第十二章 櫂人と類
彼がいてくれれば大丈夫だった。一つ上の彼がいればお母さんの機嫌が悪くなる事もない。ぼくの代わりに叩かれていたりするけど、大丈夫だと言っていた。そんなことよりぼくは彼のお父さんが持ってくる本が好きだ。お父さんはお母さんや彼を叩いたりするけれど、お父さんが買ってくる本は面白い本ばかりなんだ。お父さんは遠いところで仕事をしているらしいから毎日は家にいないけど、それでも買って帰って来る本を読んでいたら、お母さんは「お父さんに懐いてるんやなぁ」って笑顔になるから嬉しい。それが理由で読んでたわけじゃ無いけど。……いや、やっぱり少しはあったかも。
「それ、読めるん?」
お母さんが出かけている間、ぼくはこっそり家を抜け出して、いつもの河川敷で本を読んでいた。知らない女の子に話しかけられたのでびっくりしたけど、ウサギみたいに目をくりくりさせながら、ぼくのことを珍しそうに見るので顔中があつくなった。ぼくはドキドキして言葉がでなかった。普段だったら黙っていて、話しかけて来る子はいないのに。だけどどうしてもこの子には言葉を返したくてぼくは類の事を考えた。
「別に……読めるで……」
ぼくはそれから類ならなんて答えるか真似をして喋るようにした。類はかっこいい。だから真似した。見た目はぼくと似ているけど、透き通るようなきれいな金色の髪で、髪を一つにくくって顔を出して、いつも自信満々な関西弁だった。でもいつからか類は関西弁をやめて、お父さんの喋り方を真似するようになったんだ。ぼくはその時どうして類がそうしたのか分からなかったけど、きっとお父さんと同じ喋り方が良かったんじゃないかな。
「ねぇ、ところでさ……鍵がかかってないって気づいてた?」
ある日のことだった。ぼくらのせまい物置き部屋にはひとつドアがあって、いつも外から鍵がかかってる。
「決まってるだろう、鍵をかけ忘れたんだよ」
ぼくの考えていることが分かるのか、言葉にする前に返事をされた。
「開けたらダメ! 怒られるかも」
ぼくの制止を振り切り、彼はドアを僅かに開けた。
「……いない。いつの間にか二人とも出かけたんだ!」
そう言うと今度はドアを全開にして物置き部屋の外に出た。
「ダメって言ってんのに……」
「こっちに来て! ほら、靴がないよ。ラッキーだね」
「何でラッキー?」
玄関で靴を確認した彼は笑顔で振り返り、今度は急ぎ足でリビングへと向かう。ぼくの質問になんて答えもせずに。まるで聞こえていない調子だ。
「ほら、やった! さっき部屋に入る前に一瞬見えたんだ。これ高級なお菓子だよ」
彼はテーブルに置かれていた高価そうな紙袋に手を突っ込み、ピンク色のリボンが結ばれている茶色の箱を取り出した。どうやら中身は彼曰く高級なお菓子らしい。
「勝手に食べたら怒られるで! 早く元に戻……」
「じゃあ隠したらいいじゃん」
「え……どこに……」
「大丈夫、さぁ行こ」
ぼくの手を掴んだ彼は宝物を見つけたような気分なんだろうか。紙袋を大切そうに抱えながら、とてもご機嫌だった。
「ダメやって、戻ろう」
今度はぼくが立ち止まって類の手を引いた。すると類は振り返ってぼくに言い返そうと口を開いた。
「知らないの? 僕ら引っ越すんだよ。昨日の夜お母さんたちが話しているのを聞いたんだ。もう会えなくなるよ、あの子に」
「……え?」
「ほら、会いに行こうよ」
「引っ越すって……」
「大人の決めることに、僕達は逆らえないよ。約束しに行こう、また会おうって」
「そんな、いきなり……無理やん。心の準備とか……」
「大人たちに好きにされちゃダメだ」
類の手にグッと力が入る。
「欲しいもは、何だって手に入れてやる」
「どういう意味……?」
「こんな所でずっとこのままでいいの?ぼくは嫌だよ。いつもぼくは我慢しているんだよ。叩かれても酷いことをたくさん言われてもね。大丈夫ってぼくは言うよ。大丈夫じゃないなんて言いたくないからね。君はあんまり覚えてないだろうけど」
いつもの冷静な類と違って口調は少し穏やかではない。
「どうしたん類……なんか怖いで」
「……ごめんね。こんな話しても仕方ないのに。さぁ行こう。凛ちゃんのところに。ぼくは中で見てるから。お菓子を一緒に食べておいでよ」
静かにぼくの背中を押す類の目は、笑っていなかったように見えた。まるで笑顔の仮面を張り付けたピエロだ。ぼくはいつもと違う類が何だか怖くて、それ以上彼に何も聞けなかった。
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