第十三章 城崎 くいな
「ありがとう。助かった」
類が目を覚ました。ベッドから起き上がる彼を見て私は心底安堵した。
「類⁉︎ 類なのね。久しぶり……あの日のホテル以来ね。会えて嬉しいわ」
類から自分に別の人格が居るという話を聞いたのはここ最近だ。最初は彼がどうにかなってしまったのでは無いかと思ったが、信じられないと一蹴することで、彼に嫌われてしまう方が怖かった私はとりあえず話半分で聞いていた。突然連絡が取れなくなった時は頼むと言われてすらいたが、きっと別れの口実か何かだろうと思っていた。彼が私に本気じゃ無いことに気がつけるくらいには、私は鈍くない。スマホを勝手に盗み見た時もメッセージのやりとりも私以外の子はショップの公式のような物しか見当たらないので、少しだけ期待もしていた。
しかし実際に言われた喫茶店に行ってみると、演技とは思えない彼の姿があった。いつもの気品溢れる、妖美で色気のある所作はどこへ行ったのかと疑うほど、根暗で地味で、他人を寄せ付けないオーラを纏った別人がそこには居た。
店主は事情を知っているということだったので、気にせず話をしていたら自ら退席してくれた。そして彼は私の好きなエスプレッソを、あくまで自然に嫌いとまで言ってみせた。そこで確信が持てた私はよく知っているはずの顔をした彼に聞いてみた。
「あなたは、粟津櫂人さんですよね?」
自分でも何を言っているのやらと思ったが彼の反応がよりリアルだった為、予め勝手に用意しておいた二十万円と、類からと偽った手紙を難無く渡すことが出来た。
私は類と連絡を一日も欠かした事がない。だから彼の変化にいち早く気がつく事ができた。私は少しでも連絡が途絶えると不安になる。何故なら類は私以外にも相手が複数人いるのだ。しかし下手に突っ込んで嫌われるのも嫌だったので、どうにかお父様に紹介してしまって、婚約者として仕立て上げようと計画していた最中の出来事だった。半ば無理矢理ではあったが、櫂人とやらをお父様と会わせる約束もした。同じ人なのだから何の問題もない。そして家業に関わる世界を見せれば、きっと類は結婚してくれる。今の関係だって、私が一番類に貢いでいるから良いものの、もっと上が現れたらどうなるかなんて分からない。それなのに邪魔が入った。あの男、速水 悠だ。
「類を慕っているフリして、私と類を引き離そうとしてるんでしょ」
パーティーの当日、行方をくらました彼を予め設定しておいた位置情報で確認すると、あろう事か悠のマンションを示していた。私は大切なパーティーをそっちのけで会場から出て行ってしまったので、後からお父様にこっぴどく怒られたがそんな事は私にとってどうでも良かった。悠の部屋に着くなり縛られた類の姿を見て私は悠を問いただした。
「前から疑ってたのよ。私に隠れてコソコソ類と会ってるのも知ってる。どうせ私と引き離そうと企んでるんでしょ」
悠とは学生時代からの同級生だ。彼の性格はよく把握しているし、何より彼が私に好意を寄せている事もとっくに知っていた。悠は反省の色も見せずに私に言い返す。
「この人が二重人格のような精神障害を起こしていることは認めるよ。本人から事前に聞いていたし、ここまでやっても本性を見せないからね。下手したら殺されるかもしれないような状況下なのに」
恐らく睡眠薬か何かを飲ませたのだろう。彼の呼吸音がかすかに聞こえる。怪我はしていないようなので安心したが、悠のしている事には納得できなかった。
「いい? こんな事して、許されると思ってるの? 犯罪よ? 彼が悠を訴えでもしたらどうするの?」
「目を覚ますのはくいなの方だよ。こいつはくいなの金にしか興味無い。なのに結婚しようとしてるなんて、止めるに決まってるだろ⁉︎」
彼が類を崇拝しているなんて嘘。むしろ熱心にしているのは私に対してだ。好きだからといって、さすがにここまでやるとは思わなかった。思っていたより悠は私に対して一定のラインを飛び越えた好意があるようだ。
「この話、何回目? もういい加減にしてよ。悠には関係ないじゃない」
「くいなが幸せになる未来が見えない。くいなだって、本当は分かってるんだろ?」
「やめて‼︎」
悠に言われるまでもなく、悠が私を狂信的に愛しているのなら私は類を狂信的に愛していた。周りが見えなくなっていた。
「じゃあ俺と約束しよう。この話が無事に解決して、この男がくいなに感謝して愛を誓ったなら俺はもう口出ししない。もし上手くいかなかったら……」
どうせ俺と結婚しよう、とでも言うのだろう。私は先述した通り悠の性格を大体把握している。だから大方何を言うかは予想できる。
「コイツを殺す」
撤回しよう。私は悠のことを見縊っていたようだった。
「……本気?」
「今回の事で、本気かどうかってくらいは分かるんじゃない?」
悠の目は至って真剣だった。
「くいな、会社のカードを使い込んでるだろ」
「……」
「俺の店で会計する時、ある日から会社のカードで支払うようになったよね」
「あら、目ざといこと」
私はリビングに置かれてあるソファーに腰掛けた。座り心地が良く案外センスがあるなと思った。
「コイツに使い込んでるんだろうなって思ったよ。そんな事して、ご両親にバレたら……さすがの君もただじゃおかないだろう」
「悠に関係ないでしょ」
「放っておけるわけないだろ‼︎ 頼むから……せめて約束してくれ……」
私の手をとってズルズルと崩れ落ちる悠を眺めながら、どうしようかと考えた。悠の言うことは間違っていない。それに、もし万が一、本当に類を殺されでもしたら……。
「分かった。とにかく今は彼が目を覚ましたら、私に話を合わせて」
「本当⁉︎ 約束だからな‼︎ うまく行かなかったら……」
「うまく行かなかったらアンタと結婚するわ。だから類を殺すなんて言わないで」
悠は今の今まで情けない顔をしていたにも関わらず、まるで別人のように目をキラキラと輝かせながら、今度は私の手を握った。
「言ったな⁉︎ 絶対だぞ‼︎ 約束破ったらコイツを殺すからな‼︎」
そして彼が目を覚まし、その場を後にして事なきを得た。しかし問題はここからだ。私は類に「YES」と言わせる技を生憎持ち合わせてない。何としても粟津櫂人を説得し、そのまま婚姻までこぎつけなければならない。焦る気持ちから、私は粟津櫂人に真相を話しいてしまった。あの喫茶店の店主に止められていたのに。
「少し、よろしいですか」
私が粟津櫂人に会った後、店を出ると外出すると言っていたはずの店主が店の外で待ち伏せしていた。その日は大雨だったので、雨の音で声が聞き取り辛かったが恐らくそう言った。
「はい」
私は素直に従った。進藤と名乗るその男は、店の裏口へと案内してくれた。どうやらこの喫茶店の倉庫のようだ。そこまでは屋根があったので濡れる事はなかった。
「少しの間でしたら、よっぽどの事がない限り彼はここへ来ません」
やっぱり事情を知っているようだった。
「類くんから伺っています。城崎さんは貴方でしょうか」
「はい」
私は素直に嬉しかった。類が私の事を他人に話してくれているなんて。やっぱり少し気が多いというだけで、一番愛されているのは私なんじゃないかと。
「どんなお話をされたか、聞かせてもらえませんか」
私は店主に全てを洗いざらい話すと、進藤さんは少し間を置いて「彼のことをよろしくお願いします」と言うだけだった。
「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。最後に一つ」
私は去ろうとタクシーをスマホのアプリで呼んでいる最中、付け加えるように話しかけられた。
「櫂人くんに類くんの事……真相を話さないように頼めますか。病院の先生から刺激しないように、と指示を受けているので。あくまで自分で気づいてもらうような方向で、お願いします」
分かりました。とその場では答えたが、それがどれほど難しい問題かという事と、タクシーを呼んだので傘を忘れてしまった事に気づいたのは後になってからだった。
「気分はどう?」
私は起きたばかりの類に駆け寄った。ここは実家の傘下のホテルなので、一番使い勝手が良かった。私が真相を暴いたことで、混乱して突然倒れた粟津櫂人を運ぶのに打ってつけの場所だったのだ。
「頭をぶつけた? 痛いんだけど……」
私は類が手を覆っている部分を確認する。
「腫れてるみたい……冷やしましょう。待ってて」
私は保冷剤をフロントに頼んだが、中々来ないので様子を見に行くと言って部屋を出た。対応が遅いとスタッフに注意した後、急いで部屋に戻ると彼は姿を消していた。
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