後日談⑥ 決別

「あのさあ、修吾」

「ん?」

とある日のこと、奏多が珍しく言いよどみながら修吾を呼ぶ。

「…うち、来る?」

「…それじゃさすがに唐突すぎて分かんないよ」修吾はキッチンに立つ彼女の頬を撫でて苦笑した。彼女がそういう言い方をするときは大体、言いにくいことを口に出すときだった。


「どした?大丈夫だから言ってみ」修吾は彼女を励ますように抱きしめて言う。

「…親、が、彼氏に会いたいって、言ってる」

「…へえぇぇ?!どの面下げて?」

カクカクと言葉に詰まりながら話した彼女に、それでも修吾は未だくすぶる怒りを燃え上がらせてしまった。

瞳が冷酷に見開かれ、口元は大きく笑みの形に歪む。

その残忍ともいえる顔に、奏多が怯んだようになる。

その奏多の顔に、しゅんと修吾から力が抜けた。

「…悪い」

「ううん。…なんか、いつもお世話になってるからとか言ってたけど。…ごめん」

決死の覚悟で行ったであろう彼女のその決心を潰してしまった修吾は申し訳ない気持ちになる。

「いや、今のは俺が悪かった」ギュっと彼女を抱きしめる。

「…まあ、そろそろ会っといた方がいいか…」


半同棲生活が続いて半年が経とうとしていた。そろそろ、いかなあの親といえど休みの度に毎度外泊をする娘を心配する頃合いなのだろう。

「別に、私はどっちでもいい。事実を伝えただけ」

その奏多の言葉には何の感情も篭っていなく、彼女の感情を裏付けていた。その小気味いい話し方に修吾の口の端が上がる。

「まあ、じゃあ、都合良い時にご挨拶に伺うよ」

「…大丈夫?」

「…正直、自信無いけど。でも、先延ばしにしたところでたぶん変わんねえよ」

彼女を寄ってたかって追い詰めた彼らへの怒りは、二年経った今でも彼の中でその火種を絶やす気配は無かった。

「…そか、じゃあ、予定聞いてみる」

「ん。…今日の飯、何?」気を取り直して修吾が奏多の手元を覗き込んだ。


・・・


そしてその当日。

玄関で修吾を見た彼女の両親は、ん?と疑問を持ったような顔になる。

なぜかつての担任がここにいるのか。またうちの子が何か問題でも、とでも言いたげな顔だった。

「…お久しぶりです。奏多さんとお付き合いさせていただいてます、木村修吾です」

その疑問の表情に、挑みかけるように修吾は言った。途端、二人の顔が驚きに満ちる。

「…ねえ、とりあえず入ろ。二人もボケッとしてないでよ」修吾の隣に並んだ奏多が立ち尽くしたままの二人を急かす。

「ああ、すみません。…どうぞ」母親が修吾に来客用らしいスリッパを指し室内に促した。


「…ねえ、だから、会わなくていいって言ったじゃん。マジお葬式なんだけど。ナニ。言いたいこととか言わなきゃいけないことがあるなら早く言ってよ」

奏多が学生時代に戻ったような話し方になる。

たぶん、自己紹介から始まって、お仕事は、とか、娘とはどんな関係で、とか言う会話を用意していたのであろう奏多の両親は、いきなり彼氏の正体が知った人物、しかも、隠したいであろうそれぞれの所業も隅々まで知り切っている人物だったということに面食らって口を開くことができないでいた。

修吾はそんな彼らを薄い微笑みを貼り付けた顔で見ている。


「あの、…木村さんには、奏多が学生時代からお世話になりまして。そうでしたか、あなたが奏多の…。あの、毎週お邪魔してると思いますが、ご迷惑になっていませんか」

「とんでもないです。毎週、彼女が遊びに来てくれるのを指折り数えて楽しみに待ってますよ」

修吾は今度は本心から笑みを浮かべた。そしてまた会話が止まる。


奏多が居心地悪げに三人を見つめる。

修吾はその沈黙を楽しむように笑顔でいる。


…はあ、とその沈黙を破ったのは奏多の父親だった。いつかその顔を思い出そうとした、醤油顔の整った顔立ち。彼は静かに目元を揉む。

その仕草に修吾は自分の体からぶわっと音を立てて殺気が燃え上がるのを感じた。

奏多が不安そうに修吾を見たのが分かるが、修吾は彼女に目線を向けられず、酷薄な笑顔のまま一心に父親を見つめている。

その目に残酷な力が満ちる。

─さあ、何だ。言ってみろ。

─下手なことを言えば、お前を完膚なきまでに叩きのめす準備は出来ている。


「…木村さん。どうぞ、言いたいことをおっしゃってください」

そう告げて、父親は目元を抑えていた手をそっとテーブルに下ろして修吾を静かに見つめた。

ん?修吾の顔から笑顔が消え真顔になる。

「あなたには、奏多の件で大変お世話になったと聞いています。今日こうして、この子の恋人としてここにいらしたということは、私に言いたいこともあるでしょう」


「…へえ、意外とまともに話せるんですね」

先ほどまでの『好青年な娘の恋人』の役を捨てた修吾は、椅子の背もたれに体を預けて冷たい目をしてそう言った。

「…更生したんだよ。私も妻も。そうさせてくれた。奏多が」

「そうなの?お前偉いねホント」

「…知らない」

「…君には怒る権利があり、我々にはそれを受け止める義務がある。…煮るなり焼くなり、…殴るなり。好きにしていい」

父親はすっかり観念したような顔をして修吾を見つめた。

ああそうですか。と、修吾も心を決めた。


「…どうですか。あんたらそろそろ、この子がめちゃくちゃ可愛い、失い難い存在だと気づきました?」

「ああ」「もちろんです」

「ぶっちゃけ、俺はあんたら二人は今すぐ死ねば良いと思ってんだよ。…俺の大事な、可愛い奏多を追い詰めて、…殺そうとしたのはお前らだもんな?」

「…修吾…」やめてよ、とでも言いたげに奏多が修吾を見るが、修吾は二人から視線を外さない。


「でも、奏多は…仲良くなりたいんだってよ。普通の親子みたいに。…信じらんないけど。

…見てみろよ。自分の親に死ねって言われた、彼女が今どんな顔をしてるのか」

三人の視線が行き交った。母親が涙を流す。父親が口元を引き結んだ。


「だから、本当は俺の家に来て欲しいけど、あんたらとの時間も必要だから週末だけで我慢してる。こいつがそうしたいって言うから」

「…」

「俺は、俺が持ってるものなら全部奏多にあげるつもりでいる。…でも、」

ふと目頭が熱くなって修吾は唇を噛んだ。

「…親になってやることはできない。…母親と父親はあんたらしかいない。残念だけど」

父親の目からも涙が零れ出た。修吾の目からも。

修吾は前のめりになると彼らを睨めつけた。ぎりぎりと歯ぎしりをしながらもその合間から必死で言葉を紡ぐ。

「…ちゃんと親として、奏多を愛すると誓え。…もし、…もしもう一度でも奏多を傷つけたら、俺はもう許せない」

「…ああ、もちろんだ」父親が震える声で応えた。母親は両手に顔を埋めて大きく頷く。


修吾の隣からすんと小さな声がした。その姿を見て修吾が悲し気に顔を歪める。

「本当にどれだけ奏多がつらかったかなんて、俺にも分かってやれない。どれだけ息ができないほど苦しかったのかも、どれだけ泣いたのかも。

想像することしかできない。その痛みを分かってやることも、代わってやることもできない。

…だから、甘やかしてあげたいと思ってます、俺の手の届く限り全部で」

もう、いいよ。と奏多は小さく漏らす。そんな奏多に修吾は溜飲を下げた。

「…色々、失礼なこと言ってすみませんでした。でも、…今日お会いできて、少し安心しました。

こんな俺で良ければ、これからは奏多の恋人として普通に接してもらえませんか。…普通の家庭みたいに」

「すまない。…本当はこちらからお願いしなければいけないのに、…君にそこまで言わせてしまった。こちらこそお願いするよ。…君は良い男だな」

「…重ね重ね申し訳ないですが、お父さんよりは良い男な自信はあります」

「…そうだな、違いない」

二人は痛々しい顔のまま、それでも少しだけ口の端を上げた。


帰路に言葉は無かった。奏多は伏し目がちに車の助手席から窓の外に視線を投げ出している。柔らかく修吾を押し止めるようなその雰囲気に、修吾も彼女には声をかけず車を走らせる。


帰宅してすぐ、玄関で奏多は修吾の胸に縋りついて泣いた。

初めて、肩を大きく震わせて嗚咽を隠そうともせずにさめざめと泣く。

修吾の目からもまた涙が流れる。奏多をそっと包み込むように抱きしめた。

「…あれでよかった?」

彼女は力強く首を振る。

「よかった。…これで、本当に、終わりだな」

奏多が再び頷いた。

彼の心の中でじりじりと燃え続けていた火は、彼女の家で流された四人の涙によってようやくその身を亡ぼすことができた。

これで、彼と彼女と、二人を取り巻く世界のすべてが正しい形に収まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】女子高生と担任教師の同居にまつわるウミガメのスープ @amane_ichihashi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ