が教室内に響く。どうやら一茶が所属している柔道部の先輩だったらしい。その声にかき消されて、二人の驚きによってカタンと揺れた掃除用具入れの音はどうにか一茶には伝わらなかったらしい。
先輩に怒られた一茶は、意外なほどあっさりと引いていく。廊下に二つの足音と話し声が消えていった事を確認した梅吉は、バン、と勢いよく掃除用具入れを開けた。それを合図にして教室内に飛び出す。
「あっぶなかったぁ〜……」
「見つかってないよな?マジで見つかってないよな?」
「見つかってないと思う。多分、おそらく、きっと」
「死ぬほど信用できねえな、それ」
床にへたり込んで、熱い息を吐く。それなりに気温が高い中、密室にいただけあって教室の中がひどく涼しく感じる。
「何なんだよ百合の残り香っておかしいだろ。どういう意味なんだよ」
「青仁そんなもの知りたいのか?オレは嫌だぞ、絶対ロクなもんじゃないから」
「あー……そうだな。ところで梅吉、なんかさっき俺のおっぱいに顔を埋め」
「そろそろ最終下校時刻が近いしさっさと着替えて帰るぞ青仁!」
「おい無視するなよ!」
己に都合が悪い話が聞こえてきたので、梅吉は華麗にスルーして制服を手に取った。
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