2-2.陽光
昨晩の報告は昼過ぎだ。午前中に様子を見に来てくれた兄弟子(晴明殿の次男)の手で潔斎をしてもらい穢れを落としてもらった。
その後三時間ほど仮眠は出来たものの、それでも目元のくまは取れることがなかった。
元々肌が白いのに血色が失せれば亡霊だと勘違いされそうだが、
あの化粧をするのは普通にやだ。
「おやおや、嵐山殿。顔色が悪うございますねぇ?」
「何も聞くな……」
「この御方、
(自分の煩悩を消すためなんだよなぁ……)
北の方の勘違いが己の良心に刺さる。
だけど礼羅の熱が治まり呼吸も安定したことも事実なので否定も肯定も出来ない。ただ寝てたら治っただけかもしれないが。
「昨日の今日ですし、報告は夫に任せることもできると思いますが……」
「いえ、勅ですから……」
「有明の君、よろしくお願いいたします」
「梅の君の願いとあらば」
北の方に見送られながら俺は残月と牛車に乗った。明け方の雨によってぬかるんでいるので牛車の歩みもやや遅い。
先ほど何か察したのだろう扇の隙間から見える目は細く、その扇の下の顔は満面の笑みを浮かべているに違いない。
「それで、読経をした理由を聞いても?」
「……効果があったならどうでもいいだろ」
「貴方様の顔からして効果があったようには思えませんが?」
揶揄う気満々の残月には話したくない。
―――
牛車は大内裏の
「殿下、お待ちしておりました」
「天文博士、それに
「よく気付きましたのお」
晴明殿の後ろからひょこっと小さな身体が出てくる。親子通り越して爺孫のようだが、二人は同じ師に教えを受けた兄弟弟子である。
陰陽頭の
老けすぎた安憲殿と若すぎる晴明殿。二人はたった四つ違いであるはずなのに、見た目の若さは段違いである。
「では、向かいましょうぞ」
陰陽頭に一声よって四人で向かう事になった。必然的に俺は右に残月、左に陰陽頭、前方には晴明殿という囲まれた状態になる。
「済まないな二人共。内裏は不慣れ故」
「宮様は慣れておられるのでは?」
俺の謝罪に残月が声をかける。
残月は俺と関わるようになったのはここ一、二年だったから知らないのも無理はない。
「私が知っているのは火事になる前の内裏だ」
「……」
「黙るな辛気臭くなる」
調子が狂うから勘弁してくれ。
「確かに、建物の形こそ殆ど変わりませぬが、花や木は植え替えられましたから、殿下が慣れぬのも無理ありませんのお」
陰陽頭がフォローを入れる。
「二人揃って宮様や殿下と呼ぶのは辞めてくれないか」
「何をおっしゃいます。貴方様は――」
「着きましたよ」
晴明殿が止まり、従者に声をかけると御簾の中に案内された。
―――
屏風の前に座った帝が扇子をあおいでいた。
「陽光、こうして対面するのは半月ぶりか。昨日の今日で呼び寄せて済まないね」
「滅相もごさいません……」
この場では神祇官府、陰陽寮、そして検非違使それぞれの長と付き添いに当たるものが勢揃いだった。
「皆面を上げよ。陰陽頭、昨晩までの流れを話せ」
「かしこまりました」
それから陰陽頭からの説明はおおむね自分の知っている内容ばかりだった。
「満月まで持つかどうか心許ない状態でしたので、六日前に嵐山の君を晴明の名で迎えました」
「陽光は先月、狐の討伐をこなしたからな」
なぜか帝が誇らしげだ。
「そして満月の夜、元凶の屋敷から狐が出て行ったところで新たな事実が明らかとなりました」
「嵐山の君が調伏した狐の娘が原因ではないと」
「左様でございます」
発言したのは検非違使の別当だった。
まさか昨晩の検非違使。別当に余計な事を吹き込んでないだろうか。
「お待ちを。原因でないとはいえ、なぜ狐を祓わなかったのです」
神祇官府の長官である神祇伯が発言すると一斉に俺に視線が集まった。
「確かに神祇官の仰る通りですな。調伏出来る技量があるならいっそ祓ってしまえばよろしい」
まさか神祇伯と手を組んでいるのか。
「あの狐は半妖だ。天文博士殿の例もある故、自分の判断で祓うのをやめて調伏をしただけだ。それに黒い人型の狐は珍しいし、育てれば式神として扱い易くなる」
天文博士である晴明殿は半妖だ。金色の瞳がその証拠である。因みに耳も尻尾も普段は擬態で隠しているらしい。
「左様で」
検非違使の長が引き下がると神祇官が彼を睨んだ。陰陽寮に遅れを取っているからと言って八つ当たりはやめてくれ。
「朕も晴明の式神越しに見た。都中の瘴気を全て吸い込むとは素晴らしい。陽光、かの狐は唐国の道士か何かか?」
帝の言葉に辺りがざわつく。話の趣旨がずれはじめた。
「狐の言動から、育ての親が唐国にいた可能性はありますがそれ以上は分かりません」
「ふむ……それで陽光はあの娘をどうしたい」
自宅が広すぎて人手不足なので下女にしたいです。
「まだ眠っております故、目を覚ました際にはなぜ都にいたのかから尋問を。以後は私の式神として使いたく存じます。
育てれば何かしら役に立ちましょう」
「……分かった。その狐を其方の褒美にする」
「ありがたき幸せ」
これで本当に礼羅の首の皮が繋がった。
しかし神祇伯が引き下がらなかった。
「陛下、お言葉ですがこの方に狐を持たせるおつもりですか」
「なにか問題が?」
「い、いくら調伏したと仰っても相手は狐。これでは妲己の二の舞ですぞ!」
礼羅に人を誘惑できる魅力があるだろうか。
同じことを考えたのか帝は反論する。
「狐にも性格というものがあろうに。なあ、晴明よ」
「左様でございます」
「だがその半妖の娘の性格も分からんか。たった一晩だが、其方はあの狐をどう思った。陽光、忌憚なく言ってみろ」
本当に言っていいのだろうか。周囲の人間を見れば皆各々の表情で興味津々にこちらを見ていた。
「狐の名は礼羅と申します。異国の名のようです」
「ほう。確かに珍妙な名よな」
「半妖ですから、知性は人間とそう変わりはございません。気になるとすれば育ての親がいたことでしょうか。
瘴気を吸い込んだ際に唱えた祝詞が道徳経……唐国の道教の経典から引いた言葉でしたので書物が読めるかもしれません」
この時代漢文の読み書きができる女は特に珍しい。
「ほうほう」
「ですが彼女は真っ直ぐな性格をしております。竹のようだと思えば聞こえは良いですが、融通が効かない娘です。昨日も筋が通らないと思ったことに反発しており説得に困難しました」
「ん……?」
「それに食い意地があり私が従者に持たされた菓子を見ては物欲しそうに見ておりました。私既に煎餅を三枚分け与えたにも関わらず。
しかも人前で肌を晒すことも平気で行います。検非違使らの前で己の脚や腕の傷を見せびらかしておりました」
「やはりただならぬ狐ではありませぬか!」
神祇伯はほら見たことか!と言わんとした顔だ。
「陽光、其方はその狐の目が覚めたら尋問したいと言っていたが、何を聞きたいのだ」
「そうですね……まずなぜかの屋敷にいたのか、そして彼女が使える能力、平民では身に付けることはまずない礼儀作法も育ての親に学んだと聞きましたから、それについても気になります。あとは」
「それらは尋問せずとも聞けるのではないか?」
「そうでしょうか。なんせ狐ですから」
真っ直ぐな性格をしているが嘘も吐く可能性もある。頑固なところもあるから吐かないかもしれない。
「本当にその狐が気に入ったのだよな?」
帝は何が聞きたいのだろう。
「左様。ですが私がその狐を気に入っているのは式神としての能力です。話をすれば素直に受け答えするので素行に多少問題があっても十分かと」
帝はチラチラと陰陽頭と視線を合わせるが何を示し合わせているのだろう。
その様子を見て俺以外の人間がちらちらと視線だけで会話している。
「何か問題でもございましょうか」
「宮様、昨日その娘と一晩塗籠で過ごしていたといいますが、その際の様子はどのようでしたか」
晴明殿の発言で周囲がどよめいた。
突然の爆弾発言に陰陽頭が頭を抱えていた。俺も出来るなら雄叫びをあげたい。
全身から冷や汗が流れる。普段から畏れ多くて見れない帝の顔が今度は違う意味で見ることができない。
「晴明それは……」
「狐は瘴気を吸い込む前に瘴気を消化するために手を繋いでいてくれという約束を宮様としておりました」
あの時は倒れるなんて思ってもなかったからそこまで深く考えていなかったのだ。
「それを言葉のまま受け取った宮様は約束通り、瘴気を吸い込んで倒れた狐を抱きかかえながらずっと手を繋いでおられ、塗籠の中でも一晩中読経なされていたと侍従から聞いてます。我が屋敷に穢れを持ち込んでしまったことを懺悔していたとも。
狐は時々何か言っていたようですが寝言でしょうとのこと」
「寝言……」
俺に対して畏まった態度をする晴明殿に寂しく感じる以前に俺と周囲の認識との乖離に気付いた。誰だその聖人君主は。
神祇伯はぽかんとした顔でこちらを見てくる。今は残月が持っている扇が欲しいが残月はその扇の下で密かに体を震わせて笑い堪えていた。おい笑うな。
「なら陽光は一睡もしていないのか?」
「……いえ、
「休めておらぬではないか!」
それはこの場にいる帝以外のみんなそうじゃないのか。
「それは他の方々もそうでしょう。検非違使は瘴気で穢れる不安もあったでしょうに、夜分に狐を捕まえるために奔走し、陰陽寮や神祇官府はご存じの通り数日かけて都の浄化に当たっておりました。忙しなくされていたのは私だけではありません」
帝は眉を下げる。そして周囲を見ればそっと目を逸らしていた。今日は普段よりも他人の顔が更に読みにくい。
「いや、いい。朕はお主を使い過ぎたようだ」
「あの陛下それは……」
「狐のこともある。後はそのまま晴明の屋敷で七日、いや十四日ほど休むといい。最近は狐絡みでお主を使ってばかりだったからな。陰陽師でもない其方には」
「陛下!私は望んで晴明殿の師事を受けております。否定しないで頂きたい」
「……」
分かっていた。俺は実の父親に陰陽師として認められていないこと、認められない故に冠位もなく、源氏の名すらもない。見た目だけの皇子だということを。
「有難く晴明殿の屋敷でお休みしましょう。狐も私のものにしてよろしいでしょうか」
「……構わぬ。それでよいか神祇伯」
「え、えぇ……よろしいかと」
神祇伯はなんだか奇異な目で俺のことを見ていた。
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