山井愛莉2

山井愛莉にとって兄は何もできないダメダメな存在だった。


私はなんでもできるのに、どうしてお兄ちゃんは勉強もダメ、スポーツもダメ、顔もダメ、身長も低い、友達もほぼいない。幼心のままに、お兄ちゃんはどうして何もできないのだろうと心底思った。


それでもお兄ちゃんを嫌いになるとか恥ずかしいと思うことはなかった。何もできない自分を変えようと努力している姿を見たら、そんな気持ちになることはなかった。


けれど、とても可哀そうな人だとは思っていた。私が努力しないでできることを、お兄ちゃんは万倍の努力をして、そして、結果が出ない。


神様は残酷だと思った。だからこそ、ダメでダメダメなお兄ちゃんを天才たる私が支えようと思った。足りない部分を補ってあげる。これが家族というものだ。


けれど、


「━━━その程度で天才などと思い上がるな。無能め。貴様など井の中の蛙に過ぎん」

「ぇ…?」


登録者数が十万人程度の≪冥府の日輪ラストサン≫様に初めてスパチャを送った日のことだった。当時、お兄ちゃんは中三で私は中学生に成ったばっかりだった。≪冥府の日輪ラストサン≫様の名前もニッチな人たちが知っている程度の物だった。


私は≪冥府の日輪ラストサン≫様の情報をどこで手に入れたのか覚えていない。


ユーチューブでオススメされたのを見たのがきっかけだったかな?まぁ私のきっかけなんてどうでもいい。


視聴者たちの質問に的確に答えていくその姿勢に好奇心が湧いて、生まれて初めて課金をした。


『勉強、スポーツなど何をとっても天才の私には無能な兄がいます。兄妹仲は悪くないですが、なんとかしてあげたいです。どうすればいいですか?』


その質問に対する答えが『無能』だった。私は周りに天才ともてはやされて生きてきたため、そのように言われたのに驚いたし、怒りが込み上げてきた。


しかし、私が怒りの連投をする前に≪冥府の日輪ラストサン≫様は言葉を紡いできた。


「勉強やスポーツができること…確かにこれらはどの世界に行ってもメジャーな指標として扱われる。だからこそ、その世界で優秀なことは万人に評価されやすい。そこには疑いの余地はない」


その通りだ。だったらなんで私が無能なのか?


冥府の日輪ラストサン≫様は話の続きをした。


「だが、それでは狭量だ。世界が狭い。もっと広い視点を持て。例えば、勉強ができなくても世界で一番友人を持っている人間がいたとしよう。それは友人作りにおいて天才だと言えないか?逆もそうだ。勉強で天才であったとしても、友人が一人もいなければそいつは友人作りにおいては無能だ」


…確かにそうだ…私にも友人はいるけど、数だけで言えば凡人だ。


見方と指標を変える。当時の私にはそのような考え方は全くなかった。


「昆虫を見つける天才、営業の天才、掃除の天才…視点を広げれば『天才』といわれる人間はたくさんいる。誰でも測れる一般的な指標で他人よりも少しだけ優れているというだけで、自分を特別だと思い上がるな、うつけが!」

「っ!」


ぐうの音も出ないほどの正論だ。私は視野が狭かった。学校という箱庭であれば私は『天才』だろう。だけど、同じ年のすべての学生の中で飛びぬけているかと言われたらそんなことは全くない。


『天才』ぶっているだけの凡人…


それが≪冥府の日輪ラストサン≫様から突きつけられた現実だった。


コメントでも私に対する非難がたくさん集まった。それだけでもう死にたくなるくらいに恥ずかしくなった。私がいたたまれなくなって、ユーチューブを消そうと思った瞬間、


「━━━と、ここまでが前提だ。そして、ここからが本題だ。貴様の悩みに答えよう。兄のことだったか?」


そうだ。私は兄がダメすぎるからどうすればいいかと聞いたんだった。質問しといてなんだけど、自分のことでいっぱいいっぱいになって、忘れていた。


”兄を馬鹿にして自分の自己肯定感を上げようとしただけでしょ?”

”それな。お兄さんに同情するわ”

”優秀な妹(笑)”


しかし、コメントは私に対する批判でいっぱいだった。だけど、


「黙れ愚民共。兄を想う気持ちは本気のはずだ。でなければ、金貨を用いて我に教えを乞うまい」


その一言で私に対する批評は消えた。こういうところがニッチ層だけとはいえ人気がある理由なのかもしれない。中の人とは言ってはいけないんだろうけど、誠実で優しい人なんだろうなぁと思った。


そして、私は≪冥府の日輪ラストサン≫の言葉を待った。こんな教え施してくれる人だ。素晴らしい解決策があるのだろうと思った。


「信じろ。それだけでいい」


え?それだけ?


あまりにシンプル過ぎる答えに私は拍子抜けしてしまった。


「貴様の兄が現状を変えようとしない愚図なら、時間をかけるだけ無駄である。しかし、現状を変えようともがく者であったとしても何もしてはならない。孵化する瞬間をただ信じて待て。それだけで随分救われる。僕もそうだしね…」


”ん?僕?今僕って言ったのかぁ?可愛いなぁ”

”素が出ちゃってるなぁ。≪冥府の日輪ラストサン≫は僕っ子かぁ”

”中学生か高校生ぐらいとみた!”


「ち、違う!じゃなくて、我の別人格が原初の思考を邪魔をしている。くっ、右目が…!」


さっきまでのシリアスな雰囲気から一転して、私の質問は≪冥府の日輪ラストサン≫様のいじりで遥か記憶の彼方にまで飛んでいってしまった。視聴者は今の質問なんて忘れてしまうだろう。


「信じるか…」


私はお兄ちゃんをを信頼していなかったのかもしれない。何もできないお兄ちゃん。そんなレッテルを貼って可能性を狭めていたのは私なのかもしれない。


さっき≪冥府の日輪ラストサン≫様は言っていた。指標は一つだけではない。多面的に見ると、長所になることもあれば短所になることもある。


だから信じることにした。


━━━


「━━━ということがあって私はお兄ちゃんを信じることにしたんだ。まさか≪冥府の日輪ラストサン≫様本人だとは思わなかったけどね。今では世界に誇れるスーパースターだし、妹としては鼻が高いよ!」

「妹に対してなんて恥ずかしいことを言ってるんだ、僕は」


顔を隠しながら、僕は当時のことを思い出していた。


天才な妹とダメダメな兄ということで質問された僕は自分と愛莉を重ねて少しきつく言ってしまった。まさかそのまんまだなんて露にも思わなかったけど…


あの時は少し、きつめに言ってしまって申し訳ないと思っていたのだが、≪境界を超える者クロスオーバー≫の一人になるまで慕ってくれていたのは嬉しい誤算だった。


確かに愛莉がスパチャを投げてくれてから、僕に対して憐れみのような視線を向けることがなくなった。ただの兄妹として対等に扱ってくれていた気がする。それがあったおかげで受験もなんとかなったし、配信業も頑張れた。そこは感謝しかできない。


「まさかお兄様が≪冥府の日輪ラストサン≫様だったなんて!本当に私は愚かof愚か!≪奈落の底タルタロス≫があったら入りたいよ!」

「僕は今、旭だ。呼び方に気を付けて」

「あっ、ごめんね。お兄ちゃん」


冥府の日輪ラストサン≫の時は『お兄様』、僕の時は『お兄ちゃん』呼びで固定させた。外に出るときに『お兄様』なんて呼ばれたくない。


「ここまで分かって貰えたら、私の愛が伝わったでしょ?それじゃあ一緒に寝よ」

「ダメ」

「なんでよ!私がいかに≪冥府の日輪ラストサン≫様を愛しているかはスパチャの額でわかるでしょ!」

「くっ、ん?」


悔しいけど納得させられてしまう。≪境界を超える者クロスオーバー≫達の愛の重さは重々承知しているつもりだ。ただ、気になる点がある。


「愛莉はどうやってスパチャのお金を稼いでるの?」

「お兄ちゃんからもらったお小遣いで投げてるよ!」

「盛大なマッチポンプ…」


愛莉には普段お世話になっているから、望む額をあげていた。ただ、それが≪冥府の日輪≫に対して投げられていたのかと思うと、阿呆らしい気持ちでいっぱいだ。


僕→愛莉→≪冥府の日輪ラストサン≫→僕→愛莉…


なんて馬鹿な図式なんだ…


「お兄ちゃん、安心して。このエロ下着は私からのサプライズ。近親相姦なんてする気はないの」

「愛莉からそんな言葉聞きたくない」


妹に近親相姦はする気はないのと言われて安心する兄がいたら教えて欲しい。仲良くなれそうだ。


「お兄ちゃんと私は私が生まれてからずっと一緒だし、実質同棲してるも同然じゃん!」

「愛莉、頼むからもう寝てくれない?」

「もっと言えば結婚、ううん、血婚してるも同然。しかも、十五年もだよ?結構な熟年夫婦だと思わない!?」

「話を聞いて」


なぜ僕の信者は僕の話を聞いてくれないのだろうか。そして、天才だからか分からないけど、突飛な理論を思いつきすぎだし、無敵思考が過ぎる。


「神話の世界ではネフティスは兄のオシリスと結ばれているけど、≪冥府の日輪ラストサン≫様はそれを狙ったんだよね?」

「とんだ交通事故だよ!全然狙ってなかったわ!」


ただ、冥界っぽくてカッコいい女神を探していたらたまたま見つかっただけだ。それ以外に他意はない。


「も~、うだうだ煩いなぁ!早く一緒に寝よ。愛を囁き合いたいの!」


真剣に一人暮らしがしたくなった。家の中にまで≪境界を超える者クロスオーバー≫がいるとなれば、安らぎの空間がどこにもない。


まぁできないことに文句を言っても仕方がない。今は寝床の確保だ。自分の部屋なのに何をやっているだかと嘆息した。そして、


「≪死者の案内人ネフティス≫ごときが我の安眠を妨げようなどとはな…死を覚悟したということで良いか?」


ビクッと反応する愛莉。≪冥府の日輪ラストサン≫モードの時は素直に反応してくれるらしい。


「ち、違います!私はただ≪冥府の日輪ラストサン≫様の安眠の一助になればと思って提案しただけであって…」

「だとしたら、不要だ。我は孤高の存在。誰からの手助けもいらん!分かったらさっさと消えろ!」

「は、はい!」


愛莉は僕の部屋からさっさと出て言ってしまった。静かになった部屋で僕はようやく一人になれたと心の底から安心した。


「寝よう」


明日以降のことは明日の僕に任せる。現実逃避気味に僕は瞼を閉じた。

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