第8話 救世主来たれり

《フロル視点》


「どうしたんだ? 俺の話をしていたようだが」


「その……レイズ様は、組織の拡大が終わったら、いっぱい楽しいことさせてくれるんだよね?」


「ああ、もちろん」




 レイズ様は、私の肩を引きはがしてにっこりと笑った。




 ああ、やっぱりそうだ。


 彼は優しい。


 だからこそ――わからない。なぜ、フェリスちゃんがあんなにも怯えているのか。




 彼の優しさのどこに、怯える要素があるのか。


 もうこれ以上、震える友人を見たくなかった。


 ゆえに私は、救いを求めた。


 ここに来てから唯一、信頼できると思った相手に。




「レイズ様に一つ、お願いがあるんだけど……」


「なんだ? 言ってごらん」


「その……フェリスちゃんを逃がして貰えたりしないかな?」


「フェリス? ああ、その子か」




 レイズ様は、少し目を細めてフェリスちゃんの方を流し見た。


 


「……わかった。他でもないフロルの願いだ。聞き入れよう」


「ほんと!? ありがとう!」




 私は、フェリスちゃんの方を振り向く。


 


「よかったね、フェリスちゃん!」


「……」




 フェリスちゃんは無言だった。


 喜ぶわけでも、お礼を言うわけでもなく、ただレイズ様を見上げている。




「どうした? ここから出たいんだろう? 出してやる」




 レイズ様は、フェリスちゃんに手を差し出す。


 フェリスちゃんは一瞬、助けを乞うかのように私の方を見たが、やがてレイズの手を取り立ち上がった。




△▼△▼△▼




 牢屋のような部屋を出た私達は、レイズ様に続いてアジトの廊下を抜け、建物の外に出た。


 塀で囲まれ、外が見えない大きな庭や訓練場が私達を出迎える。


 そして、夜空には不気味なほどに赤い月が輝いていた。




「レイズ様、我が儘を聞いてくれてありがとう」


「気にするな、フロルは本当に可愛いからね」


「……え?」




 不意打ちに、ドキッとする。




「そ、そそ、それってどういう……!」




 人差し指を突き合わせ、ちらちらとレイズ様の背中に視線を送る。




「言葉通りの意味だよ。本当に君は可愛い……そう」




 建物の角を曲がり、高い石塀との間に挟まれた細い道に入ったところで、ふとレイズ様は足を止めた。




「レイズ様?」


「……何の疑いもなく、俺を信用しちゃうんだからさ」




 瞬間、レイズ様の身体が横振れに消えた。




「え?」




 マヌケな私の声と同時に、斜め後ろでどんっという鈍い音が響く。


 振り返ると、そこには黒い魔力を纏って悠然と佇むレイズ様と――塀にたたき付けられて意識を失っているフェリスちゃんがいた。




 ――いや、よく見ればぶつけた後頭部から赤黒い液体が滴っている。


 ――死。




 その言葉が頭の中に現れた瞬間、心臓がけたたましく警鐘を鳴らした。




「れ、レイズ……様? 何……を」


「何って。邪魔だから吹き飛ばしただけだが? まあ、打ち所が悪くて即死はさせられなかったみたいだけど」


「そ……んな。じょ、冗談だよね」


「冗談? 俺はいつでも本気だよ?」


「……あ」




 一歩、二歩と後ずさる。


 そんな私に、下がった分だけ近寄ってくるレイズ様。




「……あぁ」




 かかとに石がぶつかって、転んでしまった。


 尻餅をついた私の目の前に、真っ黒な影が迫る。




 立ち上がらなきゃ! 逃げなきゃ!


 本能がそう叫んでいるのに、まるで金縛りにあったかのように身体はピクリとも動かない。




 赤黒い月が、レイズ様を模した男の背後で揺れている。




「そ~そ~その顔。その顔が見たかったんだよ!」




 レイズ様は、感極まったように頬を紅潮させて言う。


 まるで、観客の見ていない劇に、一人で立っているかのように。両手を広げて、酔いしれたように高笑いして。




「俺が君に優しくしていた理由がわかるか? ただ嬲るだけじゃ退屈だからさ! 甘やかせばすぐに信用する頭の悪いクソガキ。そんな頭お花畑な人間が、いざ裏切られて惨めったらしく地面に這いつくばる姿が、何よりごちそうなんだ……!」




 混沌に沈んだ目が、猟奇的に輝いている。


 レイズ様は、荒い息を吐きながら私を見下ろしている。




「嫌……嫌だ」


「ははっ、泣いてやがる。悲劇のヒロインぶって、バカでしょ君。大体、君等をコキ使ってる連中は誰だ? 俺の手下でしょ。君等を使って遊んでる奴等の親玉が、優しくあめ玉でも差し上げると、本気で思ってたのかよ」




 ああ、そうだ。


 なんで私は、そんな単純なことにも気付けなかったんだろう。




 今、ようやくはっきりとわかった。この地獄を煮詰めたような場所に、優しい人なんて居ない。


 ごめんなさい、フェリスちゃん。




 恐怖で思考がまとまらない中、私は血を流し続ける友人に謝罪する。


 私が、こんな人を信用しなければ。この子はまだ、生きられたかもしれないのに。




「いいね~、その絶望の表情! やっぱり君は可愛いや!」




 お気に入りの人形でも愛でるように、レイズ様は笑う。


 その姿が、ただただ恐ろしくて。私は、指先さえ動かせない。




「そろそろ、いいかな~。信じていた人に裏切られて絶望するシチュエーションは見られたし、満足だよ、ありがとう。だからもう死んで良いよ」


「……ぇ」




 息を吸うように軽いノリで紡がれた、死刑宣告。


 私は、抵抗することもできず、こちらに伸ばされる大きな手を見ているしかなくて――と、そのときだった。




 メコモコと、不意に私とレイズ様の間の地面が立ち上がる。


 そして、丁度レイズ様の手から私を庇うように、土の壁が隔てた。




「ちっ。誰だよ君」




 忌々しげに舌打ちしたレイズ様は、飛び下がって距離をとる。


 


 誰かいるの?


 そう思って、辺りを見まわす。




 ――いつの間にか、私の隣に男の子が立っていた。


 夜に溶け入るような黒紫色の髪を持つ、少年だった。

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