二話 つとめても、流れ無くなれこの思い。禊祓ひし有明の雨。

2-1.陽光


 その後残月の牛車で大内裏から見て北にある晴明殿の屋敷まで送られた。


「では明日昼にお迎えにあがります」


 そう言って残月は自分の仕える神社に帰って行った。


 晴明殿の式神の案内で邸の中に入ると一人の女人が出迎えてくれた。


「ご無沙汰しております。北の方」

「まぁまぁまぁ!陽光殿!本当に来ていただけるなんて!申し訳ありません何も用意が出来ず……」


 晴明殿の正妻だ。

 旦那から突然の連絡に不満を漏らすことなく暗がりでも分かるくらい笑みを浮かべている。

 しかし俺が抱き抱えている狐の娘に目を留めた。


「ところで、その娘は……?」

「先ほど調伏した私の式神だ。都の瘴気を全て吸わせたから対処しないといけない」


 この狐が?と言わんばかりの顔をしているが後ろから晴明殿の式神がひょっこりと顔を出した。


『この時間まですまないね。梅、陽光がこの狐子を気に入ったんだ』


 梅というのは晴明殿が北の方へ呼ぶ愛称だ。本当の名前は俺も知らない。

 呆れた顔で北の方は式神を見た。


「……まったく、この方ばかり贔屓して、今後どうなっても知りませんよ?」


 それはそう思う。


『その時は相応の対応をするし、私はこの子を見捨てるつもりはない』


 師匠はそう俺の背中を叩くような口調で話す。


「その言葉で十分です」


 夫婦そろって俺に心を砕いてくれるのはありがたいが、後ろ盾になるのは困る。

 滞在する予定の部屋まで屋敷にいた晴明殿の式神の案内で庭を歩く。穢れ……つまり山を登ったり地面に転がったりしたせいで付着した土汚れを室内に持っていくわけには行かないからだ。

 部屋に向かう途中遠くからぽぉんと音が歌声と共に聞こえた。梓弓だろうか。


 東の対が見えたところで式神はぽんと姿を消す。向こうでは北の方が先回りしてきざはしの上にいた。


「知らせだけ聞いていましたので嵐山殿のお部屋のご用意は出来ておりますが、その娘の用意まではしておりません」

「今はそれで構わない。此奴の腹の中には都にあった瘴気全てが入っている。腹の中を浄化させないと破裂されたら敵わないからな」


 少し脅し口調で言っても彼女は動じない。流石晴明殿の奥方だ。


「禊を行うのでしたら西の対の方がよろしいのでは?」


 東の対は男の家族が住まう場所だ。そこに女を入れたくないのだろう。


「禊で腹の中まで清められぬだろう。……せめて一晩だけ私と同じ塗籠に入れてくれないだろうか。試したいことがある」

「かしこまりました」


 拒否しないのは逆に怖い。俺はくつを脱ぐときざはしをのぼり部屋にお邪魔する。


「御用がある際は寝ずの番が控えておりますので彼に」

「分かった」


 御簾から顔を出した男が頭を下げる。侍従と言う名の監視か。

 北の方が去ったことを確認すると頭を上げるよう指示する。晴明殿の従者だった。


「悪いな。面倒役を任せることになって」

「……滅相もございません。しばらくしたら他の者と代わりますのでお気になさらず」

「分かった」


 礼羅を抱きかかえているのに驚かないのは北の方から聞いているからだろうか。

 塗籠に入る際に侍従が高灯台たかとうだいに火を灯すと頭を下げて出て行った。

 一人分しかない寝台に礼羅を寝かせると、懐から竹筒と手巾を取り出し、竹筒に入れていた水を手巾で濡らして顔回りをぬぐった後額に乗せる。彼女の体は今も火照り呼吸が荒い。


『道教……道徳経でしたら以前うちのやしろに来た道士がこんな漢詩を』


 そう言って残月が諳んじた漢詩は前世でも聞いたことがある言葉だった。あれは漢詩というより教えをまとめたものだろう。「子曰く……」みたいな。


「『上善水の如し』ね……」


 確か善を水に例えて自分を戒める内容だった気がする。礼羅の場合は水と言うより真っ直ぐに伸びる竹のようだ。

 自分も懐に隠していた道具諸々を仕舞っていた包みを取り出し、狩衣と烏帽子を外すと礼羅の隣で横になって手を繋ぐ。それにしても今夜は本当に疲れた。


 礼羅は言葉を避けていたが、やろうとしていたのは房中術だろう。

 この前祓った女狐が金だけでなく精力もすっからかんになるくらい搾り取っていたからその延長で知ったけど世の中にはとんでもない術があるものだ。

 手を三日繋ぐだけでどうにかなるのなら、触れる面積が増えれば早く終わらないだろうか。

 彼女の衣服に手をかけた時はっとした。


「これって既成事っ――!」


 すぐに口を塞ぐと礼羅の寝息が室内に響く。一瞬扉の向こうでも身じろいだのか衣擦れの音がした。


(いやダメだろう……)


 一人暮らしが長いと独り言も多くなるのは悪い癖だ。

 北の方は狐が何をするのか監視する以外にも既成事実があったのか確認しておきたかったのだろう。配慮が足りなかった。


「ううん……おばば……」


 魘されながら寝返りを打つ礼羅を見る。相手は病人だ。冷静になろう。

 冷静になるためには経を読むことが手っ取り早い。起き上がり、先ほど出した荷物の中から数珠を取り出す。


「神よ、我が罪を赦し給え……」


 そして胸元に掲げたモノが十字架だと気付くと勢いのまま十字架を投げつけた。


(違う!いや違わないけど違う!)


 なぜこの時代でモノボケみたいなことをしないといけないんだ。


 気を取り直し礼羅から背を向けて座禅の態勢を取ると深呼吸をする。

 だけど礼羅は寝ぼけているのか俺の背中に抱き着いてきた。体内の熱を取るには触れなければいけないようなのではぎとることは諦めた。


 それからしばらく経を読み続けたが結局俺の気がまぎれることはなく、礼羅の体調が安定したのもあって何週も経を読み続けた結果夜明けになってしまった。


「えっと……嵐山の君……」

「何も言うな……」


 一晩中読経していたなんて笑いモノだろう。

 しかし侍従は物音から陽光が神に己の罪を懺悔した後ひたすら読経していたことしか知らない。


「素晴らしい経でしたよ」


 なのでこの時の二人の表情に差が出ていたのだが朝餉の後様子を見に来た北の方はその二人の表情の差に内心首を傾げるのだった。


―――

つとめてに、流れ無くなれこの思い。禊祓ひし有明の雨。

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