第10話 気持ち悪い

 そんな日々が続き2週間後だろうか。

 その日の夜、大樹に行くとアーサーがいなかった。


 今日はいないんだな。

 そう思いながら、少しずつ進歩している重力玉を大樹にぶつける。

 大樹はびくともしないが、無心でぶつけ続ける。



 ——ザ、ザ、ザ、ザ


 遠くから森の草木をかき分けて走り寄ってくる音が聞こえてくる。

 野生の動物か?それとも、もしかして全滅したはずの魔物?

 大樹に向けていた杖を森へと向ける。

 森から小さな動物が飛び出してきた。

 金色の毛並みの——って、それは動物ではなかった。

 アーサーだった。


「あ、カケル、助けて」


 アーサーから発せられた予想外の言葉。

 アーサーの体は擦り傷ばかりで、口からは血が流れ出ていて、頭もどこか切っているようで出血していた。

 アーサーは僕の後ろに回り込むと同時に、森からは男らが4人。

 服は擦り切れて異臭が少し離れた自分にも届く。

 人攫いか。

 いや違う、鎧に黒の龍のワッペン——リベルオン帝国軍の兵士か。


 大森林は帝国と国境を接している。

 しかし、鬱蒼とし戦いづらい地形、またその気持ち悪さや、嫌な噂からリベルオンも民主連合国も近寄ろうとはしないため、警備の薄い場所ではあった。


「あれ、こんな森深くに人がいるとは、しかも杖を持っている。少し部が悪いか」


 小柄な男が顔を丸くしている。


「まあ、これはちょうどいいや。そこの青年、その子を渡してはくれないか。そうすれば、青年には手を出さない」


 先頭のリーダー格っぽい男が一歩前に踏み出す。

 それと同時に横の男たちが背に手を回した。

 明らかに背中に仕込んだ武器に手をかけている。


「カケル、僕を渡すの?」

「え、いや、そんなことはしないから大丈夫」


 その会話を聞いていたリーダー格の男は鼻で笑う。


「ふん、魔法士だろうが4対1で勝てると思ってるのか? こちとら誇り高き帝国兵士だぞ。大人しく渡せば、危害は加えないって言ってるだろ。久々に見つけた上玉、逃すわけには行かないんだよ。しかも耳が長いときた。帝国の見世物小屋に売ればさぞ高値がつくだろう」

「お前たちは、人攫いか。大森林の神隠しはお前たちが原因か」

「さあな、まあ、この戦争は金にはならないから、こうやって攫って売っている奴らなんて五万といるだろうけどな。それはそうと、犯そうとした瞬間に逃げられてこっちとら色々と溜まってるんだよ」


 魔力はまだ十分あるため、重力球はまだ発動できる。

 殺すか。殺さなければ、殺される。

 もし、この重力級を当てたらどうなるんだろう。

 体が引きちぎれて球体に吸い込まれるのだろうか。


 そんなことはどうでもいい。

 今はとにかく、アーサーを助けないと。

 撃つんだ。重力球を。

 殺せ、殺せ、殺せ。

 心がそう訴えてくる。


 ——パパパン


 急に脳内で光が点滅し、記憶がフラッシュバックする。

 6畳ほどの部屋。血だらけで倒れる男女、刃物を持つ僕、泣き叫ぶ僕、シスターエリスに抱えられて逃げる僕。

 なんだこの記憶、一体なんなんだ。

 殺せない、殺せない、殺せない、人は攻撃できない。殺したら、殺したら、心が壊れる。


 謎の情動が心と脳を支配して、体が硬直する。

 立ったままで、顔面が白くなるのがわかった。


 ——…………る、ける


 何かが聞こえる。誰かが……呼んでる?


「カケル、しっかりして!」


 アーサーの叫び声で、意識が鮮明になる。

 リーダー格の男が、ナイフを振り上げて襲い掛かってきていた。

 しかし、その動きは普段の剣術稽古の時の先生の動きより遅かったため、ぎりぎりのところで、アーサーを抱きしめながら横に飛ぶことで交わし切った。


 4対1、数的不利な状態は明らか。

 戦闘の基本は、最大武力で最大効果を発揮すること。

 魔法士1人に一般兵が4人なら、武力は魔法士に分が上がり、戦闘の方程式上ならば魔法士が勝利するはず。

 しかし、僕は今悟った——、僕は人を殺せない。心がそれを許さない。


 そうなると残る手段は逃げの一手——風魔法を最大出力で発動し追い風状態で逃げる。

 いつも孤児院に帰る時にやっていた方法——使い慣れた方法ならば、逃げ切れるかもしれない。

 それに、ここは密林地帯——真っ直ぐ逃げても直線的な攻撃は当てづらい——はず。


 決意の直後、アーサーを抱き抱えたまま走り出す。


「痛て」


 人攫いが投げたナイフが肩に刺さり激痛が走る。

 技量は相手の方が上らしく、密林地帯にもかかわらず、木々のほんの少しの合間を縫ってナイフを投げたらしい。


 しかし、そんなことはお構いなしに、先生のもとに走る。

 日々の体力作りがこんなことで役に立つとは思わなかった。

 走って走って走り続けた。


 1 kmほど走った時、家が見えてきた。

 明かりがついており、先生はまだ起きていることを確信する——が、あの灯り、家の明かりじゃない——。


 あれは、魔法陣だ。


「先生!」


 僕は叫んだ。

 ありったけの声を振り絞って、恐怖を退けるかの如く。


「伏せなさい、カケル!」


 先生の声を聞いてすぐに、その場に倒れるように伏せた。

 その瞬間——。


「消滅せよ、ヘルファイヤー」


 五つの魔法陣から放たれた、業火。

 周りの空気は一瞬のうちに熱せられ、たちまち草木は枯れ果て、樹は燃え、辺り一面は業火に包まれた。

 その業火に一人佇む先生。

 まさに炎の女王にふさわしい光景だった。


「うわーーー熱い熱い熱い熱い」


 兵士たちが、顔を押さえながらのたうち回る。


「息ができな息が——」


 悶え苦しみながら、人攫い達は、次第におとなしくなっていく。

 その後も遺体は燻り続けて、数分後には灰になった。

 僕はそれを呆然と眺めていた。


 先生はそれが当然かのように何の躊躇いもなく、人を殺した。

 現況、それが最も正しい手段であり、僕にはできなかったことを——。

 しかし、その時一瞬、ほんの一瞬、思ってしまったんだ——先生を気持ち悪いと





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