2-5.陽光
帰りは晴明殿の牛車で帰る。徒歩でもよかったのだが昼間は白髪が目立つから。
また北の方が出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ。殿、長らくの御帰りお待ちしておりました」
「ただいま、梅」
晴明殿はずっと内裏に滞在していた。なら久しぶりの家か。
「陽光殿も」
「根回しが済んでいたのでしょう。帝が誰も何も言わせない空気を作ってくれたおかげです」
そうでなければ大臣に無断で報告の場を設けない。
結局俺への罰は有耶無耶になり物忌ではなく休暇になってしまった。
「一人いたけどね」
「どうせ神祇官府でしょう」
北の方は一体どこで情報収集しているのだろう。
「ささ、お休みなさいませ。夕餉の頃には起こしますから」
「あ、あぁ……」
何かを忘れているような気がする。
―――
それからは塗籠で引きこもり生活かと思えば全く違った。
まず晴明殿からはお手製の聖水を作るように要求された。
あれは潔斎で使われる水を濾過して煮沸させたものを仏具の器に注いでそれっぽく十字架で祈りを捧げたものだ。
何故か周囲に撒くと空気が浄化され、悪霊にぶっかけると消えるのである。礼羅にも多少は効いたから悪魔にも効くのかもしれない。俺はキリシタンでも僧侶でもないんだけど。
それはまぁ、別に良い。
「陽光。手紙だ」
式神用の折り紙を折っていれば、晴明殿の長男である
面会の手紙が陰陽寮経由で来るのだ。歌の誘い、見合い話、帝に話を通して欲しいことがあるという相談など。
「みんな俺が物忌っていう建前を忘れてないか……?」
吉平は師匠の息子だけど兄弟弟子ということもあり身分も気にせず気易く話せる。弟の
しかし二人とも俺より年上なので揃って弟扱いしてくる。
「建前なんだから普通に部屋で寛げはいいだろ」
「断りの手紙を書くのが面倒だ」
こんな時惟也がいれば楽なのに。
ちなみ帝からも手紙が来た。
内容は別に俺を蔑ろにしたつもりは無いことと、俺が送った手紙は一枚も届いていないということを
帝の侍従が俺と右大臣との会話を報告したのだろう。律儀に報告する侍従もいることに関心する。
休み明けには送った手紙の内容を聞きたいから礼羅と内裏に来いという風に締めくくられていた。
よりにもよって礼羅も参上しなければならないのか。
晴明殿にも相談したが頼みの綱である
(惟也がいてくれればな……)
惟也に留守を頼んでいるが、俺が居なくても忙しなくしているようだが手紙は届いていないと文が書かれていた。
俺が晴明殿の屋敷にいることが広まっているようだ。本当に都は噂が広がるのが早い。
「吉平
「いくら弟の願いであっても、今は狐への恋歌の受け取りを拒否しているので精一杯だ」
くそ、弟パワーが足りなかったか。
礼羅の噂が一気に広まり、晴明殿の屋敷には頻繁に恋歌の手紙が届くようになった。
試しに一枚読んでみたら気障な口説き文句と俺への遠回しな侮辱が書かれていた。
礼羅はまだ眠っているらしい。
西の対に式神を飛ばしても椿の君の結界で御簾の向こうは覗けないし、見つかればすぐに弾き飛ばされる。
椿の君は俺よりも年下だったか。同い年だったか。数年この屋敷に住んでいた事があるのに殆ど話した事がない。
「下女にするつもりなんだけど……」
「まだ諦めてないのか?」
「うちには必要なんだ」
俺の侍従である惟也も本当なら生粋の貴族だ。彼に任せる訳にもいかない仕事もある。
「やめておけ。惟也が可哀想だ」
俺の代わりに下人に指示をするのが惟也だ。彼はビビりなので確かに可哀想ではあるのだが。
吉平殿はその辺に落ちていた正方形の紙を取って船の形に折る。俺が折り方を教えた騙し船だ。
「帝から参上するよう言われている程の娘なら下女にする訳にもいかないだろうな。狐でも半妖なら人として生きることも出来るだろう?父上みたいに」
そう言って吉平殿は出来上がった船の持ち手を帆から船首に折りなおす。
晴明殿が半妖でありながら人として生きているのは人に育てられたからだろう。
それでも妖狐の性質が強いのか、研究熱心だったのか、単純に昇進欲がなかったのか、三十路を過ぎても天文得業生……学生だったと聞く。
「それ以前に平民じゃあ貴族の生活にも馴染めない。俺たちが平民の生活をすることが出来ないのと同じように」
「陽光が見ているものは私達とは違うな」
そんな事言われても。
「子供なら善狐に育てることもできるだろう」
「善狐ねえ……」
この時代の成人年齢は若い。既に礼羅は自分独自の善悪があるように見えるがどうなのだろう。
「そういえば、昨日梅の君が西の対に行った。普段よりも早い時間に、だ」
吉平は晴明殿の子だが、北の方の実子ではない。吉平は晴明殿に(主に性格が)そっくりなので時々忘れそうになる。
吉平と北の方は仲は悪くないようだけど、
側妻には会ったことがないけど、本来西の対に住まうはずの側妻が住んでいないということはそういう事なんだろう。
前世は一夫一妻だった俺にとってはハーレム万歳というより面倒だと思う。
晴明殿も北の方の尻に敷かれているようだし。
「それがどうした」
「目覚めたのだろう。快気祝いにこれでも。いただき物だが俺には甘すぎる」
通りで最近やたら魔力が吸われると思った。
吉平は俺に酒の入ったひょうたんと巾着を渡してきた。
巾着の中身を見ればころりと二つの菓子が出てくる。
「干し柿って……」
甘いのは酒に合わないだろうに。
「兄者!何処におりますか!」
「おっと私はこれで」
吉平は遠くから弟の声が聞こえてくるとそそくさと部屋を出て行った。
「兄者!今日という今日は許しませんよ!」
息を切らしてやってきたのは北の方にそっくりな青年だった。
「うるさいぞ吉昌兄者」
「陽光!兄者を見なかったか!?」
俺が無言で吉平が出て行った先を指せばすぐその方向へ急ぐ。
「今日こそ
吉平は一体何をしたんだ。
―――
夕餉の前、北の方に礼羅に会えないかと聞いてみたが、断られた。
「女の用意には時間がかかりますので」
梅の扇で顔を隠しながら北の方が毅然と答える。
それにしてもかかりすぎだろう。
「泥だらけの彼女を連れて来たのは私なのに?」
「それでも夜でしたでしょう?月に惑わされることもあるでしょう」
俺は別におめかしして欲しいとは思ってない。
「それに禊をして邪気を祓いました。貴方様の作った聖水を使いましたの」
あれは礼羅の禊に使ったのか。
いや半妖に使って祓われでもしたらどうするんだ!
「禊をした後、肌が爛れたりとかはしませんでしたか!?」
「?……いいえ?その後湯殿で洗わせたのですが傷についてはなにも聞いておりませんわね。今は洗髪後で髪を乾かしていますから、何も出来ないでしょう」
とりあえず無事で良かったのか?
しかし女の洗髪は丸一日かかるという。
寺で暮らしていた時は容易に水浴びしていたから普通に面倒そうだ。
「俺は気にしません。もとより礼羅は――」
「それでも!……それに、育ての親である狐が帰ってこない中攫われて都にきたそうです」
「……」
攫われてきたのか。なら晴明殿の結界を通過した時に反応するはず。
まさか晴明殿は敢えて黙っていたのか?
「それが狐の戯言ではなく事実なら、一人で泣く時間くらい待って上げてもよろしいのでは?」
「椿の君は」
「ちゃんといますよ。隣で静かに寄り添ってます」
「……」
ここまで言われたらどうしようもないな。仕方ない。
今夜は一人寂しく月見酒か。
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