第2話 煙なきところに火を

 今年もこの山小屋に、春が訪れた。

 街はこの3年間で移ろい変わってしまったが、この場所の景観は、ここで暮らしていくことを決意した、あの時のままである。


「おーい、3時だぞー」

 ソファの上から腕をだらりと垂らして、ケイは愛しのフィアンセに命令を下す。しかしその命令に彼が応えることはなく、返ってくるのは溜息と、呆れたような視線であった。

「……何でしょうか」

「何って、おやつだよ」

「……(頭部の血管が切れる音)」


 ガッターン!と音を立て、イオは鬼神もかくやという形相で立ち上がった。

「おやつ、じゃないんですよーーーーーー!」


「えぇ⁉︎そんなに怒ることないだろう⁉︎」

「怒りますよ‼︎ほっときゃ簡単にできるわけじゃないんですから‼︎おやつ一品作るのだってけっこう手間ですよ⁉︎」

「わ、悪かった‼︎そうだなぁ、えーと……ドーナツならいいか?」

「『ドーナツならいい?』じゃないんですよ‼︎地味にめんどくさいですからねソレ⁉︎」

 ぜーぜーと呼吸を荒くしながら、けっこうな要求をするケイに必死で抗うイオであった。


「ん〜‼︎おいし〜‼︎」

「…はぁ……」

 結局「今からドーナツを作るのは面倒すぎる」ということで、ケイにはマル麦パン(マル麦は、こちらの世界でいうところの「小麦」に近いもの)を使ったラスクで我慢してもらうことにした。あれなら薄切りにしたパンを焼くだけで調理が終わるし、ちょうどハチミツもあったので、簡単にハニーラスクを作ることが可能だったのだ。

 作る前は散々ゴネていたイオだったが、ケイが美味しそうに食べるのを見るのは好きだし、そもそもイオ自身料理は嫌いではない。幼い頃から、帰りの遅い両親の代わりに妹たちに飯を振舞っていた彼にとって、この程度ならば別にそこまでの苦労はなかった(手のかかる料理は別として)。

 物心ついたときから戦場にいたというケイは、当然の如く美味い食べ物も知らず育ってきた。

 そんな彼女には、これからも美味しい食べ物をたらふく食べて、幸せに暮らしていてほしい。


 自分たちのような裏切り者には、身に余る願いかもしれない。

 だとしても、ケイの幸せそうな顔を見れば、そう願わずにはいられない。

 イオは込み上げてきた思いを飲み込むように、そっと心の中で呟いた。


 

 次の日、ケイはイオに対し、開口一番こう尋ねた。


「メクリアで起きてるクーデターの話だが……現状はどうなんだ?」


 ハッ、と驚愕に息を呑んだイオとは対照的に、ケイは至極冷静だった。


「あぁ、昨日は心配かけて悪かったな。…少し、取り乱してしまった」

 ケイは決まり悪そうに微笑む。そして、自らの左脚を見下ろした後で、

「いつまでも、ガキみたいに喚いてる訳にはいかないだろう?」

 イオは暫く放心したようだったが、瞬時に、「彼女の言うことならば何か目的があるのだろう」、と彼は考えた。


「えぇと……、そもそもメクリアは『大戦』による疲弊もあったようで、ここのところ深刻な穀物不足に陥っていたようなんです。それだけなら良かったのですが、かねてより勢力を強めていた幾つかの反帝政グループが、どうも統合したらしいんです」

「メクリアは既に『大戦』での戦死や穀物不足による飢えで多くの犠牲者を出していた。その状況下で反帝政グループの団結が生まれ、求心力を失っていた帝政はあっさりと崩壊した。そういうことだな?」

 確信を突いたその問いに、イオは黙って首肯する。

「その上、クーデターの成功後、すぐにグループ内での抗争が起きたようで……。いくつかのグループが、周辺諸国に離散してしまったようです」

「……なるほど」

「さらに、離散した内の1つ、それもかなり過激なグループが、この国に入国したという話もあるそうで……。怖いですね」

「……」

 それを聞くなり、ケイは俯いたまま、沈黙してしまった。イオは「やはり言わないほうが良かったか…」と、強い自責の念に駆られた。


「オイ」

「?」

「そのグループ……リーダーは、誰だ?」

「ええと……待ってください」

 暫くした後、イオはその名を口にする。


「バンター・オル・テス。傭兵上がりの荒くれ者ですね…」


「……まずいな」

 ケイは頭を上げ、神妙な面持ちで言う。


「バンターは、この周辺の……アルク山脈付近の集落出身だ。おそらくグループ復活の為に、こちらで休息を取ろうとするだろう。自分のお膝元でな」

「なぜそう思うんです?」

「ヤツは基本的にバカだ」

 突然直球でバンターをこき下ろし始めたケイに、思わずイオはずっこけそうになってしまう。

「あぁ、言ってなかったか。私とアイツは、傭兵時代の同僚だ」

 ケイはそう補足すると、話を再開する。

「足がつかないように、などとは基本考えない。そしてヤツの住居座標(こちらの世界で言うところの「住所」のこと)は、アルク山脈周辺に設定されていた。つまり、この周辺がヤツの根城である確率が高い。そうなると……かなりまずいことになる」

「……まさか」

 さぁっと顔を青ざめさせたイオを見つめながら、ケイは言葉を紡ぐ。

「あぁ。ヤツは今後、高い確率でこの周辺に訪れる。そしてヤツは私と顔見知り。つまり…」



「「『自分たちがここにいる』という情報が、流れ出る可能性がある」」

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