1-10.陽光


 晴明殿の案内で一条通りを馬で走らせるが陰陽寮の術師は全員出払っているようで行く手を阻むことは無かった。この前の話が知れ渡ったのか、嫌がらせをするどころではないか。

 しかし向っている先には大内裏がある。


「晴明殿、このまま向かうのは」

『中には入らないよ』


 まさか帝に見せるつもりか。


「ですがこの娘をそのままにする訳にはいきません。祓う様子を帝に見せるのでしょう」


 狐の姿をしている礼羅を見せたら祓えというのではないか。


『……事情も知っているし気にしないと仰られる。誤魔化す訳にはいくまい』

「こんな夜更けにわざわざ……」


 本来なら物見する余裕もないだろうに。あの御方は。


『ここで良いだろう。開かれてるからよく見える』


 結局式神は大内裏に入ることなく朱雀大路と三条通りが交わる十字路で止まった。


「陽光、あれは何?」

「朱雀院だ。譲位した帝が住まう場所でもある」


 ふうんと言うが興味が失せるのが早い。

 月光に照らされた五重塔を眺める。大抵の社寺には独自の結界があるとはいえ無事だろうか。


「礼羅、本当にできるんだよな」

「一尾だからって私を見くびらないで」


 そういう意味で聞いたわけではないんだけど。確かに尻尾は一つしかないが。


「でも吸い込んだ瘴気を体内で中和させないといけないんだけど、それは手伝って欲しいの」


 さすがに礼羅だけで完結することは難しいようだ。


「何をするんだ」

「吸い取った霊力や呪力をあなたと私の間で循環する。力を巡らせることで打ち消すの。時間も負担もかかるけど……多分二日あれば」


 循環という言葉に心当たりがあった。晴明殿から教わった術の一つだ。


「それは錬丹術か?」

「えぇ。四六時中出なくていいから手を繋いで欲しい。私たちなら今更でしょう?」


 馬に相乗りしているだけでなく俺の血を与える為とはいえ彼女の口の中に指を突っ込んだ。今更になって恥ずかしくなってきた。


「……確かに、今更だな」


 とはいえやる事は分かったので気を締める。

 礼羅を馬から降ろせば彼女が裸足であるのを今更ながら思い出すが彼女は気にせず辻のど真ん中に立った。

 するとちらりと不安げにこちらを見て来た。あぁ、瘴気は吸い込んでも悪霊は無理ということか。


「俺のことは気にするな。存分にやってくれ」


 手を軽く挙げて返事する。ちなみに袖を振ると妻や恋人への求愛になるらしい。平安貴族面倒くさい。

 礼羅は頷くと朱雀門を背に両手を合わせた。


「『反者道之動、弱者道之用。天下萬物生於有、有生於無』」


 今世ではほぼ初めて聞く唐国の言葉を唱え、礼羅は大きく息を吐くと上を見上げて大きく息を吸い込んだ。

 すると徐々に瘴気が礼羅の口に吸い込まれていく。


 しかし悪霊までは吸い込まない。瘴気につられて俺や礼羅の近くまで悪霊が寄ってくるので次々と周囲の悪霊を祓った。


 礼羅はまだ瘴気を吸い込むことに集中している。負けてはいられない。

 ふと視線を感じて北の方を見るとこの場にいるはずのない牛車がやってくる。自分らから少し離れた場所で止まると優雅な仕草で見慣れた美丈夫が降りてきた。


「今宵も良い月が見れそうですよ。殿」


 悪霊が近くにいるのも厭わず彼は扇で顔を隠しながら歩み寄ってくる。


「俺が必死に悪霊退散させているのに呑気にご挨拶か。残月」

「貴方様が悪いのですよ?私の監督も勅なのに屋敷を留守にするなんて。侍従が文を寄越してくれなければ夜分に都へ行くことはなかったのに」


 残月の後ろから来た悪霊目掛けて式神を飛ばせば彼の顔の真横を一閃した。


「帝の勅と安否なら俺は安否を優先するね」


 対して残月は笑みを浮かべながら扇を滑らせれば俺の後ろにいた悪霊全てが爆竹のように祓われた。


「その安否を優先して捕まえたのがあの女狐ですか」


 残月は礼羅を見て目を細める。周囲の瘴気はほとんど薄れてきているが、今も尚瘴気を吸い込んでいる。しかし体力の限界か肩で息をしていた。


「そこまで」


 残月の凛とした声が届いたのか礼羅は糸が切れたように全身の力が抜ける。


「礼羅!」


 この時残月が目を見張ったがそれに気付かず倒れる寸前の礼羅を抱き抱える。


「はる……」


 気を失ってしまったが、今も頬が紅潮し、息も荒い。

 遅れてやってきた残月はひょっこりと覗き込んだ。


「黒の狐とは珍しい」

「早く手当しないとコイツの中で瘴気が消化不良を起こしてる!」

「言葉が乱れておりますよ」

「気にしてる場合か!」

「そう言われても、その狐ならいっそ祓って楽にしてやればいいのに」


 扇を構える残月に俺はすぐ礼羅を庇う。


「こいつは俺の式神だ!」

「式神が欲しいなら新しく作るなり捕まえればいいでしょう。それとも、貴方様の様な方が妖魔に情を向けるなんてこと――」

『有明殿、そこまで』


 今まで黙っていた晴明殿の式神が喋る。残月は扇をひらひらとさせて笑みを浮かべる。


「ふふ、冗談ですよ冗談」

『君の冗談はタチが悪い』

「貴方のような御方が言う事でしょうか?」

『私は何時でも真面目さ』


 俺からすればどっちもどっちだ。


『陽光、君の物忌が明けるまでこの狐は家で預かろう』

「それは……」

『世話は妻と椿に任せるつもりだ。君も家に来たまえ。妻も君が来るならさぞ喜ぶだろう』


 確かにあの若人好きのご婦人なら喜びそうだけど。


「お気持ちはありがたいのですが私らは」

『忌むべき存在だって?いい加減その言い訳で自分の身分から逃げるのはやめた方がいい。既に帝から君に赦しをいただいている』


 敵味方関係なく自分に降りかかる嫌味や陰口に嫌がらせの数々。忌み子だと罵る異母兄弟、そして火事で妹を庇って亡くなった母、一生治らない傷を負った妹。


「それでも……!」

『あぁ分かった。なら師として命令だ。君は私の家で物忌をし、その女狐を私の妻とその女房に監視させろ』

「……承知いたしました」


 『本当は私が命令できる身分じゃないんだよ君は』と呆れた声が聞こえるがそれでも自分は謙ることを譲ることは出来なかった。

 「それにしても……」と残月が辺りを見回す。


「住めなくもないですがこれでは人の御心に影響されかねませんね。この狐に穢れを祓う力はありませんでしたか」


 いちいち突っかかるなこの宮司。


「彼女は瘴気を吸い込んだだけだ。潔斎は神祇官府の役目だろ」

『残った悪霊は陰陽寮が対応する。有明殿は手筈通り』

「すでに準備は整っております。宮中に戻ればすぐにでも行えるでしょう」


 ならなぜここに来たと疑う俺の肩に残月の手が乗っていた。


「明日、お迎えに上がります。

「……」


 晴明殿の式神を見れば『式神だと君を引き留められないからね』と言っている。この二人は仲が悪いのか悪くないのか分からない。

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