後日談⑤ 彼女の恋の話
「うるせえよ」
玄関を開けた修吾は奏多にそう告げた。
「ねえ、無事?!」
「…なんもしてないよ」
リビングから陽斗が答えた。その言葉を確かめるように奏多が修吾を見る。
「…なんもされてないよ。つーか、連打すんなよ」
「開けるなとは言われたけど、インターフォン連打するなとは言われてない」
言いながら奏多はリビングに足を踏み入れると、陽斗を見て足を止めた。
「よう…この前振り」
「うん。…そういうことだから。カノジョ出来たんだって?良かったじゃん。可愛いの?」
「……………なんか釈然としない!!」
「だからあ、さっきのうちに言っとけって言っただろ」換気扇の下で修吾は苦い顔をしてタバコを吹かした。奏多は冷蔵庫から彼女用の缶チューハイを取り出していつものクッションの上に座る。
「なんかもう馴染んでるしさあー…えーーーーーー…やだーーーーーー」
そんな陽斗の様子を気にも留めずに、奏多はプシュッと缶を開けて勝手に陽斗のグラスに軽く合わせる。
「ハイ乾杯」
「えーーーー酒飲んでるしさあーーーー。やだあああああ」
「子供みたいにやだやだ言わないでよ。良いでしょ別に、陽斗だって彼女出来たなら」
「えー?なに?いつから?っていうかマジで言ってんの奏多」
「マジだよ。こんなことで嘘つかないでしょ。別に、…そういうことになったのは卒業してからだし」
修吾は二人の会話を聞きながらウイスキーのロックを作って席に戻る。修吾も修吾とて、強い酒が飲みたい気分だった。
「…何がやなの。奏多に彼氏ができたこと?それともその相手が俺だってこと?」
「ええ…。なんか…友達同士がくっついた時みたいな感じ?がやだ」
「それ、単に気恥ずかしいだけなんじゃないの。私たちだって友達同士じゃん」
「流石奏多賢いな。そんな感じ?」
「…まあ、そうかも」
「じゃあ良いじゃん。そういうことになりましたってことで」
陽斗はまだ難しい顔をしながらもグラスを煽った。
「え、奏多もしかしてさあ、一年の時告った時にも『好きなやつがいる』って言ってたけど、それもキム兄のことだったの」
「ええ、お前そんな前からずっと奏多好きだったの?」
「…そうだよ。ずっと振られてたけど」
修吾は申し訳ない顔になりながらも、なんかごめんという言葉は言わないでおいた。
奏多に目を向けると前髪を抑えて眉を寄せながら「…それは、違う人」と小さく言った。
「えぇ?!」修吾はその奏多の様子に驚きの声を上げた。
「…陽斗、余計なこと言わないでよもう」奏多は本気で顔をしかめながらつまみとして出されていたナッツをポリポリと齧った。
「キム兄嫉妬してら。ざまあ」
彼女をずっと好きだったという彼は、それでも彼女の癖までは知らないらしい。
修吾の上げた声の意味を彼だけが取り違えていた。
・・・
「聞きたいことがあるんだけど」
「…私には言いたいことはありません」
陽斗が帰ったあと、風呂上がりの彼女にかけた言葉はすげなく却下された。
陽斗はあの後も悶々としながらも、最後には赤らんだ顔で、まあこれからも仲良くしてよ二人とも。と言って帰って行った。
「座って」
「いや。今日疲れたから、もう寝たい」
「…今日寝ても明日聞くけど。明日がダメならそのあとも」
口の端を持ち上げた修吾に、奏多はうざあという顔になる。
「…おいで」
修吾は彼女を両足の間に座らせると後ろから抱きかかえる。
「なに、どういう事?」
「…何が」
「さっきの。お前、一年の時から俺のこと好きだったの?本当に?」
「違う人だって…」「もうバレてるから」
逃げようとする彼女を抱く腕に力をこめて修吾が言う。
「もうバレてるから、教えて?」
「…。…そうだけど」
「なんで?ただの生徒だったじゃん」
陽斗が教えてくれた思わぬ福音に、修吾は彼女の頭を愛おしむように鼻先で撫でる。
「…先生は忘れてると思うけど。前に、英語、分かんないところ聞きに行ったら、すごい丁寧にいろいろ教えてくれた、から」
「ええ、それだけ?」
「やっぱ忘れてんの。わざわざ職員室の端にある来客用のテーブルまで行って、紙とかペンとかいっぱい持ってきてくれて、例文いっぱい書いて教えてくれたじゃん。
私その時英語すごい苦手だったんだけど、高一で英語躓いてたら後がヒサンじゃん。だからちゃんと分からなきゃと思って」
「うん」
一度口を開いたら滑らかになったらしい舌で彼女は続ける。
「でも、…聞きに行くのヤでさ」
「なんで」
「…職員室って入りづらいんだよ。目立つし。それに、嫌がられるかもと思って。修吾、いつも、なんつーか…余計なことすんなよ、みたいな目で私たち見てたじゃん」
「…」
「でも、頑張って聞きに行ったの。…そしたら私が分かるまで教えてくれました。丁寧にしてもらったので嬉しかったです。ハイ、以上」
「そんなことあったっけ。思い出したいのに全然記憶にない」
「あったの。…もういい?」
「まだダメ」
奏多がうーと言いながらパタパタと足を鳴らして抗議する。
「あの日、俺の家に来たのはそれに関係あるの」
「無いよ」
被せるように返された返事に修吾は眉を上げる。
「ねえ、お前さ、ごまかすの下手なんだからもう諦めなよ。もういいだろ。全部教えて」
「…普通に、行くとこなかったのは本当。修吾だったら余計な詮索しないと思ったのも本当」
「うん」
「それと、…最期に一個くらいはワガママしても許されるかなとは思った」
「ワガママ」
「…好きな人と一緒にいるの」
「…」
「すっっっっっっっごい嫌そうな顔されたけどね。結構傷ついた」
「…ごめん、でも、…仕方ないだろ…」
「うん、それはそう。ハイ、もう本当にいい?」
しきりに彼から逃げようとするその姿に、修吾は少しだけ苛立ちを覚える。
「…聞かれたくないことがあるんだろ」
「…分かってるなら、聞かないで」
「馬鹿じゃないの。俺がお前逃がしたことあったっけ?」
「…」
修吾の怒りが伝わった奏多は体を硬くする。
「お前、俺が普通にお前のこと帰してたら、…どうするつもりだった」
「…その質問、意味無いからやめよ?」
「お前は本当に、往生際が悪いな」
奏多の顔を掴んで振り向かせると、その唇に食らいついた。彼女の抵抗する気力を奪おうと、彼女の息が上がるまで離さない。
「…逃がさないって言ってんだろ。…答えは。」
奏多が顔を背ける。修吾が彼女をきつく抱きしめた。
「…多分、普通に、死んでたよ。…ねえ、聞かなくていいじゃん、こんなこと…」
「…お前それで、俺が傷つくとか考えなかったの?」
「…だから。……だぁからぁ…っ!。………傷つけばいいと思ってたんだよ。みんな。どいつも、こいつも。娘を捨てた父親も、それで娘にあたり散らかす母親も。人の気も知らないでいつも塩対応の教師も。」
奏多が初めてどす黒い怒りの感情を露にした。
その奏多の声音に、彼女の言う通り聞かなければよかったと強く後悔する。
修吾の頭から力が抜けて、彼女の肩にもたれる。
「…そうだった。ごめん」
「でもちゃんと、遺書には学校とか先生のせいじゃないって書いてあったの。迷惑かけないように。私偉くない?」
「…偉くない。ごめん」
「…」
「…」
もー…、と零しながら奏多は自分にしがみついている修吾の腕を外すと、彼の方に向き直った。
「ねえ、もう、そんな顔しないでよ…」
「ごめん」
「分かったから。もう終わったことでしょ。もー、自分で喧嘩売っといて、負けてへこまないでよ」
奏多が縋るような眼で彼女を見つめる修吾の頭を撫でた。
「子供みたい」
修吾は無言で彼女をもう一度抱きしめる。
「私は、ちゃんと、いるから。ここに」
奏多は優しくそう言った。
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