第4話 シスターエリス

「「ぎりぎり〜せーーふ」」


 ダイと一緒に玄関に駆け込むと、そこには顔を真っ赤にした閻魔様が——いや失敬、噛みました。先生がすまし顔で立っていた。


「お前達、門限を20分も過ぎていることについてどう思いますか」


 抑揚のない声で、丁寧な言葉使い。

 これはお叱りを受けるパターンだなと瞬時に分かった——。


 孤児院の先生。シスター・エリス。

 7人の未成年が暮らしている戦災孤児院の最高責任者にして運営者。

 年齢不詳——これまで何度か聞いたけれども一度も教えてくれなかった。

 おおよそ50~60歳くらいだろうと兄弟達と話しているが、実際のところは分からない。


 いつもはお手伝いさんと一緒に、朝昼晩のご飯や、洗濯など身の回りの世話をしてくれる僕らの親代わり。


 エリスは感情を表に出さない。

 これまで怒っているところもないているところも見たことがない。

 今現在も、怒っているわけではなく、淡々と叱りつけられているような感じだ。

 ただ、倫理に反することをすれば叱ってくれて、悲しいことがあれば寄り添ってくれて——、愛情を注いでくれる優しい人であることは間違いない。

 太鼓判を押せる。


「これには色々と理由がありまして——」


 申し訳なさそうにそう伝える。

 実際、のっぴきならない事情がこちらにはあるわけで、強い交渉カードを持っているのだから、先生を恐れる必要はないのだけど。

 まあ、甘んじて叱られようとは思おうが、なんだかんだ、これが最後のお叱りになるかもしれないし。


「まあいいでしょう。理由は後で聞きます。皆がご飯を食べずに待っていたのです。さあ、手を洗ってきなさい。夕飯にしましょう」

「え、先食べていてくださいって、朝伝えた気がするけど——」

「弟や妹達が、カケルとダイと一緒に食べるって聞かないものだから、待っていたのです」

「それなら、バード通信で連絡くれればよかったのに」

「そうですね、そうすればよかったかもしれませんね」


 先生にしては歯切れが悪い返答。

 さては、簡単に思いつきそうなことを僕に指摘されて動揺したな。


「とりあえず、アイラ達を待たしてるからさっさとテーブルに向かおうよカケルン」


 ダイはさっきまであんなにロクロナルドのバーガーを食べていたはずなのに、もう空腹らしい。

 どんな胃袋をしているんだ。


 ダイニングに行くと、通夜が行われているが如く皆静かに椅子に座っていた。

 ゆっくりと料理から立ち上がる湯気。

 全体的に時間の流れがゆっくりに見える。


「さあ、食べましょうか」


「「いただきます」」


 シスター・エリスの掛け声で、阿吽の呼吸で皆で一斉にいただきますの挨拶をする。

 いつもなら、まだ5歳のパウロが16歳のラウラに『これ食べて』って嫌いなものを渡していたり、8歳のニルが、10歳のギルのお肉をこっそり取ったり、本を読みながら食事をする13歳のアーシャに先生が叱ったり、慌ただしいはずの夕食なのに——今日は静かだ。


「ラウラ、今日、学校はどうだったんだ」


 ラウラは魔法が使えない。

 だから普通の高校に通っている。

 将来何になりたいのかは決まっていないみたいだけれども、成績は優秀らしい。


「今日は、期末テストだったよ」

「ライラは優秀だから、今回も10番以内かな」

「う、うん、そうだと嬉しいな。カケルお兄ちゃんがいつも勉強見てくれるから、ちゃんといい成績取りたいしね」

「違うよ。いい成績が取れるのは、ラウラがしっかり努力したからだよ」

「うん、ありがとう」


 あれ、おかしいなあ。

 いつもはあんなに会話が続くのに、今日はラウラと全く話が続かない。

 なぜ、どうして、なんで。

 え、嫌われた?


 いやいや、そんなことはない、

 今だって、嫌われているような要素は一つもなかった——はず。


 ——シクシク


 向かい側を見る.

 アーシャが今日は本を読んでいない。

 それに、よく見ると泣いている。


「どうしたんだお、アーシャ。悲しいことでもあったん?」


 泣いているアーシャに気づいたダイは、アーシャの頭をゆっくりと撫でる。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


 ただひたすら謝り続けるアーシャ。

 何が原因かもわからないが、ダイは優しく頭を撫で続ける。

 アーシャは姉妹喧嘩でもしたのか?

 相手はラウラか?


 ——カシャ


 夕食の異様な雰囲気の原因を探ろうとしていた時、先生が箸をテーブルに置いた。

 そして、僕とダイの顔を交互にゆっくり見る。

 勘違いかもしれないが、先生の瞳も少しばかり潤んでいたような気がした。

 いや、鉄仮面の先生に限って——。


「それで、どうして門限を破ったのですか?」


 門限を破ったことがそれほど悲しいことだったのだろうか。

 そうだとしたら、先生も涙もろくなったものだ。


「ジョイコによってロクロナルドで食べていたら、時間を見過ごしてしまいました」

「本当にそれだけですか?」

「はい」

「そうですか」


 先生は席を立つと、職務用の机の上に置いてあった短冊状の紙を持ってきた。

 そして、その紙をテーブルの上に置いた。


「今日の夕方、電報が届きました」


 電報?

 一体なんだろう。

 ダイと一緒に電報の文を確認する。


『トキサワカケル、ダイ・オリバ、アス、ハチジニ、ヘイムカヘシュットウセヨ』


 徴兵のことだ。

 孤児院にも届いていたんだ。

 正式な徴兵紙は学校に送って、万が一のために家にまで電報を送るとは。

 国は逃げ出さないように用意周到じゃないか。


「何か言うことはありませんか?」


 そうか、だからしんみりしているのか。

 自分達は、これまで、戦争に行くことになるだろうと言われ続けてきて覚悟が一応できていたから、徴兵紙が来ても『ついにか』くらいにしか思っていなかったけれども、家族にとっては、それは違うよな。


「今日、担任から正式な徴兵紙を貰ったお」


 ダイが口を開く。

 と、同時に徴兵紙もテーブルの上に出す。


「うわああああああ」


 それを見たアーシャが泣きながらダイに抱きついた。


「ごめんなさい。私必死に調べたの。どうやったらカケル兄さんやダイ兄さんが徴兵から逃れられるかって、徴兵紙が来ても、逃れられる方法があるんじゃないかって——だけど、見つけられなかったの。ごめんなさい。ごめんなさい」

「ありがとうアーシャ。僕らのために色々探してくれたんだね。本当にありがとう」


 泣き続けるアーシャを優しく抱きしめるダイ。

 それを眺めていると右手が突然暖かくなった。

 横を見ると、ラウラがぎゅっと右手を掴んでいた。


「カケルお兄ちゃん、本当に行くの?」


 茶髪に茶色目のラウラの瞳は、不安に満ち溢れている。

 ラウラは僕とダイが入院してから一年後に入ってきた。

 孤児院に入ってからずっと、僕とダイの後ろを追っかけてきて、僕らは一緒に遊び、勉強を教えたり、楽器を教えたり、多くの時間を一緒に過ごしてきた。


「行かないで」


 さらに強く握られる右手。


「ラウラ。断れないんだ」

「だめだよ。カケルお兄ちゃんは魔法が使えるって言ったって——、他の人よりは使えないわけだし、だめだよ、行かないでよ。お願い。死んでほしくない」

「ラウラ——」


 俯いたラウラの目から涙が落ちる。

 それを心配そうに見つめるパウロ。

 そんなラウラに声をかけたのはダイだった。


「大丈夫だよラウラ。カケルンは絶対に僕が守るから、だから、とりあえずご飯を食べよ。こうしてみんなと会える機会も減るだろうから、楽しく食べたいお」


 ダイの言葉にハッとする妹や弟達。

 最後の食事会だとでも思ったのだろうか、涙を拭いて、無理矢理な笑顔も向ける。

 その痛々しいほどの笑顔を見て、鼻の奥が熱くなった。

 幼い弟や妹を置いて戦場なんかに行きたくない。

 初めて、これまで段々と培ってきた覚悟が揺らいだ。


「ねえ、今日一緒に寝ようよ!」


 そう提案したのは5歳のパウロ。

 いいねいいねと、数珠繋ぎのように他の弟や妹が呼応し、本日は大広間で並んで寝ることになった。


 大広間の机をどかして——って意外に重いな。

 一緒に布団を引いて、寝具を用意して。

 なんだか合宿みた——。


「なんだか合宿みたいだね」


 っと、今言おうかなと思ったことを先にラウラに言われながらも、皆で楽しく準備した。

 途中、先生にも一緒に寝ませんかと声をかけてみた。

 が、私はいいですと首を縦に振ることはなかった。


 夜10時、予定よりも早めの就寝。

 一番幼いパウロが、うとうとしているが、今日はお兄ちゃん達とずっと一緒にいるんだといって、一所懸命に眠気と闘っているが、あっさりノックダウンされて床に着いた。


 その後は、アーシャやラウラ、ニル、ギルとこれまでの思い出を話した。

 初めて会った時のことを覚えているかとか、最初の印象はとか——。

 みんなな共通していたのは、最初は怖い人かと思っただとか、話しかけちゃいけないのかと思っただとかあまり良い印象を初めは持たなかったらしい。


 一方、ダイはというと、明るく陽気なデブッチョと言う印象だったらしい。

 まあ、確かに分からんでもない。

 ダイはでぶっちょは余計だおって言って、皆を笑わせていた。

 ダイにとっては笑わせるつもりはなかったみたいだが。


 そうこうしているうちに、最後まで眠気に抵抗していたラウラの瞼が閉じた。

 さっきまでの賑やかさが嘘かのように静寂が辺りを満たす。

 可愛い妹達や弟達の寝顔——、僕らはこの安寧を守るために戦場に行くんだ。


「ちょっと良いかね」


 突然大広間に現れたのは先生だった。

 先生はまだ普段の仕事着を着ている。


「どうしたの、先生」

「少し話しておこうかと思って、ダイと一緒に私の部屋に来てもらえますか?」

「はい」


 シスター・エリスの居室に入ったのは2年ぶりだった。

 ダイと一緒にどうやったら魔法の模擬戦を庭でやって、庭を荒らした時に叱られた時だったけか。

 あの時の、部屋の様子は全く変わっていなかった。

 飾り気のない部屋で、机には一冊の本と、男性の写真。


「さあ、そこに座ってください。夜なのでカフェインレスコーヒーにしておきますね」

「あ、先生、ブランデーもちょっと入れてくれると嬉しいな」

「はいはい、ダイはどうしますか」

「僕は、チョコレートドリンクがいいな」

「夜だからだめです」

「えーー、じゃあ、コークで」

「はいはい」


 コーヒーにブランデーこれがまた絶妙に合うんだ。

 あ、自由民主連合では16歳からお酒が飲めるから大丈夫。

 さっきはアイスティーを飲んでいたのにやっぱりコークを飲むんだな。


「あ、先生、ミルク入りで」


 え? ミルク入り?


「ミルクを入れるとまた変わった美味しさになるんだお」


 じゃあ、さっきミルクを入れていたのも、まさかコーク。


「さっきもコークにミルクを入れたら美味しかったんだお。コークにミルク、これから絶対流行るんだお」


 先生は台所から戻ってきて、飲み物を手渡す。

 そして、椅子に腰掛け、二人の顔を交互に見比べながら静かに話し出した。


「いつかこの日が来るとは思っていました——ただ、まさか同時に徴兵されるなんて……」


 伏し目がちに一つ一つ言葉を紡ぎ出す先生。


「私には、約30年前、第11区より果て、リベルオン帝国と接する国境を越え100 km付近にある都市、リオンという都市で戦死した夫がいます。彼もまたあなた達同様に魔法士でした」


 それは突然の告白だった。

 先生は、若かりし頃は美人で異性運に恵まれただろうという話は、良く兄弟でしている内容だったし、絶対結婚していたよっていつもラウラは断言していた。

 それにしてもリオンの戦いに旦那さんが参加していたとは——。


 激戦のリオン——、その戦いはこの国ではあまりにも有名だった。

 教科書で習ったことだが、国土を取り返そうと躍起になるリベルオン帝国に押され、国境付近まで押し込まれていた民主連合国軍。

 このままでは、国境まで押し返され、さらに帝国の我が国への侵入を許してしまい、果てには重要都市である第11区までもが占領されかねない。


 そう危惧した国の閣僚達は、現場に対して、国土絶対死守命令を出した。

 いわゆる、死んでも帝国に侵入を許すなと。

 激戦だったらしい。

 帝国軍も民主連合国軍も、白兵戦の最中、味方への被弾も顧みずに砲弾を戦場にぶち込み続ける非道が行われたらしく、死んだ兵士の半数は味方に殺されたのではないかと言われている。


「停戦間際の戦いでした。彼は魔法士で、上級火焔魔法が得意でした。二つ名は炎の魔法士リッツ。彼は撤退する時にはいつも殿シンガリを務めて、炎の壁を作ってたり、水魔法と混合して、霧を発生させたりすることで敵の追い討ちから味方を守っていたそうです。そうのようにリッツの同僚からは聞いています」


 先生は立ち上がり、暖炉の上に置いてあった小さな木箱を手に取り、再び腰を下ろす。


「しかし、国境付近まで撤退してきた直後に、敵の大規模攻撃が行われ、戦線が瓦解。リッツは国境を死守するべくまたもや殿を務めたそうで、その際に戦死したそうです。敵味方の砲弾が飛び交う戦場の真ん中で、最後まで同僚を鼓舞し続け、最後には、どちらかの砲弾が直撃し、即死だったそうです」


 ——ポツリ


 初めて見た。

 先生の目から涙が落ちたところを。

 先生が泣いている。

 いつも鉄仮面の如く、表情が変わらない先生から涙が。


 それほど先生にとっては戦争というものは苦々しい記憶なのか。

 それもそうか、愛する人を奪った戦争、それを恨まずにはいられないんじゃないか。

 僕とダイは、戦争というものをあまりにも軽く捉えすぎていたのかもしれない。


「そしてこれは彼の遺品です」


 先生が木箱から取り出したものは、傷だらけで所々焦げているが、綺麗な装飾が施された魔法時計。

 それを先生は僕に手渡した。


「これしか残りませんでした。骨すら帰ってきません。埋めてあげたくてもできないのです。時には戦わないといけない時もあるのでしょうが、戦争というものは、悲しい側面が付き纏うのです。そして、その悲しみは癒えません。もうリッツは帰ってこないのですから。だから私はいつも言うのです。学びなさい教養をつけなさいと。偉い人の心地よい言説に惑わされないように。物事を多角的に見る目を養うようになって欲しいがためです」


 カフェインレスコーヒーに手を伸ばし、ゆっくりと喉に通す先生。

 その目線の先には、若い男性の写真。

 そうか、あの写真は旦那さんの写真だったのか。


「この魔法時計はあなた達に預けておきます。もしかするとリッツがあなたを守ってくれるかもしれません。ただ、約束してください。無茶はしないと。そして、生きて帰ってくると。私にとってはこの国が滅びようと関係ありません。カケルとダイが生きていればそれだけでいいのです。分かりましたか?」


 先生は優しく厳しい目をしていた。

 人類の歴史上、戦争は潰えない。

 それは自明だ。

 だけど、仕方ないだけでは済ませられないほど、悲しい側面があるのも事実。

 僕は、何か勘違いしていたようだ。

 戦争に行って武功を上げればみんなに認められて、いじめられなくなるかもしれない。

 箔がついて自分に自信が持てるかもしれない。

 そんな邪な考えも持っていた。

 先生は、それではいけないと気づかせてくれた。


「はい、肝に銘じます」


 何か言葉を紡げば、陳腐な言葉の羅列しか出てこないような気がして、了承の言葉以外何も言えない。

 ダイも同じことを考えているのか、はい、とだけしか答えなかった。


 僕らの返事を聞いて先生は笑顔になった。

 久々に見た笑顔。

 僕らが第一魔法学校に合格した時から見ていなかったような。


「頼みましたよ」


 僕らは先生の部屋を出て、大広間に戻った。

 大広間では皆が幸せそうに寝ている。


 守りたいものがあるから戦わねば——だけど、自分は死地に赴かない政治家が始めた戦争で死んでは意味もない。


「カケルン、魔法時計はカケルンが持っておいた方がいいお、そんな気がするお」

「——わかった、僕が預かっておくよ」


 戦争の二面性、先生の言葉を反芻しながら眠りについた。




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