後日談③ くだらない一生のお願い

「修吾、餃子好き?」

「…はああ???」

仕事を終えて帰ってきた修吾を出迎えた奏多が初めて『相談したいことがある』と神妙な顔で言うので、何かトラブルでもあったのかと不安に心臓の鼓動を早くした修吾の耳に届いたのは、そんな拍子抜けする一言だった。

修吾は座椅子の上でずっこけそうになる。


「…え?相談って、餃子にまつわる話?」

「うん」

「…ちょっと待て、餃子にまつわる話でそんな神妙になることある?俺、世界中探してもそんな真剣に『餃子』って発音するヤツ見つけられない自信あるんだけど」

「大事な話なの。…好き?嫌い?」

「いや、餃子嫌いなやつってそうそういないだろ…普通に好きだよ」

困惑したまま告げる修吾に、奏多は第一関門は突破したとでも言いたげな顔でゆっくりと頷いた。

「私も好き」

「…うん」

いや…そうだろう。だから、餃子嫌いなやつなんてそうそういないって俺も言っただろう。

修吾が困惑顔を深くして奏多を見つめる。

「それでね、実は私は、餃子を作るのが好きで、得意なの。私の餃子は…そこそこ美味しい自信がある」

「まあ、料理上手な奏多さんなら餃子も美味しく作れるだろうな?」

「…修吾、餃子って何が入ってるか知ってる?」

「ええ?ちょっと待て、話の着地点が見えない」

未だに真剣な顔を崩さない奏多に修吾が問いかける。

「いいから、知ってる?」

「えー…肉だろ。ニラと、ニンニクと、…そんなもんじゃないの?」

「…あと、白菜かキャベツね。私はキャベツ派」

「あ、そう。…で…?」

「修吾、餃子何個食べれる?」

「…えー、餃子だけ食べ続けたこと無いからわかんないけど、せいぜいニ十個とかじゃないの?」

もう問い返すのを諦めた修吾は素直に答えた。

「私は十個も食べれないと思う」

引き続き真顔で頷いた奏多の顔が、さあここからだというような表情になる。


餃子を題材にここまで謎めいた会話ができる奴が他にいるだろうか。修吾はこの展開の滑稽さにだんだんと笑い出したい気持ちになってくる。

─なんなんだよ、その真剣な顔で次に何を言うんだ。

「お肉、ニラ、ニンニク、キャベツ、あとちょっとショウガ。食材を使い切るとしたら、作れる餃子の数は軽く三十を超えるの」

「…そう」

「つまり、二人じゃ食べきれないでしょ?」

「まあ、そうだな。冷凍しとけば?」

「冷凍したら美味しくなくなるじゃん。餃子は包みたてが美味しいの!」

「…適当なところで食材余らせとけば?」

「餃子はたくさん並んでるのが美味しそうなの!」

「…ああ、そう?で?」

修吾は奏多の真剣さにもう堪えることができず破顔すると彼女の頬を撫でながら次の言葉を促す。


「…餃子パーティーしない?」

「パーティーって…」

「…友達呼んでさ?」

やっと奏多がその表情を崩して、修吾の目をのぞき込んで媚びるような顔になった。

その彼女の顔と聞こえた言葉にようやく彼女の言いたいことに合点がいった修吾は「ええ~…」と苦り切った顔になる。

「…ダメ?お願い」

「友達って…あいつらのこと言ってるだろ?…やだよ奏多の料理あいつらに食べさせるの…」

修吾の脳裏にいつも物憂げな雰囲気を纏った男と、子犬のような男の顔が思い浮かぶ。


「お願いぃー…私が餃子食べたいの。でも冷凍は私の信条に反する。ダメ?この家がだめなら私の家でもいいんだけど…」

「…ええー…」

「ダメ?ねえ、一生のお願い」

初めて奏多は両手を組んで懇願する顔で修吾を見た。

「…お前、こんなくだらないことに一生のお願い使うんじゃないよ。まあ、そこまで言うならいいよ。そんなに自信があるならお前の餃子も食べてみたいし」

「ホント?!やったあ!」


わーい餃子だあ~!とやっと正座を崩して大げさにバンザイした奏多は、次に交渉すべきことを思い出したように、今度は先ほどよりも眉をひそめて修吾の顔色を窺うようにする。

「あと…これはホントに、もしよかったらレベルなんだけど、…佐那呼んだらダメかな」

「倉田?ああ、別にいいよ」

「え、そんなあっさり?」

今度は奏多が拍子抜けしたような顔になる。

「お前と一緒にいようと思ったら、いつかは倉田とも話さなきゃいけないだろ。お前の親友なんだから。…まだ話してないの。俺と付き合ってること」

「…うーん」

「いい機会だから呼べば?俺からもちゃんと話すから。あいつらも女子大生と話せるのは楽しいだろうし」

「よかったあ…。ありがと、修吾」

満面の笑みを浮かべる奏多が可愛くて修吾はその頭を撫でる。

「…寛大な彼氏にご褒美は無いの」

「え」

ん?と眉を持ち上げてみれば、奏多は少し悩んだあとに照れた顔できつく目をつぶると、ん、と唇を突き出した。


そしてその餃子パーティーの当日、予定の時間より少し遅れて鳴ったインターホンに修吾がドアを開けると、そこには見知った二人が立っていた。

「よう。わざわざ悪いな」

「どうしたの?急に家で餃子なんて」

言いながら隆宏と拓海が玄関に足を踏み入れる。

「…これ、あの子の靴?」

玄関に置かれた何足かの女物の靴に隆宏が目ざとく目を止めた。

「そう」

短く肯定すると修吾は何か言いたげな二人を置いてリビングに戻っていく。何度も修吾の部屋に来たことがある二人も勝手知ったる顔で修吾に続いてリビングに入る。そして目を見張った。


「…」

「えー、うっそだろ?お前があ?!」

その、彼らしくなく綺麗に整頓されたリビングに何かを察した拓海は絶句して、隆宏は珍しく声を荒げた。

「…修吾、昔、同棲匂わした彼女とあっさりその場で別れてなかった…?」

「…まあ、人間は変わるってことで」

「いやお前、変わりすぎだよ…なに、一緒に住んでんの?もう?」

「…半同棲くらいだけど。っていうか、昔のこと持ち出すのホントやめてくれ。奏多が気にするから。…とりあえず座れよ」

彼女を気に掛ける言葉が二人に追い打ちをかけた。隆宏と拓海は唖然とした顔を見合わせるばかりで動くことができない。

「…どんだけ好きなの…?」

「…ようやく人の心に目覚めたのか」

「…うるせえな。…控え目に言って死ぬほど好きだよ」

修吾が頭を掻き照れながらも言う、その言葉に隆宏と拓海は恐ろしいものでも見たかのような顔を再度見合わせた。その二人に、もういいから。と席に着くように促す。


「…あー、これ。ビール入ってるから冷やしといて」隆宏が手に提げていた袋から三人分のビールを取り出すと残りを修吾に手渡す。

「おう、悪いな。つーかどんだけ飲む気なんだよ」渡された袋の重さに呆れた修吾が苦笑して中を覗くと、六本入りのビールのパッケージが二つとウイスキーと炭酸が入っていた。

「ねえ、既にいい匂いがするんだけど、あのボウル、もしかして餃子の中身?」ようやくテーブルに着いた拓海がキッチンに目線をやりながら聞いた。

「奏多が餃子作りたいんだって。付き合ってやって」

「…」「…」「…ほら、とりあえず飲もうぜ」

絶句する二人を差し置いてビールのプルタブを開けた修吾が促す。二人も狐につままれたようなような顔になりながらもおずおずとビールのふたを開ける。

「はい、乾杯」「…」「…」

何とも言えない空気の中、三人は静かにビールを一口飲む。一口飲んだ後で、修吾はキッチンからいくつかの小皿を持ち出してテーブルに並べた。だし巻き卵と、ピーマンとかつおぶしの和え物と、きゅうりと茗荷の浅漬け。だし巻き卵は奏多が焼きたてじゃないとやだ、と言うのをなんとかなだめすかして作ってもらったのだった。

「先付けです、だって」

「…これ」「あの子が作ったの」

「そう」

「天使か?」「神?」

二人の声が唱和するので修吾は苦笑した。


「美味いよ。食べてやって」

戸惑いながらも二人が箸を持ってそれらをつまむのを修吾は楽し気に見ながら、自分はだし巻き卵を箸で割って口に入れた。…焼きたてじゃなくても美味いじゃないか。

「…え、あの子、何?ホントに女神なの?」

「…例の一件があったからか?料理できるのは」

それぞれに口にしたものが美味しかったらしく二人は口々に聞いた。

「聞いてないけど、まあそうだろうな。…でもあいつ自身はもう克服してるから、お前らも変に気にすんなよ」

「で、その当のカナちゃんはどこに行ってんの?」

「もう一人、あいつの友達が来るって言ったろ。迎えに行ってる」

「ねえあのさ。最初に会った時から気になってたんだけど、修吾は彼女の何がそんなに好きなの。確かに、可愛い部類だとは思うし頭のいい子だし、料理もできるのは分かったけど、―なんていうか…」

「同情心じゃないかって?」

拓海が言いよどんだ先を隆宏が継ぐ。拓海の言にそんな質問が来るだろうと思っていた修吾は、特に気を悪くもせずに答える。

「感性が合うんだよ。同じ本を読んで似たようなところで感動するとか、同じ映画を見て同じところに心を惹かれるとか」

懐かしいかつてのやり取りに目を細めながら修吾は照れもせずに言う。

あと、あいつ、めちゃくちゃ綺麗に泣くんだ。という言葉は宝物のようにそっとしまいこんだ。

そして自嘲するように続ける。「それに、同情心だけで一年半も手出ししないで我慢できねえよ」

「…ええ、一緒に住んでる間も何もしなかったの」

「しなかった。偉いだろ?まじで、どれだけ奥歯がすり減ったことか」

「…良かったな。お前にも、彼女にも。…辛かっただろうけど」

「ああ、…良かったよ」

そこでインターホンがまた鳴った。もうこの家の住人である彼女は、修吾の出迎え無しにも扉を空けるだろうと思い、修吾はそのままビールを一口飲んだ。

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