1-8.陽光
自分の懐から
「……レイラじゃなくてライラね」
西洋の名前だ。しかし当て字にしてはややこしい。平民とか文字が書けない者だと仮名文字、つまり
名乗った本人はぐったりしているので手を離し、今度は小刀を取り出して式神に自分の血で血判する。礼羅な呑気にこちらの様子を眺めているが、諦めたのか逃げたり足掻く素振りもない。起き上がらせてみてもされるがままだ。
だが血の滴る親指を彼女の口に突っ込むと身体が一気にびくついた。
「んぐっ!?」
「俺は
「んあ……ら、あえ……」
親指を動かし舌を舐らせ、歯をなぞり口の中を覗く。
舌に何かしらの術が刻まれていないことを確認して、指を離せば彼女は口の中で溜まった唾液と一緒に俺の血を飲み込んだ。
「……アンタ容赦ないわね」
口元を拭いながらそういうが、式神の契約特有の縛られる感覚を感じると、礼羅は俺の中にある魔力を一気に持って行った。
「ったく、ごっそり持っていきやがって……お前のせいで連日徹夜続きだったのに……」
「はぁ?私のせいだって言うの!?」
自分の仕出かしたことに全くの自覚がないような顔に苛立つ。
「お前が流したあの瘴気のせいで都に悪鬼が増えたんだぞ。もはや百鬼夜行だ」
「私が呼んだのは妖だけよ」
「そうだったとしても、都は人も多いし色んな思惑がある。それから発生された呪力が混ざったんだろ。お前は狼煙っていうけど陰陽寮の結界内にいない限り都の外から見つけることはほぼ不可能だぞ」
「なんですって!?」
勝手にしょんぼりされると気前悪い。
仕方なく懐から煎餅を三枚ほど渡せばすぐにぱっと明るくなった。何となく扱いが分かってきた気がする。
「よく噛めよ。腹壊すぞ」
「子供扱いしないで」
そう言いながらも素直にゆっくり食べ始めた。
俺も惟也から寄越されたあられを食べていれば相手は食べかけの煎餅を手にしたままこちらをじっと見つめていた。
あられに思い入れはないが盗られるのも癪なので懐に仕舞う。
「食べたら行くぞ。従わないなら飯抜きな」
「し、仕方ないわね。行けばいいんでしょう?行けば」
礼羅が煎餅を食べている間に捜索していた検非違使達がやってきた。
小娘に餌付けしている様子に戸惑っているらしい。
「あの、これは……?」
「彼女は今私の式神にした。悪鬼は祓わないといけないが悪鬼を引き寄せる邪気は消えるだろう」
「さすがです」
「お待ちを。まさかこの娘をまた都に入れるのですか?」
煎餅を食べていた礼羅の手が止まる。
口を挟んだのは検非違使の中でも位の高い者で自分を嫌っていた者だったはずだ。
「見ての通り此奴はこの様だ。骨同様に痩せ細り、傷を治す力もない」
「それがこの女のやり口ならどうするおつもりで?式神にしたと言いますがその証拠は」
「ちょっと、私は邪気を放ってませんわ」
ここで周囲は一気に礼羅に向ける。
式神にして有耶無耶にしてきたかったのに台無しだ。
「育ての親に気付いて貰うために狼煙を上げただけでしてよ」
「待て、お主が混ざると話がややこしく――」
俺の命令も聞かず彼女は話を続ける。
「大体、悪霊とか何とかおっしゃいますけど、検非違使の皆様も私を主犯にしてこの件を片付けようとしているのが目に見えてます」
「なっ……!下女の分際でなんという!!」
男は暗闇でも分かるくらい顔が真っ赤になる。
「私のいた屋敷の主人も、私のような下人だけではなく、女房や北の方、結婚前の娘にまで手を上げるような御方でした。
ご覧下さいな。たった今、主になった御方から御力を貰っても治らない傷や痣がこんなに……」
そう言ってよよよと右袖で顔を隠し泣きながら左腕を捲り上げ脚をみせるが本当に肉がなく、ここまで行くと餓鬼だ。
同情を誘うつもりかもしれないがここまでいくと穢れだと言われかねない。
「さっさと肌を仕舞え。見苦しい」
「まぁ、主様そんな……」
「という事だ。其方に命令権はあるまい。あれ程都を騒がせたんだ。処分は帝に任せるのが筋だろう。私は一条で依頼主である天文博士殿の連絡を待とう」
「……っ」
機嫌の悪さを隠さず検非違使達はこの場から去っていく。
ここまで礼羅が出張るとは思わなかったがここまで話せば、くまなく調べてくれるだろうか。礼羅の前の主人も気になる。
預けていた俺の馬も帰ってきた。
「礼羅、あの言葉遣いをどこで覚えた」
「育ての親よ。後はさっきまでいたお屋敷のお貴族様達の口調を聞いて感覚を掴んだわ」
「あ、そう……」
お転婆は過ぎるが人を真似ることは出来るらしい。
しかしなら何故この半魔はあんな屋敷で下女をしていたのか。
「貴方も、なんで悪魔祓いの術を知ってるの?それにこの力も」
まさか彼女は……いや今は考えるのはよそう。
「話は後だ。行くぞ」
「あ、はぐらかした!」
自分は久しぶりに面白いと感じていた。
これまでの暮らしに憂いていた訳でもやり甲斐を感じていない訳でもない。だけど心の奥底ではつまらないと思っていたのだろう。
こんな厄介者を手離したくないと感じたくらいには。
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