第38話 幕間 救われた者と救われなかった者 後編
月明りしかない森の中を彼は迷いなく進んでいく。
それも足を怪我してまともに歩けない私を背負った状態で難なくと。
それどころか走った振動が傷に障りそうにないことを確認した後は駆け足くらいの速度で悪路を駆けていく。
それでもほとんど息が切れる様子もない。
「もし痛みがきつくなったらすぐに言ってくださいね」
「大丈夫、歩かなければ痛みも気にならないくらいだ。それにしても随分鍛えているんだね。大の大人を背負って走っても問題ないなんて」
自分で言うと悲しくなるが私は決して痩せていない。
いや、はっきり言ってしまえば太っている。
レスキュー隊員とか自衛隊とかではないのでそういう訓練を積んではいないと彼は言っていた。
それでこの腕力や体力は驚くばかりだ。
「まあこっちの世界特有の力があるのでそれのおかげですよ」
「それはまさか、魔法とかそういうのかい?」
魔法なんて普通なら鼻で笑われるような言葉だが彼は否定しなかった。
「まあ近いもので、こっちの世界では真力とか言われているみたいです。ただ残念ながらその力が使えるのはあくまでこっちの世界だけみたいですけどね」
そう言いながら彼は迷いなく進んでいく。
ただその進み方は一直線ではなく、時折立ち止まったかと思えば方向を変えることもあった。
なんでも彼はあのゴブリンという化物改め魔物の位置がある程度の距離までは分かるのだとか。
その力をうまく使って遭遇しないようにしながら目的の方へと進んでいるとのこと。
「ただのゴブリンなら何体いても負ける気はしないですけど、戦うとその分だけ時間をロスしますからね。今は無視して先に進むのが最優先ですっと」
そう言いながら時には何メートルも垂直に飛び上がると木の枝の上に着地。
更にはそこから別の木の枝に飛び移るなんて曲芸みたいなことをやってのけている。
思わずどこの忍者だと言いたくなるような身軽さだ。
少なくとも現実世界でこんな芸当をやってのける人物はいないと言い切れる。
それくらい無茶苦茶な身体能力だ。
この身体能力があれば、どんな種目だろうと金メダルを取り放題だろう。
「よし、もうすぐだな」
場所も分からない木々の間で止まるとそう呟く。
私には分からないが目的地が近いようだ。
ただそこで彼の様子が急変する。
「……くそ、少しここで待っていてください」
「え?」
「すみません、すぐに戻ります。ここで動かず静かに待っていてください」
なにやら急いでいるのか、やや乱暴に私のことを背中から下すと返事も待たずに暗闇の中へとあっという間に消えて行ってしまった。
先ほどまでは彼がいたから大丈夫だと思っていられた。
ゴブリンが現れても彼が先ほどのように倒してくれると。
だが今は私一人だけ。
ここで先程のようにゴブリンが現れたら足を怪我した私になす術はない。
(いや、すぐに戻ると言っていた。だから大丈夫だ)
そう自分に言い聞かせるものの心臓の鼓動が早くなって息も荒くなってくるのが嫌でも分かる。
緊張と恐怖、そういった感情が沸き上がるのが止められない。
それでも静かに待っているようにという言葉を信じ、息を殺して音をたてないようにその場で待ち続ける。
というか帰り方が分からないのでそうする以外に選択肢がない。
「すみません、戻りました」
ただ幸いなことに私が恐怖や緊張に耐えられなくなる前に彼は戻ってきてくれた。
音もなく背後から現れて声を掛けられた時は反射的にビクッとしてしまったが、それくらいで済んだのは自分的にはよくやったと思う。
ただ次の光景には声を漏らすのを止められなかった。
「うわ、そ、それは」
「あなたと同じように異世界に飛ばされた人です」
彼が抱きかかえる女性はこちらの言葉に反応もせずピクリとも動かない。
どうやら意識を失っているようだ。
よく見れば服はボロボロに引き裂かれているし、そこから見える素肌も爪で引っ掻かれたような跡がいくつも残っている。
おまけに頬や額には殴られたかのような痣があった。
「ぶ、無事なのかい?」
「ええ、なんとか。必死に抵抗していたのが功を奏してあいつらに凌辱される前に助け出せました。ただその分だけゴブリン達に痛めつけられてしまったようです。まあでも良かったですよ。あなたやこの人はギリギリ間に合いましたから」
「ま、まあ、こんな化物に襲われて命があるだけマシなのかな……?」
「ええ。ゴブリン共は強くはないですけど残虐性は高いんです。女性の場合は巣まで攫われたら繁殖するための苗床にされますし、男性の場合は殺された後に遺体を玩具のように弄ばれることになります」
痣が残るほど殴られてそう言っていいものか迷ったが、そんな化物が存在する世界ではそういうものなのかもしれないと半ば無理矢理自分を納得させる。
「さて、目的地まであと少しです。二人担ぐと少し揺れるかもしれませんけど我慢してくださいね」
運んでもらえるだけ有難いのだ。その程度のことで文句など言える訳がない。
まるで米俵のように担がれて夜の森を進んでいく内、ふと先程の彼の発言に違和感を覚えた。
私達はギリギリ間に合ったと彼は言っていた。
では間に合っていない場合もあるのではないか。
その答えはすぐに明らかになった。目的地とされる場所にそれはあったからだ。
「ひっ!?」
一見すれば横になっているだけに見えるかもしれないが、よく見れば身動きをしておらず息もしていない男性の遺体がそこにはあった。
少し見ただけで思わず目をそらしてしまう。
喉の辺りに噛まれたような傷があったが、あれはゴブリン達にやられたのだろうか。
「この人は、その……」
「この人もあなたや彼女も同じですよ。訳も分からないうちにこの世界に飛ばされて、俺が駆け付けた時にはもう亡くなっていました」
自分と同じ立場の人間が死んでいる。
こうもあっけなく、きっと何に巻き込まれたのかも分からず理不尽に。
そしてそれは自分がその立場になってもなんらおかしくなったということでもある。
私は運が良かっただけ。何かが掛け違えていたら私がここで死体になっていたのだ。
その事実に背筋が凍る思いがする。
そして一般人がこうも容易く命を奪われる化物が存在している環境で平然としているばかりか、そんな化物共を難なく退治してみせる彼が頼もしくもあり恐ろしくも思えた。
彼がいなければ私は死んでいた、いうなれば命の恩人相手に対してあまりに失礼で自分でも恩知らずだと思う。
だがそれでも化物を退治する彼もまた化物に片足を突っ込んでいるのではないのかという思いを拭い切れないのだ。
そんなこちらの思いを知ってか知らずか彼は遺体をそのままにしてこちらに告げる。
「どうやらギリギリだったけどまだ門は開いているようです。今なら帰れますよ」
そしてそのままその門とやらがある方向へと私達を担いだまま歩き出した。
思わずあの遺体はそのままなのかと思って目線を向けたらそれに気付いたようで答えてくれた。
「本当なら損壊が少ないうちに遺族のもとに届けてあげたいですけど、まずは生存者の安全が第一ですから。心苦しいですけど後で回収しに来るしかありません」
そのどこか慣れた口調で発する回収という言葉の重みを嫌でも分からされる。
恐らく彼は何度もこういったことを経験しているのだろう。きっと多少の怪我で助けられた私達のことを運が良いと言えるくらいの数を。
(……私は運が良かった。それだけだ。違いなんてその程度だったんだ)
助けられた私達と助けられなかった彼の違いなんてないに等しい。その事実を思い知りながら私は彼の担がれながら元の世界へと戻っていった。
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