第6話:安住の地

「おぎゃぁ! おぎゃぁ!」

「あぁ、はいはい。ちょっと待ってな坊や達。すぐにミルクあげるからね」


 ミル姉さんの家には沢山の赤ん坊が居り、メシを寄越せと大合唱を奏でていた。


「タナカゴブリン、あっちの部屋に野菜があっから適当にカゴに入れて持ち帰りな。あぁ、綿毛花の収穫は朝からだから遅れるんじゃないよ」

「もう行くことは決定事項っすか」


 まぁ逆らっても殺人的な拳が飛んでくるので適当に頷いて了承した。

 それに満足したのか、ミル姉さんが服をまくり、赤ん坊達に母乳をあげる。


 これがこの人がミル姉さんといわれている由来である。

 村全体の乳母であり、この人の母乳を飲まずに育った人はいないとまで言われており、誰も逆らえない。


 見た目は三十歳くらいのおっぱいデカい人妻なのに、その体躯と筋肉のせいであんまり興奮できない。

 昔、乳母がいるって聞いて「俺、0歳児なんです! まだおっぱいが必要なんです!」って言っら、この人が出てきた。

 逃げようとしたら即座に捕まった、くびり殺されるかと思った。


 ちなみに、ミル姉さんのミルクを飲んだかどうかは覚えてない。

 記憶を消し飛ばしたから。


「そういえば他の人がいないから聞いてみたいんですけど、ミル姉さん老けないっすよね。エルフとかそういう種族ですか?」

「ハァ? アタシを森の蛮族と一緒にするんじゃないよ」


 悲報、エルフは森の蛮族だった模様。

 おらエルフと出会うのが怖くなってきたぞ。


「じゃあドワーフは山の蛮族なんスか」

「あいつらはただの蛮族だよ」


 続・悲報、ドワーフは蛮族だった。

 そうか、蛮族だらけの世界だったからゴブリンは滅ぼされたんだな、納得した。


「じゃあミル姉さんは何なんすか。ゴブリンじゃないのは分かるんすけど」

「……別になんでもいいだろう、誰かに迷惑をかけてるわけじゃなし。あんま詮索してると、嫌われるよあんた」

「別にいいもーん! 俺、ゴブリンだから嫌われて当然だもーん!」


 とか言ってたら、ミル姉さんからゲンコツが飛んできた。


「アタシは今、ゴブリンがどうとか言ってない。あんたの振る舞いが、あんたを嫌わせるって言ってんだ。種族を理由にすんじゃないよ」

「……ウッス」


 痛む頭をさすりつつ、心に刺さった言葉を反省する。

 こういうところがあるから、この人には頭が上がらないんだよなぁ……。


「人のことをどうこう言う前に、あんたはどうなのさ。いい加減、森じゃなくてこっちに来な。端の兄妹の家でもいいし、なんならウチの余ってる部屋くらいやるよ」

「そんなこと言って、あたいを食べる気なのね!? ゴブリンを食べるなんて悪食にも程がありましてよ!!」

「火種がなくなったら毎回こっちに来て、いい加減に面倒なんだよ! 一緒に住めばそんなの気にしなくていいし、生活も楽になる。何が不満なんだい?」

「いや、不満とかそういうのはないっすけど……」


 俺は最初、クラスの皆と合流するまで生き延びることだけを目的にしていた。

 とにかく毎日を生きることだけを考えて、それを待っていた。

 十年以上経った今でも、皆とは会えていない。

 それでも俺は約束したから待っている。


 だけど、この村の居心地はとても良くて、皆との約束がなかったら、とっくにここに住んでた。


 ゴブリンの俺でも真っ当に扱ってくれた、一緒に暮らせればと思った。

 だけど、もしかしたら今もクラスの誰かが俺を探してるかもしれない。

 必死になって、傷つきながら探してるかもしれない。


 その時、俺がとっくに安住の地を見つけていたらどう思うだろう?

 ……まぁ、いい気分ではないだろう。


 だから俺は、最後の一線を守る為に森に住んでいる。

 いずれいなくなるから、いなくなってもいいように、近すぎない距離を保ち続けているのだ。


「……ま、大した理由じゃないっすよ。ほんと、人が聞いたらくだらねぇ理由なんで」

「はぁ……ま、言いたくないならいいけどね。気が変わったら言いな、部屋は自分で片付けてもらうけど」

「うーっす。そんじゃ、カゴは今度返しますんで~」

「……待ちな!」


 扉から出て行こうとしたら、後ろからミル姉さんに呼び止められてしまった。

 なんだろう、やっぱりお前にやる野菜はねえとか言われるのだろうか。


「昔、そのガキはお姫様みたいな扱いだった。丁寧に、丁重に、宝石のように。だけど気付いちまったのさ。それは、家畜を大事にするのと同じだったってね」

「ミル姉さん……?」

「神様の為に搾られ続けられる毎日に嫌気がさしたお姫様は、神殿を素足で飛び出して、名前以外の全部を捨てて、馬鹿みたいに走って走って、逃げてしまいましたとさ……めでたし、めでたしってね」


 ミル姉さんは、母乳を吸う赤子を慈しむように見ている。

 それでいて懐かしむように、それでいて哀しげな瞳を震わせていた。


「ま……お互いに嫌なこと聞いて、嫌な思いをしたんだ。これでチャラにしようや」

「まぁ、ミル姉さんがそう言うなら」


 自分のせいで、ミル姉さんにも嫌な思いをさせたようだ。

 あぁ、嫌だ嫌だ……自分のしょうもなさに嫌気が差す。

 だから俺はゴブリンに転生して、今でもモテないんだろうなぁ。


「あ、明日は遅れんじゃないよ! 遅れたら巣穴まで迎えに行って引きずり出すからね!」

「ミル姉さんの場合、そのあと地面を引き摺って摩り下ろすじゃないっすか」


 そうしていつもの空気に戻って、お互いに笑いあって別れたのであった。

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