山井愛莉

詩が部屋に侵入してきたせいでどっと疲れが押し寄せてきた。≪冥府の花嫁ペルセポネ≫の正体が詩だったのはもちろんなんだけど、あまりにも会話が成立しないから、余計なエネルギーを消耗してしまった。


時刻は七時を回っていた。流石に屋根伝いで戻るのは危ないんじゃないかと忠告しようと思ったけど、慣れた足取りでひょいひょいと自分の部屋に戻ってしまった。


流石に僕の屋根を三年以上も歩き回っている猛者は違う。


全く褒められたものじゃないけど…


「お兄ぁ~、ご飯だよ~」

「ん?あっ、すぐに行く!」


違和感を覚えたが、愛莉のおふざけだと思って、軽く流した。


僕は≪冥府の日輪ラストサン≫としての衣装をダッシュで片付けてリビングに向かった。


━━━


「ねぇ、愛莉」

「なぁに?」

「なんで隣に座ってんの?」

「お兄様の隣に椅子があったから」

「さいですか…」


両親は仕事に行っているので、夕食時は愛莉と二人きりでご飯を食べることがほとんどだ。それはいい。僕も賛成だ。問題は愛莉の席の位置だ。


いつもなら僕と向かい合ってご飯を食べるのだが、今日は隣に座っているのだ。しかも肩が触れ合うほど近い。そして、僕のことをお兄様呼び。これは何かあったと考えるのが普通だ。


愛莉は僕と本当に兄妹なの?ってくらいに優秀だ。だからこそ抱える悩みというのもあるのだろう。そして、僕に対する態度の豹変から分かるのは十中八九僕が原因だということだ。無能な兄だけど、妹の負担になりたいなんて思わない。


「愛莉、何かあった?僕が悪いなら直すから言ってくれ。ダメダメな兄貴だけど、愛莉のためなら頑張るよ」


すると、愛莉がビクンと反応する。僕と触れあっているので、その振動が伝わってきた。


(こりゃぁ相当やらかしてるな…)


自分がとんでもないことをしでかしたと自覚するには時間はかからなかった。僕は愛莉から紡がれる言葉を待った。


しかし、


「お兄様は全く悪くないよ~、むしろ誇らしいというか自慢したいというかそんな感じかなぁ」


愛莉から出てきたのは罵倒や罵声とは正反対の言葉だった。僕を誇らしいなんて嬉しいことを言ってくれるけど『聖剣』を抜いてしまう兄は一体何をしたのだろうか?


まぁ愛莉の機嫌が悪いんじゃなくて逆だったのは良かった。もしかしたら、僕がくれた一万円でガチャでも引いたのかもしれない。それで大当たりして、僕のことを褒めているのだろう。


「なるほどね。何があったか分からないけど、愛莉が嬉しいなら僕も嬉しいよ。ただ、できればお兄様呼びはやめてくれ。いつも通り呼んでくれた方が僕は嬉しいよ」


僕は普通に受け答えをしたつもりだった。しかし、愛莉は首をぶんぶん振ってきた。


「お兄様をお兄ちゃん呼びなんて不敬なことはもうできないよ!むしろ不出来な妹でごめんなさい!山井家始まって以来の汚点を残してしまいました。申し訳ありません!」

「愛莉!?」


土下座検定をしたら一級を取れそうなレベルの美しい土下座をされてしまった。愛莉の様子が明らかにおかしい。僕は床に頭をついている愛莉を起こし、そして、おでこを合わせる。


「おおおおおお兄様!?」

「う~ん熱はないな…」

「あるわけないです!むしろ元気が出てくるでありまする!」

「そうか…だとしたら、先にシャワーを浴びてきな。片付けは僕がやっておくよ」

「え!?で、でも」

「でもじゃありません。早くいきなさい」

「はぃ…≪冥府の日輪ラストサン≫しゃまぁ…優しぃ(ボソっ」


フラフラとした足取りで風呂場に行く愛莉を見て、これでよかったと思った。良いことがあったって言ってたけどアレは僕に悟らせないための嘘だ。体調が悪くなるまで愛莉を追い詰めていた僕が情けない。


愛莉には欲しい物があったら現金をあげるようにしていたけど、そんなのじゃやっぱり駄目だ。できることはやっていこう。


(最後に何か言っていた気がするけどなんだったんだろう?)


━━━


「ふぅ…」


家事を終わらせ、一息つく。こんなのを毎日やっていたら、身体が壊れてしまう。僕もできることを増やして愛莉の負担を減らしていかないと、愛莉の学校生活に支障が出る。


僕は風呂を出て、リビングの明かりを消して部屋に向かう。愛莉の部屋は僕の部屋の隣だ。扉の端っこから明かりが漏れ出ているということはない。つまりはもう寝たということだろう。


安心して部屋に入った。


「お兄様お待ちしておりました」


バタン


「ふぅ、僕も疲れているのかな…」


愛莉がエロい下着で旅館の女将のように座っていたのだ。眉間を揉んでもう一回部屋に入る。


「お兄様!なぜ閉めるんですか!」


僕が見たものは幻覚じゃなかったらしい。愛莉は僕を見て非難してくるがそんなのは知ったこっちゃない。


「何してんの?」

「夜這いです!」


もう嫌だ…


でも、折れるわけにはいかない。僕が愛莉をこんな風にしてしまったんだから。


「部屋に戻って寝な?明日改めて話を聞いてあげるからさ」

「そんなぁ!お兄様が先にシャワーを浴びてこいっていうから、待機してたのにあんまりだよ!」


僕はなぜ責められているのだろう。普通に早く風呂に入って寝なさいって意味だったのに、夜這いの準備をして待ってろって解釈する妹に生まれて初めて頭が可笑しいんじゃないのかと思ってしまった。


「愛莉、本当にどうしたんだ?僕が帰ってきたときは普通だったじゃないか」


僕の記憶が正しければ家に帰ってきた当初は普通だったはずだ。となると、おかしくなったのはその後だ。そして、夕飯までに何かあった可能性が高い。


「あのクソ年増…私のお兄様にちょっかいかけやがって…」

「え?」


愛莉からは聞いたことがないくらいに恐ろしい言葉が聞こえた。


「私の方が長くて一緒にいるし、なんなら私なしじゃ生きられないくらいにずぶずぶの関係なんだよ!それを家が隣ってだけのビッチが横からかっさらおうとしやがって!死ね!」

「あ、愛莉…?」

「なぁに?」


ゾッとした。感情の起伏がジェットコースター並みだ。そして、瞳の色もさっきまで見ていた詩と同じ色だった。


「まぁいいか~。≪冥府の日輪ラストサン≫様との血のつながりを持ち、誰よりも理解できるのは私なのは自明の理だよね?これからは学校なんて行かないで私と一緒にいよ?ずっとお世話してあげるからさ」


愛莉はニコニコしながら僕にじりじりと近づいてくる僕は足が徐々に後ろに下がっていき、そして、壁に背中が当たった。


(このままじゃ不味い!)


僕は脳をフル回転させる。しかし、無理やり逃げては愛莉を傷つけてしまうし、なんなら愛莉は柔道の黒帯を持ってるから僕がボコされて終わりの可能性が高い。


「≪冥府の日輪ラストサン≫様ぁ。これからはずっと一緒ですぅ」


(ん?≪冥府の日輪ラストサン≫)


ニコニコとしている愛莉が僕のことを≪冥府の日輪ラストサン≫と呼んでいることに気が付いた。


(まさか…?)


この黒一色のハイライトに言葉が通じないほどの思い込み。先ほどの詩にそっくりだった。


(やるしかない!)


僕は覚悟を決めた。喉を軽く鳴らし、演じる準備をする。そして、


「我と同じ視線で話せるようになるとは、偉くなったものだな、愛莉?」

「!」


冥府の日輪ラストサン≫として僕は愛莉の前に立つ。僕の推測通りなら愛莉は言うことを聞いてくれるはずだ。


「し、失礼しました!≪冥府の日輪ラストサン≫様を前にして少々興奮してしまいました。無礼をお許しください…。信者達に教え施しているご尊顔を拝見してしまってから、理性が抑えられなくなってしまい…」

「そうか…」


すぐに片膝立ちになる。西欧の騎士のようだった。≪冥府の日輪ラストサン≫作戦はなんとかうまく言ったらしい。そして、愛莉は僕の部屋を盗み見て僕が≪冥府の日輪ラストサン≫だと知ったのだろう。


で、問題なのは愛莉が僕の信者であることだ。それも結構重度なやつだ。


ただ、次の言葉で僕はさらに悩ませられることになった。


「罰ならなんでも受けるつもりです!≪死者の案内人ネフティス≫たる私が≪冥府の日輪ラストサン≫様の機嫌を損ねてしまったのならそれは万死に値するものです!」

「信者の愚行の一度や二度、許さずして何が王か━━━え?≪死者の案内人ネフティス≫?」


僕は演じているのを忘れて騎士のように頭を下げ続ける愛莉を見る。


「は、はい。≪境界を超える者クロスオーバーが一人、≪死者の案内人ネフティス≫でございます」

「…ふっ」


頭が真っ白になる。何も考えられない。とりあえず流れるようなムーブでスマホを取り出した。


「Siri、妹が僕の信者筆頭集団の一人だった時の対処法を教えてくれ」

『A:分かりません。頭が可笑しいと思います』

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