河合佳純
『ねぇ、今、何してるの?私は≪
『拝啓、お兄様。離れていても≪
『結婚したら、何人子供を作る?ふふ、な~んてね。私には既に七人の子供と幸せに暮らしている未来が見えているわ』
『お兄ちゃんと私ってなんで兄妹なんだろ…義理の兄妹の可能性があるから、お母さんに聞いてみるね!』
『ねぇ…なんで返信してくれないの?どうしてどうしてどうしてどうして…」
『お兄ちゃん。どうして返信してくれないの?もしかして≪
…怖いよ~
休み時間の度に僕に愛のメッセージが送られてくるんだけど、どう返信したらいいか分からない。自分の妄想を僕に押し付けてくるあの二人から本気で逃げたくなった。
『昼休みに貴方の教室に行くわ。待っててねダーリン』
詩が僕の教室に来るらしい。一緒にご飯を食べようとしているのかもしれないけど、昼休みくらいは心を落ち着かせたい。ただ、あのヤンデレから逃げられるのかと疑問が残る。
(逃げ切れる気がしない…)
たとえ人気のない場所に身を潜めても見つけられる自信がある。それだけの恐怖を植え付けられた。
(この学校で詩が入ってこれない場所はないのか…)
僕は必死に思考をめぐらす。
(できれば人の出入りも多くて、僕が静かに過ごせる場所…はは、そんな場所があるわけないか…)
いくらなんでも贅沢すぎる。授業が終わるまで残り五分。
「あっ」
(そうだ!あそこなら詩も手を出せないはずだ!)
諦めかけていたその瞬間、僕に天啓が降ってきた。
━━━
「ここなら安心だ」
僕は授業が終わると同時に男子トイレに逃げ込んだ。ここなら、女の子が入ってくることなんてないし、仮に入ろうとしても男子に見つかってしまう。奇跡的に入り込めても、個室だからなんの問題もない。
まさに鉄壁の防御。これで安心してお昼を過ごせる。僕の鞄の中にいつの間にか入っていた見覚えのない弁当箱を開けた。
『≪
いつもは愛莉の作ってくれた弁当を食べていたのだが、今日は詩の弁当が入っていた。というか僕は鞄に愛莉の弁当箱を入れたはずだった。なぜ入れ替わっているのかは考えまい。
「お~美味しそう」
僕の好物ばかり入っていた。なんで僕の好みを知っているのかも考えない。こんな美味しそうな弁当を作ってくれたのに、便所飯というのは少しだけ罪悪感を募らせられたけど、後でしっかり感想は言おう。
「いただきます」
「ええ。丹精込めて作ったから美味しく食べて頂戴ね。残したりしたら許さないんだから」
「うん…は?」
聞こえてはいけない声が聞こえてきた。僕は首を振りまくる。上下左右、どこを見ても詩の姿はない。
(幻聴か…)
僕は相当メンタルがやられているらしい。
「大丈夫?病院に連れていきましょうか?」
「…なんでそこにいるの?」
僕は詩の居場所が分かった。姿が見えない。男子トイレにいるわけではない。
「これって中々ドキドキするわね。≪
「便所飯をしてるだけなのに、そこまでポジティブに捉えられる詩が凄いよ…」
「お揃いコーデなのになぜ喜ばないの?」
「ロマンがちっともないからだよ」
僕は男子トイレに、詩は女子トイレで便所飯をしている。詩は僕の背後にある便所から壁を隔てて話しかけているらしい。ロマンから最もかけ離れた行為だと思うけど≪
僕は現実に屈した。弁当に手を付ける。
「それで味はどうかしら?」
「…うまい」
「ふふ、お粗末様」
ヤンデレに屈したという事実に打ちのめされそうになった。でも、美味いのは事実だ。
「それで、さっきから何も返信しないのはなぜかしら?貴方の教室に行ってたけど、ずっとスマホをいじっていたじゃない」
「そこまで知っててLINEを送ってくる理由はなんなの?直接声をかければよかったじゃん」
僕としては逃げたくなるシチュエーションだけど、恐怖のLINEを送られながら観察されるよりは圧倒的に良い。すると、
「恥ずかしいからよ…言わせないで」
(なぜここまで感性が死んでいるのに、僕を呼ぶということができないんだろう?)
ヤンデレって不思議な生き物だ。
「まぁいいわ。LINEの件は不問にしてあげる。こんな美味しいシチュエーションを用意してくれていたんだもの」
「あっ、どうも」
詩の世界で僕は許されたらしい。何が何だか分からなかったけど、許されたのならそれでいい。藪をつついて蛇を出す必要もない。
「あっ、そうだわ。私のエクスカリバーを≪
「なんで僕が見ること前提で話が進んでいるんだよ。マジでやめて」
「それじゃあご清聴「ご馳走様でした」ちょっと!待ちなさい!」
僕は便所から飛び出した。剣を抜いていた数人の同学年が僕を見てぎょっとしていたけど、無視して教室に戻った。
「?」
詩は個室から出ると、隣の個室も鍵がしまっていたことに気が付いた。しかし、音がした気配は全くない。少なくとも自分が入った時は空いていたはずだった。
「…まぁいいわ。≪
詩はなんでもないと思って旭を追いかけた。
━━━
━━
━
ギイ…
誰もいなくなった女子トイレの個室が開いた。
「私の勘は間違ってなかったんだぁ…ふふふ」
個室から出てきたのは、この学校で一番人気の女教師、河合佳純だった。恍惚の表情を浮かべた佳純はふらふらと歩きながら、洗面台の前で自分の顔を確認した。
「≪
憧憬、いや、崇拝している対象が自分の学校、そして、生徒だったと知った時は天にも昇る気持ちだった。
これが運命。赤い糸で結ばれた者同士。
しかし、それと同時に黒い感情も渦巻いてきた。もちろん対象は≪
「ちっ、まさか≪
隣の個室に入っていたので、詩と旭が繰り広げていたイチャイチャに拳から血が出るほどイラついていた。
「まぁ、いいか。≪
口を抑えてうめき声に似たような声を出す。しかし、その瞳は他の≪
━━━
今日の最後の授業は現代文だった。担当は僕のクラスの担任の河合先生だ。
残念ながら僕の学力はこの学校でもトップクラスのどべだ。ほとんど赤点だし、二年生に上がれたのも奇跡だ。そんな僕にも唯一得意と言っていい科目があった。現代文だ。
ただ、得意といってもギリギリ赤点を取らないで済む程度だ。上位にランクインするということは全くない。
「それじゃあ先日の実力テストを返すから名前の順で来てね~」
ぞっ
一瞬だけ河合先生が僕を見た気がした。しかし、いつもの笑顔でクラスを見渡していた。
「先生!もし、高得点が採れたら、ほっぺにチューしてください!」
陽キャ軍団の一人で野球部の川村和樹が手を挙げた。どっと笑いが起こり、男子たちは悪ノリし、女子たちは心底軽蔑しきった顔で川村君たちを見ていた。
ちなみに僕の『聖剣』の被害者でもある。
「いいよ~」
「「「「え?」」」」
河合先生から返ってきたのは意外な返事だった。
「ただし、一人だけね~」
男子たちは最高潮に盛り上がったと同時にもっと勉強しておけばよかったと後悔する人間で分かれた。僕ももっと頑張ればよかったと後悔した。まぁどれだけ頑張っても僕みたいな劣等生じゃ勝つことはできないだろうけどね。
「よっしゃあ!」
「ちくしょう!」
「負けたあああ」
「これならキタのでは!?」
答案を受け取った生徒たちが阿鼻叫喚していた。女子たちの視線は完全にゴミを見る目だった。
「あかねは?」
「95点だったよ」
「1点負けたあああ!河合先生とキスするのってあかねになるじゃん!」
「それはそれで見てみたいな…」
宮下さんは流石だった。川村君も普段はお調子者だけど勉強はできる。僕は名前が最後なので、そんな様子をずっと見ていた。そして、とうとう僕の番が来た。
「山井君」
ぞっ
(さっきから感じるこの悪寒はなんだ?)
もしかして、詩が教室に来ているのかと思って、見回すが誰もいない。
「山井く~ん?」
「あっ、はい!」
僕は河合先生の下に焦って立ち上がる。そして、少しだけ小走りで向かった。そのせいで、足元の注意がおろそかになっていた。
「っ」
「大丈夫かぁ?山井」
「気を付けろよ~?」
この二人もあの日に『聖剣』の被害者だ。その表情から復讐だというのは分かる。
「山井く~~~ん!大丈夫か~?まっ!『アーサー王』なら平気か!」
お調子者の川村君が声をあげることでどっと笑いが起こる。川村君も僕にやり返したかったのだろう。
(僕のあだ名が『アーサー王』になっている件)
笑われるのは慣れているからなんのダメージもない。あだ名をつけた人はセンスがいいなぁとしか思わない。僕は無視して河合先生のもとに行く。
それにニコニコ笑っている河合先生を見ていれば癒される。
「はい。頑張ったね!」
「ぇ…?」
僕はテストの点数を見て驚いた。今までで一回も見たことがない点数だった。現実かどうかを確かめる前に河合先生が声をあげた。
「それじゃあ今回の実力テストで100点満点の山井君に拍手~!」
「は?」「え?」
僕が最高得点を取っているという事実に誰も受け入れられていない。何より当の僕が受け入れられていない。宮下さんなんて答案を落としてしまっていた。
「は?嘘だろ…?」
「あいつ成績は酷かったよな?」
「不正したんじゃ…」
失礼すぎる物言いだけど、僕の普段の成績からしたらそう言いたくなる気持ちも分かる。
「はい、それじゃあご褒美ね!」
「ぁ…」
僕の応答を無視して、僕の頬に河合先生が軽くキスしてくれた。
「「「「あああああ!」」」」
僕が学校の人気教師にキスされたことが受け入れられないらしい。河合先生のファンたちからは嫉妬と羨望の視線を向けられる。
「それじゃあ席に戻っていいよ~」
「は、はい」
何でもない風にしている河合先生を見て、大人だなぁとしか思えなかった。
そして、授業中は僕に対する好奇と憎悪の視線がちらちらと向けられた。
━━━
HRが終わり、僕はそそくさと教室を出ようとした。居心地も悪いし、配信もあるから早く帰りたかったからだ。
「あっ、山井君。ちょっと来てくれるかな」
河合先生に呼び止められてしまった。教室中から「またお前か!」という視線が突き刺さる。
「すいません、用事があるので早く帰りたいのですが…」
「大丈夫だよ~。七時には家に着けるから」
「は、はぁ」
(七時に用事があるなんて言ったっけ?)
少々違和感があったけど、配信に間に合うなら特に問題はないか。
「ちょっと、生徒指導室に来てもらっていい?」
「分かりました。…よっと」
「え?」
不思議そうな顔をしている、河合先生に僕はやらかしたかと思った。
「あの、授業道具が重そうだったので、代わりに持とうかと思ったのですが…迷惑でしたか?」
「ううん!ありがとね!…≪
ねっとりした視線が背中に突き刺さった気がしたけど、深く考えないことにした。
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