第11話 矛盾
「いったいどうしたんですか。乱れた魔力が近づいてきたと思って外に出てみれば、追われながら肩から血を流して迫ってくるカケルを見てびっくりしましたよ」
赤い宝石が埋め込まれた大きな杖を持った先生が近づいてくる。
「先生はやく、この子の治療を」
先生は不思議そうな目でこちらを見てくる。
この子って、エルフのアーサーですよ。
早く治療しないと! って、え——、いない?
え、どこかで落とした?
いや、落としたなら兵士が4人全員でここまで追いかけてくるのはおかしい。
「今僕は、帝国兵士に襲われていた女の子を助けたんです、その子を抱いたままここまで逃げて——」
「えっと、まず落ち着いてください」
「でも」
「カケル!」
一際大きな声を出す先生。
「カケル、いいですか、あなたがここに逃げてきた時、変な体勢だなとは思いましたが、腕には誰も抱えていませんでしたよ。大規模範囲攻撃ヘルファイヤーを発動するときは、敵以外の人がいないかいつも確認するんですが、カケル以外いませんでした」
「え、そ、そうなんですか」
見ていたのは幻なのか。
だけど、あの時、僕も、帝国兵士もアーサーを視認していた。
そして、僕の右腕の血、これは僕の血じゃない。
アーサーの血だ。
だけど、アーサーはいない。
いったいどういうことなんだ。
「一旦落ち着きましょう。さあ、家に入って」
先生に支えられながら家に入って、ダイニングの椅子に腰掛ける。
先生は黙って濡れたタオルで、顔や腕についた血を丁寧に拭き取ってくれて、肩の傷は治癒魔術で塞いでくれた。
「それで、一体何があったんですか?」
事の成り行きを全て話した。
大樹で訓練していたら、血だらけのアーサーという女の子が現れて助けを求めてきたこと。
帝国兵士と対峙したこと。
敵わないと思い逃げてきたこと。
先生に助けられたこと。
「そうですか。それは大変でしたね」
そう言いながら頭を撫でる先生。
聖母のような優しい顔をしていた。
「もう大丈夫です。落ち着きました」
ヒーリングの魔法もかけていてくれたみたいで、随分と気分が落ち着いた。
先生は、ココア粉末にお湯を注いで、ココアを作ってくれた。
椅子に座りながら温かいココアを啜る。
先生は台所の水場にもたれかかりながら一緒にココアを飲んでいる。
「———————」
沈黙が続く。
先生は何かを考えているようだった。
何を考えているのだろう。
想像もつかない。
「カケル、一つ気になったことがあります。今まで、喉に突き刺さった魚の骨のように、もやもやとしていた疑問とでも言いましょうか」
歯切れの悪い先生。
先生にしては珍しい。
言葉を選んでいるようだった。
「今もまだ魔力が残っている。今の重力球ならば人攫いにも致命傷を与えられた。だけどそれをしなかった。もしかして、カケルは、人を傷つけることが怖いのですか?」
え? 人を傷つけることが怖いかって?
それは当たり前でしょ先生。
「これまで姫様から聞いていたあなたの行動と、今と、魔法回路はちゃんと存在していて魔力容量も多いのに何故か魔法が弱い——となると、精神面が影響していると思っていましたが……。そして、今日の行動、殺さなければ殺されるという状況なのに、何もしなかった。翔は自分のいのいより他人の命を尊重し過ぎる毛があるような気がして」
誰だって、人を傷つけたくないし、殺したくない。
もし積極的に人に危害を加えたいなんて人がいたら、それは狂人ではないか。
言いようもない不快感が心から湧き上がってくる。
「先生は人を殺す時何も感じないんですか? 怖くないんですか? さっきだって無表情で敵を焼き尽くして——そっちの方がよっぽど異常だと思います……」
先生は目を伏せた。
その意見は最もだと言わんばかりに、反論してこなかった。
先生にそんなことを言うべきではないと、言い難い罪悪感もあったが、先ほどの気持ちが尾を引いて、謝罪の言葉が述べられない。
こんなこと本当は言いたいはずないのに。
気まずい空気が流れる。
だけど、人をそんな簡単に殺すなんて——許されないと思うんだ。
気まずさから逃れるように自室に戻った。
2時間くらい経ってからだろうか。
時計の短針は0時を過ぎていた。
——カタカタカタ
部屋の窓が揺れている。
誰かがわざと揺らしているかのようね——
下の方に見えるのは金髪の——。
アーサーか!
急いでドアを開き、外にでる。
大樹の方角を見ると、背丈の小さな金髪の少女が森の中へと消えていくところだった。
アーサーが生きていたんだ。
自然と足がアーサーを追いかけ始める。
大樹に着くとアーサーが大樹の根元に腰掛けていた。
「アーサー!」
アーサーの元に駆け寄ると、アーサーは笑っていた。
「カケル、無事だったんですね」
「アーサーこそ、どこにいっていたんだ」
「まあ、ちょっとね」
「ちょっとって——心配したんだぞ」
「心配?」
突然アーサーの後方、大樹の後ろ側から、少し高い声が聞こえてきた。
「誰だ」
杖を抜く。
まだ、人攫いの残党がいたのか。
警戒心をむき出しにする。
「なんだジャンヌ。今回は見るに耐えないとか言っていたのにやっぱり出てきたのね」
アーサーが声の主に話しかける。
アーサーの知り合いなのか?
一体誰。
「戦わずに逃げたのにもかかわらず、心配だとか抜かす奴が見るに耐えなくてな」
大樹の後ろから出てきたのは、紺色のワンピースに銀色の金属板の胸当てを当てと小手をつけ、腰には剣を引き下げている女性。
顔付きは、金髪で青色の目、姫様と同じ目をしていた。
「時沢翔と言ったか」
その物言いは、畏怖の念をも感じさせるほど威圧的だった。
「そ、そうですが」
「お前は先ほど、お前の師匠になんと物申したか言ってみろ」
「先生に——? もしかして聞いていたんですか」
「ああ、聞いていたとも。久々にツブヨリの大樹が芽吹いたと聞いたから期待していたものの、こんな浅はかなやつだったとは」
浅はかなやつ?
なんなんだこいつは。
そもそもなんでこんなに喧嘩腰なんだ。
「お前は言ったな、『先生は人を殺す時何も感じないんですか? 怖くないんですか? さっきだって無表情で敵を焼き尽くして——そっちの方がよっぽど異常だと思います……』って」
「言いましたが、それが何か?」
「愚問愚答だ。お前は自分の足元を見たことがあるのか」
「足元?」
「その足元ではない、お前が今ここに存在できている理由を考えたことがあるのかと聞いている」
自分が存在できている理由?
何を言っているんだ、この女性は。
「考えたことないだろ。お前が生まれることができた理由。それは人殺しのおかげだ」
ん? 人殺しのおかげで僕は今生きてる?
暴論すぎる。
「狂人か?」
「は、狂人だと? 私からすればお前の方が狂人だ。これまでお前の祖先が戦い人を殺しそして、家族を守り続けたからこそお前が生まれてきたと言うのに、戦いを否定するのかお前は」
「——それは……、しかし、それは」
「先ほど、もしお前の師匠がいなかったら、お前は死んでいたよな。それでお前はよかったのか?」
「…………」
「もし、お前の家族が殺されそうになってもお前は、自分では人を殺さず、師匠や他の人に対処してもらうのか?」
「…………」
「お前が今ここで、時間を浪費している間にも、国境では国を守るため、お前がここで修行できるようにするため、国境沿いで殺し合いをしている奴らを、人殺しなんて許されないと、お前は侮辱できるのか!」
「それは戦争だから仕方ない」
「そうだ、仕方ない。相手が攻めてくるから仕方ない。しかし、お前は自分の平和と引き換えに、兵士に人殺しをさせているんだ。お前も人殺しなんだよ。自分だけ聖人君主のように高い位置から悟ったように物を言うその様に、反吐が出るんだ」
言葉が出ない。
違うんだ。
そうじゃないんだ。
僕は戦いを否定しているわけじゃない。
だけど、僕は殺しちゃいけないんだ。
これ以上罪を重ねては——心が壊れてしまう。
「カケル・ウェン。戦いとは矛盾である。殺しはいけないが殺さないといけない。それを理解し無理矢理飲み込まなければならない。そうしなければ、矛盾を抱えて溺死することになる。そして、お前の正義を見つけ出せ。戦う理由を。戦わなければいけないならば覚悟を決めて正義を掲げろ」
戦う理由。
戦う理由なんて、ない。
見つけろなんて言われても——。
「はい、おしまい」
ジャンヌとの会話を強制的に断ち切ったのはアーサーだった。
「ジャンヌ詰めすぎ。ごめんねカケル。ジャンヌって激情型の人だから——、あと、信念の人だから。あんまりコン詰めないでね」
少し引き攣った笑いをしながら無理やり宥めるアーサー。
「だけど、僕からも一つだけ、アドバイスさせて欲しいな。もし自分の中に戦う理由や正義を見つけられないならば、人に託してもいいと僕は思うんだ。この人を守りたい、この人の信念を守りたい、この人の希望を叶えたい。だから僕は剣を振るう。魔法を使う。それがたとえ人を殺すことになっても——。そんな感じで十分だと僕は思うんだ」
「——そう言うもんかね」
「そんなもんだよ」
思えば、急に姫の護衛をしろと言われ、強くなれと言われてここにきた。
徴兵されたから仕方なく姫の護衛をするだけで、本気で姫を守りたいとは思っていない。
それだったらむしろ、孤児院の家族のことを守りたいと思う。
守るために殺す。
人類が何万年も繰り返してきた営み。
そろそろ大人にならないといけないのかもしれない。
あれこれ考えているうちに、ふと周りを見回すと、アーサーもジャンヌもいつの間にか姿を消していた。
ツブヨリの大樹の根元に腰をかけ、星を眺める。
僕の正義か——。
僕の主張は平時なら受け入れられたのかもしれない。
だけど、今はリベルオン王国との戦争の真っ只中。
皆んな死ぬのは嫌だけど、何かのために戦っている。
家族のため、愛する人のため、国のため、王のため——。
僕の主張は正論だろうが同時に、人を傷つけるもの。
何が正しくて、何が間違いなのか、そんなことは決められるものではないのかもしれない。
それならば、どうやって決めればいいのか。
決める必要がないのかな。
そうならばどうすれば——、自分の信念を信じるしかないのかもしれない。
たとえ、それが一部の人にとっては幸福を招いて、一部の人には不幸を招くことになってしまったとしても、完全な幸福がないように、完全な不幸もないのだから、自分を信じて突き進むしかないのかもしれない——。
———
「か……、かけ……、カケル!」
体を揺らしながら声を掛ける少女が目の前に——。
先生——。
「カケル、しっかりしてください」
どうして先生が僕の体を揺らして——。
そうか、昨日大樹の下で眠ってしまっていたのか。
「朝起きたら、カケルが部屋にいなかったので、探し回りましたよ」
先生の顔を見ると浮腫んでいた。
ああ、泣いてたんだ——と一眼見てわかった。
昨日、僕が酷いことを言ったから。
だけど、今も目が赤い……もしかして、心配して泣きながら探していたのか?
「翔、さあ、戻りましょう。朝ごはんを用意してありますから」
家に戻ると、コーヒーとサンドウィッチが用意されていた。
いつもは薄切りハムなのに、今日は僕の好物の厚切りベーコンが挟まっている。
「カケル——、昨日は、その、ごめんなさい。人として、言ってはいけないことを言ってしまいました」
申し訳なさそうに俯いている先生。
まだ、今日は髪を梳かしていないらしい。
いつもより、癖っ毛の暴れ具合が激しい。
朝起きて、朝食を作って、僕を起こしに行ったら部屋にいないから、慌てて探しにきたのだろう。
昨日、あんな酷いことを言ったのに、なぜ、先生はこんなにも気にかけてくれるのか。
「いえ、先生、僕が幼稚だけだっただけです。この世界の真理に気づかず、子どもじみた一方的な正論を唱え、利己的な正義を先生に振り翳してしまっただけなので、先生は悪くありません」
「え……」
目を丸くして静止する先生。
予想外に冷静な言葉に驚いているようだった。
自分でも驚いている。
昨日のジャンヌの言葉——、受け入れ難い主張であるはずなのに、あの主張を聞いた瞬間なぜか胸の中でストンと何かが落ちる音がして、妙に納得する自分がいた。
あの時から、何かが変わったのだ。
立ち上がり、椅子に座る先生の背後に周り抱きしめた。
「え、カケル——一体何を」
「すみませんでした先生。自分でもわかりませんが、人を傷つけることを妙に恐れていました。しかし、人を殺したくない、傷つけたくないという主張は立派だとは思いますが、それは平時ではです。今は戦争中。僕は乗り越えようと思います」
「そうですか——。カケル、私はあなたに死んでほしくはありません。ですから最低限、自分の命を守る時だけども、戦ってください」
「はい、それも頑張ってみます」
「それはそうと、カケル、わざとですか?」
わざと?
何がわざとなのだろう。
プニプニ——何か柔らかな感触が。
視線を落とす。
「だから、その、腕が胸に当たっています」
「うおっと、すみません」
勢いよく先生から離れる。
「そんなつもりじゃ」
「わかってます」
それにしても、少女かと思っていたけど、意外に先生胸あるんだな。
それから数週間、また同じ日々を繰り返した。
体力作りに、魔法の練習、夜は大樹へと向かう——と。
だけど、これまでとは異なることもある。
1つは、使える魔法が増えた。
きっかけは、重力球を誤って切り株の下に落としてしまったことだった。
出せる数と、吸引力と、持続力が伸びた重力球は、地面に落ちると、平面状に広がり、たちまち切り株をに見込んだ。
そして、重力球が消えたそこには、圧縮された木のかけらが残っていた。
先生はこの技を見た時、早速名称決めに勤しみ、初めは圧縮袋とかふざけた名前をつけそうになったが、最終的に黒沼という名前に落ち着いた。
2つ目はジャンヌも僕を鍛え始めたこと。
夜、大樹に行くの毎晩、ジャンヌが待ち構えてきて、襲いかかってきた。
お前を一流の兵士にするのが私の役目だと言い始めたのだ。
ジャンヌの剣裁きは、先生の剣術よりも凄まじく、おそらく上級以上だった。
魔法と剣術の複合技で私を倒してみろと豪語しているが、僕は一向に彼女を倒せそうにない。
新しく覚えた黒沼と重力球を交互に繰り返しながら、ジャンの打破を狙うが、彼女は鎧を着ているにもかかわらず、軽やかな身のこなしで全ての攻撃を交わしてしまう。
鍛錬が終わると、魔力はもうカツカツで、ツブヨリの大樹を倒すことなんでできるはずもなかった。
途中、先生にジャンヌのことを相談しようかとも思ったけど、アーサーにきつく口止めされていたため、アーサーの顔に免じて先生には伝えないでいた。
訓練を始めて5ヶ月経った時だった。
朝ごはんをいつも通り先生と食べていた時だった。
窓ガラスが突然割れ、外から何かが飛び込んできた。
それは、矢文だった。
何かの決闘状でも届いたのか?
先生が警戒しながら、その矢文を取ると、文章を読む。
段々と、顔の血色が悪くなる。
悪い内容だ——僕は瞬時にそう判断した。
「カケル——」
覚悟を決める。
そして先生はこちらを見て答えた。
「ダイ・オリバが誘拐されました」
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