2-4.陰陽頭


「皆、陽光のあの態度はどう思う」


 陛下が色々仰りながら陽光殿下を追いやったと思えばそんな顔をするなんて。余程、殿下の事が気になるようですな。


「……陛下、そのお言葉の真意をお聞きしたい」


 神祇伯が手を挙げた。

 彼奴の視線の先では検非違使らが困惑しておるわ。

 陛下が姿勢を崩すと扇子をひらひらと仰ぐ。口煩い大臣が居ないからとそこまで寛ぐのは如何なものか。

 そういえばお付きの者はいなくもないが静かじゃな。


「狐とはいえ相手は女子おなご、年頃の男としてどうなのだ。一晩ずっと塗籠にいたようではないか」


 この面子で青臭い雑談をするのは無謀じゃろうて。

 この場で一番若い検非違使が困惑しておるわい。


「晴明、其方は何か聞いてないか?」


 あぁ、よりによって人の心がわからん奴に聞きおった。


「私からは特に。やり取りも子供らの気安い雑談のようでした」


 ほう、晴明がそう言うほど殿下が初対面の女子に対して気安いのは珍しい。狐だからだろうか。


「そうか……」

「あの陛下、お言葉をよろしいでしょうか」

「許す」

「陛下のお考えはお察しします。ならば宮に戻してどなたかと引き合わせればよろしいのでは」


 神祇伯ではなく後ろに控えていた神祇官が手を挙げた。

 以前からその話は何度かあったがどれも殿下が寺にいたり晴明が囲っているのを理由に流れたんだったかのう。

 まったく、出家同然の生活をされていた帝の御子を人攫い同然に屋敷に連れていくなんて前代未聞じゃよ。


「彼奴は――」

「陛下、斯様な場を設けるなぞ聞いておりませぬぞ!」


 昼の御座にぞろぞろと殿上人の御仁らが御出おいでなすったわい。

 殿下がいらっしゃったのにやけに静かだと思えば呼んでおられなかったのか。

 陛下を見れば儂の視線に気付かれたのか茶目っ気出して片目をつむって見せた。そんな肝の冷えることをせんでよろしいのですよ。


「おぉ、右大臣、左大臣、大納言に……太政官の殿上人の大行列だな」


 晴明は黙っとれ。


「聞いてないのも当然よ、言っておらぬからな」


 陛下も突飛なことをなさる。これは晴明と気が合いそうだ。

 ……通りで晴明には寛容な御方だと思ったわい。


「私たちのことを蔑ろにしているのですか……!」

「そうと言われても其方らは文句しか言わぬだろう」


 改めて見ると左大臣と右大臣の容姿が対照的じゃな。以前殿下が御二方を狐と狸と揶揄しておられたのがよぉく分かる。


「それでも物事には順序というものが御座います!嵐山の君がいらっしゃるのでしたら私に教えて下さってもよろしいのでは!?」


 そういえば右大臣は殿下の祖父君だったか。お互いにそんな情を見せなかったから時々忘れそうになる。

 しかし、祖父と孫で対立してしまうとは孫を持つ身としては悲しいものじゃなぁ。


「そうは言ってもお主は真っ先に陽光を遠ざけていたであろう」

「なっ……!」


 とうとう神祇伯殿は硬直してなりを潜めておる。

 検非違使らが儂にどうにか出来ないと視線を投げるが首を横に振った。

 もう儂らには手が負えんわい。


「それに順序なぁ……聞いたか?」


 陛下が屏風に向かって声をかけると、屏風の裏からそろりと髭の整った貴人が出てきた。

 誰かいるとは思ったが護衛では無かったのか。


「ふ、突然呼び出して屏風の裏に隠れろなんて、陛下も粋なことをなさる」

「関白殿っ!?」

「なるほど、陛下が子供の頃に似たような事をなさっておりましたが、気持ちがよく分かりますな」

「そうであろう、そうであろう?」


 臣下には伝えたから問題ないだろうという魂胆か。

 関白殿は敢えて陛下のお戯れに付き合う事で受け流したようじゃな。

 さすが陛下が皇子の頃からの付き合いのある御方。

 面倒な者の対応の仕方を理解しておられる。


「しかし陽光と近しい者らから色々聞きたかったのだがな……」


 あぁ、殿下が陛下に手紙を送っても届かないと仰っておられたな。

 殿上人らは陽光という言葉にちらちらと視線をさ迷わせる。


「無理やり予定を入れるからです」

「そうか……」


 どうやら関白殿の言うことは素直に聞くらしい。


 結局陛下がしたかった雑談話は終わり、一部の殿上人が残った状態で話は続けられた。


「それで、続きの報告があるだろう。申せ」


 検非違使の者が眉を下げた。

 陛下だけでなく他の殿上人が左右に座るその様は圧巻じゃな。


「捕縛した者なのですが、どうも憑き物が消えないのです」

「ほう、仔細は」

「護摩をたいても反応が変わらず……なので神祇官に依頼をする赦しを頂きたく存じます」


 たった一晩で追っ払えなかったから神祇官府を呼ぶとは。

 やはり神祇伯殿も良い顔をしておらぬな。


「強い憑き物なら一晩で効くものか。僧侶は呼んだのか?」


 陛下も同じお考えのようだ。それにたった一晩で坊主が来るとは思えんのお。


「いえ。ですが……件の者は獣のように暴れ、聞いたこともない言葉を発しており、意思疎通が出来なくなりましたのでただならぬ状態です。

 牢の格子も壊れん勢いでして、縄で縛り布で口を塞いでどうにか凌いでいるのです」


 なるほど護摩に反発している可能性もあるのかもしれんな。

 晴明も興味深そうな顔をしとるわい。しかし指名されているのは神祇官府。

 役目としては最適じゃろうが、検非違使も大方潔斎でもさせて穢れを祓えば何とかなるとでも思っているのかもしれんな。考えが易いわ。


「神祇伯、どう思う」

「話を聞く限り強い憑き物であるようです。ですが、月次祭がちこうございますからこちらも準備で人手を出せませぬ」


 そう言うと思ったわい。それに今回も雨を降らせるのに何時間もかけていたのじゃ。事実巫女の人手が足りぬのじゃろう。

 水神は女が好きだと言われておる。内親王にも参加して頂けたら良かったのじゃろうが、夜分遅くまで待たせる訳にもいかんのじゃろう。


「陰陽寮はどう思う」

「はて、私共も見て見なければ分かりませぬ故。晴明、家人は呼べるか?」


 椿の君は斎部の娘じゃ。人前だとお顔が赤くなるのが可愛らしくてのぉ。

 今はいくつじゃったか。父親と仲が良ければ嫁入りの宛もあったろうに、あの性格では恋人すら見つける事も出来ぬじゃろうなぁ。


「宮様の狐を見るよう言っています。妻たちも同様に他の女房や下女は祓う力がありません故……」


 おやおや、狐は椿の君に任せていたのか。

 あの娘は神祇伯の孫にあたる。神祇伯は孫娘故に仲は悪くなかったと思うのじゃが、会わせてやりたいが狐を放置させる訳には行かないしの。


「狐の世話をあの娘にやらせているのですか」


 その顔は孫娘を危険をさらす晴明への怒りか、憑かれやすい体質である孫娘への蔑みか。


「複雑ですか。ですが妻の次に狐を怯えぬのは彼女しかおらぬのですよ」

「……いいや、分かった」


 すぐに引きおったの。はてはて。

 しかし困った。どこも人手が足りぬのではどうしようも無い。


「陛下、狐とはなんの事でしょう。先程殿下からも式神という言葉を聞きましたが、それと関係がおありで?」


 殿下は右大臣と既にすれ違っておられたか。何を言われたかは知らんがどちらにせよ不運な事よ。


「陽光が昨晩捕まえた半妖だ。可愛らしい娘だったよ」

「なんと……!」

「これ以上は聞くな。はて、件の者は誰に任せようか」

「弱らせてしまえばよろしいのでは?飲まず食わずで入ればさすがに」


 なんだか嫌な予感がするのお。特に後ろが。


「ならば私が参りましょうか」

「これ晴明!」


 この馬鹿者が!お主も暇じゃなかろうて!


「そうか、晴明が居れば安泰だな」

「お待ちくだされ陛下!晴明はただの好奇心で憑き物を見たがっておるだけです!解決するしな以前に周囲がどうなるか分かりませぬ!」

「晴明の危険を案じておらぬのが其方らしいな」


 呵呵と笑っておられるがそんな場合ではございませんぞ!

 検非違使別当殿が咳払いをする。おっと私も落ち着きがなかったようじゃ。


「かの者は流罪にするつもりでしたが、そこまで暴れられてはどうしようも出来ませぬ。現地の者にも手が負えぬ故、最悪死罪に」

「ならぬ」


 陛下はお優しい。しかし検非違使が死罪を下そうと考えるほどなればその者は生きて鬼ではなく、悪霊になりかねませんな。


「陰陽頭よ、こちらも今回の件で結界を張り直したとはいえ、対処療法のようなもの。六月に結界を張り直すために油断できない」


 神祇官府とは役割が被りやすいから仕事は奪い合うか押し付け合うかのどちらかになる。今回は後者じゃった。

 しかし神祇官府にとって六月は都の浄化のために大事な時期であることは確か。

 陰陽寮も風水や暦を見る役目があり、協力しているんじゃがなぁ。


 正直やりたくないんじゃが、晴明は童子わらしのように目を輝かせておるわい。


「……晴明、絶対、絶対に嵐山の君のお手を煩わせるんじゃあないぞ」

「兄者は心配性ですね」


 いつも連れ回ししてるのはお主じゃろうが!この型破りめ!


「なら彼の者については陰陽寮に任せる」

「「御意」」


 本当にこうも面倒そうなことは当たりやすい。

 儂に予言の力は無かったはずなのじゃが。

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