後日談④ 隠された企み

彼らの間での小さなほのぼのとした出来事は、いつも彼女の一言をきっかけに起こる。

「修吾、お願いがあるんだけど…」

「今度はなんですか、奏多さん」

餃子パーティーの時のように改まって口を開く奏多に修吾は苦笑する。

「…怒んないで聞いてよ」

「それは約束できないけど」

「ええ~…」

「別れたいとか言われたら怒る。…いや、怒んないな。泣く」

「…そんなこと言わないって分かってるくせに」

「分かんない。…分からせて?」

奏多の視線に合わせるように修吾が少し身をかがめると、彼女はためらった後で修吾の頬に口づける。

「ええ、そっち?」

「…あとは、お願い聞いてくれたら」

「なに?どうしたの」

彼女の態度から深刻なものではなさそうだと察した修吾は安心して彼女の滑らかな頭を撫でる。

「…隆宏さんと、拓海さんに会いたいんだけど…」

「…それって…」

「…うん、修吾抜きで…」

「…へえ?」

修吾は座椅子の背に体を預けて腕組みすると、とたんに冷酷さを孕んだ目をすがめて奏多を見た。

奏多は雨に打たれた子犬のような顔で修吾を見る。


「なに。…ああいうのが好みなのお前」

「違うってば」

「じゃあ何」

「…修吾には後から分かるから。お願い。変な事じゃないから」

「やだよ」

「…」

修吾の隣、彼女用に買い足したクッションに腰かける奏多がしゅんとする。

「…けち。なんでよ」

「嫌だろ。自分の彼女が他の男と会うなんて」

「修吾の友達じゃん」

「そうだけどー…」

「会ったところで何も無いよ」

「…そうとは言い切れないけど」

「え?」


修吾は言いよどむとチラっと奏多を窺う。

「…前付き合ってた彼女が、あいつらと一緒に遊んでたら拓海のこと好きになったって」

言いにくそうにしながらも結局修吾はそう告げた。

「ええ?!なにそれひっど!あり得なくない?!」

「いや別に、酷いとかはどうでもいいんだけど」

「イヤイヤどうでも良くないでしょ!え、それで?どうしたの?」

「え?普通に別れたよ」

「…?!」

「結局玉砕してたみたいだけど」

修吾のお下がりとか無理でしょ。勃たねえもん。とカラリと笑った拓海を思い出す。

奏多は昔の女の存在よりもその女がしでかした所業に衝撃を受けているようで、気分を害してはいないようなので修吾は安心する。

「…なんか、もうちょっと、悲しそうにするとか、悔しそうにするとか、ないの?」

奏多は困惑顔で首を傾げる。

「えー?んー…別にそんときも何も思わなかったしなぁ…。なんか、あっそう、拓海やっぱモテるなって感じ?」

「えええ、感想それだけ?…私がいなくなったら?」

「だから、お前は違うの。そういうこと、言うのすらやめろよ…」

もう、と修吾が奏多を呼びよせてその腕の中に閉じ込める。


「私が、二人のこと好きになるかもって?」

「…んー…」

「…そんなワケないでしょ。バカなの」

修吾の背に奏多の腕が回される。修吾が腕に力をこめる。

「なんで俺いちゃダメなの」

「…んー…できれば、今はまだ秘密にしたいんだけど…」

修吾の様子に奏多が弱り切った声になる。

「良い話?悪い話?」

「良い話」

「ホント?」

「嘘ついたコト無いじゃん」

修吾は眉を下げて奏多の顔を見る。

「そんなに嫌なら、別にいいよ。ごめん」

奏多が修吾の頬に手を添えた。

その手に自分の手のひらを重ねながら、修吾は目を閉じて少しの間考え込む。

「…一時間だけなら」

「ん?」

「…四人で飲み会セットする。それに、俺、一時間遅れていくようにするよ。それならどう?」

「…!ありがと!…修吾、楽しみにしててね」

奏多が修吾に抱きついた。

修吾は楽しみに?と思いながらも、「俺、こんなに彼女のお願いきいたのも初めてなんだけど」と再び彼女を抱きしめる。

「…ていうか修吾はそもそも、もうちょっとちゃんと付き合ってあげなよ」

「だから今、ちゃんと付き合ってる。やっと、ちゃんとしたい人見つけたから」

「…」

照れて口を閉ざす奏多に、修吾は、ねえ、ご褒美は。と彼女の耳元でささやくと、腕を服の中に差し入れてその背中をツツ…となぞった。


その飲み会に修吾は、店員も声をかけるのをためらうくらいに憮然とした態度で現れた。

「うわあ、ガラわっる」

修吾は拓海を一瞥すると黙って奏多の隣に腰かけ、無言のままタバコに火をつける。

「おい、ちょっと落ち着けよ。彼女がかわいそうだろ」

隆宏の咎めるような言葉に隣を見れば、奏多は誰に謝ればいいか探るように三人を見ていた。

「…用事は終わった?」奏多の頭を撫でながら言う。

「うん、終わった。ありがと」

「…何もなかった?」

「…あのさあ」「お前馬鹿じゃねぇの」「飲み屋でなんかできることある?」呆れかえった三人の三者三様の言葉が重なった。

修吾はぐうと呻く。

「ねえ修吾、カナちゃんのこと好きなのはもうよおおおく分かった。ホントに人が変わったみたいに大事にしてるのもよおおく分かった。でもさあ、もうちょっと、地に足つけな?」

修吾は首の後ろをかきながら小さな声ですまんと言う。

「…ねえ、もう一回言って」

奏多が眉をしかめて修吾を睨みながら言う。

「…ごめん」

「ん、…よし」

「…なんで二回言わすの」

「…ちょっと、一回じゃ飲み込みきれなかったから」

「カナちゃん面白いなそれ。俺も今度使おう」

センスある。隆宏が笑う。拓海も顔を背けながらもクスクスと笑っていることは丸わかりだった。


「で、何だったの結局」

隆宏が追加で頼んでくれたビールを飲みながら気を取り直して修吾が尋ねる。

「まあまあ、焦んなって」

「そうそう、楽しみに待ってなよ」

二人はやたらと楽しそうな顔で奏多を見る。奏多は二人と同じような顔で修吾を見ていた。

「ええ、まだ秘密なの」

「…もうちょっとだけね?ホラ、果報は寝て待てって言うじゃん」

「石の上にも三年よりは短いから安心しろよ」

「ていうか、この様子だとやっぱりプランBにしてよかったよね」

「だな。プランAは絶対無いな」

「やっぱりそうですかー…」

「…お前楽しい?」謎めいた三人の会話に入れない修吾は口をとがらせて奏多を見る。

「うん、めちゃくちゃ楽しい!…だからごめんね、もうちょっとだけ我慢してね」

「まあ、お前が楽しいならいいよ」

修吾は奏多の頬を撫でることで溜飲を下げた。


・・・


その日は平日にもかかわらず、珍しく奏多が泊りに来たいと言っていた。願っても無いことなので修吾は一も二もなく頷いた。

「ただいま」

いつもならばすぐに返されるはずの返事が無い。玄関に靴があるので来てはいるはずだが。

「…奏多?」

寝落ちでもしてるのかと思いながらリビングに続く扉を開ける。

パァン!!!「ぅっわ?!」

突然響いた破裂音に修吾が悲鳴を上げた。

目の前では奏多がニコニコしながら手に何か筒状の物を持っている。…アレなんて言ったっけ、クラッカー?

あまりの驚きに何が起きているのか理解できない。

「修吾、誕生日おめでとう!」

「…へぇ?」

「ぶっ、あっはははは!!修吾、良ーい顔する!」

はーお腹痛い。涙出る。と笑い転げる奏多の向こうに、色とりどりに装飾された自分の部屋が見えた。

「ええー…俺今日誕生日だった…?え?今日何日?」

「ええ、本当に忘れてたの?!やっぱり二人の言った通り」

「二人って…、あ、あのときのあれ、これ?!」

「そうだよ~!」

奏多がじゃじゃーんと言いながら立ち尽くしたままの修吾をリビングの中に促す。

修吾はまるで自分の部屋ではないかのように、部屋を見回しながらとりあえず座椅子に腰かけた。


「サプライズ嫌いな人もいるからさ。どんな風にするのがいいか、相談してたの」

「あっ、そう…」

「でも二人とも、とりあえず私がすることだったらどんなことでも喜ぶと思う、って言っててあんま参考にならなかった」

「ああ、それはそう」修吾の顔にやっと笑みが浮かぶ。

真剣にあれこれ相談する奏多と、その彼女に弱り切る大人二人の様子が目に浮かぶようだった。

そう思うとあの日の自分の態度は確かに大人げなかったと少し後悔した。いやでも、知らなかったんだから仕方ないだろ。とも思いながら。

「プランAとかBとかって何だったの」

「プランAは、隆宏さんと拓海さんにも来てもらおうかと思ってた」

「ええ?!やだよ絶対」

「…二人もそう言ってた。だから、今日は私だけ。みんなでお祝いしたほうが楽しいと思うんだけど」

肩を落とす奏多を見て「じゃあお前の時はみんなでする?」しぶしぶ修吾が言う。

「ホント?!嬉しい!!」

奏多は顔に満面の笑みを浮かべる。


「これ付けるの大変だっただろ」壁から下がるパーティーモールを見上げながら修吾が言う。

「ちょーーーー大変だった。ホントはもう少し上の方につけたかったんだけど。この家何も台になる物無いんだもん」

修吾が手を伸ばせばやすやすと届く位置にあるそれは、彼女からすると精いっぱいの高さらしい。ところどころ高さがガタガタになっているそれは、彼女が背伸びしている姿を思い浮かばせる。

「お前ホント可愛いなー…」傍らに座る奏多を見つめた。

「ねえ、ご飯の準備するからシャワー浴びてきなよ」

「え、飯も作ってくれたの」

そういえばコンロの上に料理途中であるらしいフライパンも置かれていた。

「もちろん。ホラ、行って行って。ビールも冷やしてあるから」

奏多に追い立てられた修吾はリビングを出ようとしたときに、ん?と違和感を持つ。

今日は奏多に言われて早めに帰宅してきたはずだ。実際、時間は七時を少し過ぎたところである。

「…お前、これ、いつ準備したの」

修吾が奏多をジト目で見る。

奏多はいたずらが見つかった子供のような顔になる。

「…大学、午後の一般教養パンキョー、ブッチしちゃった」

修吾は苦笑して奏多の額を軽くはじく。奏多はイテッと大げさに、嬉しそうな声をあげた。


「修吾、はいこれプレゼント」

「…もう十分色々してもらったよ。ありがと」

食事の後に奏多が綺麗に包装された小さな箱を手渡してきたので修吾は苦笑する。

丁寧に包装を解いていくと、中からは手のひらほどの黒いベロアの箱が現れる。

「え、お前、やめろよあんまり高いものとか」

「別に、そんな引くぐらい高いものじゃないよ。自分で言うのもアレだけど」

箱を開けると、深い藍色の革に包まれた、消しゴムより一回り大きいサイズの四角い物が出てくる。真ん中あたりに線が入ったそれに、修吾にはそれが何かすぐにピンときた。

「…zippo?」

「うん」

内箱からそれを取り出すと修吾はしげしげと眺めたあと視線を奏多に向ける。

「何がいいのか全然分かんなくてさ。修吾、物欲ないじゃん」

「…まあ、それはそうだけど」

「そしたら隆宏さんが、zippoが良いんじゃないかって」

「ああ、だからか。お前らしくないと思った」

「拓海さんも、『絶対修吾はタバコ止める気無いからいいと思う』って」

「まあ、…それもそう」

苦い顔をした奏多に修吾も苦い顔で返す。

「隆宏さんが、zippoがいっぱいあるお店教えてくれたの。だからまあ、二人のアイディアなんだけど…」

「でもこれ選んでくれたのはお前だろ」

「うん、修吾に似合うかなと思って。それに革って育つんだって?店員さんが教えてくれた」

「ありがとう。めちゃくちゃ嬉しい。すごいいい色だなこれ。大事にする。俺が死んだら一緒に焼いて」

「そうでしょ、私もその色良いなと思って。…でも、長生きしてよ」

「するよ。お前と一緒にいたいから」

奏多にキスしようと彼女の方に体を向けた修吾の前に、手のひらが差し込まれる。


「だから、ちゃんと二人にもお礼とお詫びして」

「…ええー…?わざわざ?良いよあいつらどうせ気にしてないんだから」

「ダメ。ホントは私からお礼言わなきゃいけないのに、連絡先教えてくれないじゃん。だったら修吾がちゃんと言って。友達を大事にしない人は嫌」

「お前…律儀にも程があるだろ。じゃあ後で送っとくから」

修吾は奏多の手のひらにキスをするとダメ?と言いたげに奏多を上目で見る。

「…いま」

顔を赤くした彼女がそれでもそういうので、修吾は仕方なくスマホを取り出して『この前悪かった、付き合ってくれてありがとう』とちゃちゃっと打ってスマホをポイと投げ出す。

「うわ雑」

「もういい?」

修吾は差し出されていた奏多の腕を引いてその唇を奪う。

「…もう一個欲しいものがあるんだけど」

修吾は至近距離から彼女の目を覗き込む。彼の瞳は蕩けたように揺らいでいる。いつものその瞳にかされた彼女は返事はできずに目を閉じた。

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