後日談② 面通し

「奏多…なんか今日…大人っぽいな?」

新宿で仕事終わりの修吾と待ち合わせた奏多は、白い半袖のシャツに濃紺のレースのロングスカートを履いて足元には見慣れないパンプスを合わせていた。いつものTシャツにパンツスタイルの彼女からは想像がつかない。


「だって、変な格好で会うわけにいかないじゃん。修吾の友達なんだったら」

「…化粧してる」

「してるよ」

薄くファンデーションが塗られているようだし、目もいつもよりも大きくなっているように見える。口には落ち着いた薄紅色の口紅が塗られていた。

それを見た修吾は口元はにやけながらも眉はひそめている。


「…何顔、ソレ」

「可愛い。お前、あいつらのためにそんなことする必要なかったのに。あいつらにこんな可愛い奏多見せたくない。っていうか今すぐ家に連れ帰りたい」

「…もう、分かったから。ホラ行こうよ、もう時間すぎてるし」

いつもの様子の修吾に呆れたように、奏多はスマホで地図を見ながら歩き出す。

「地図いいよ、俺行ったことあるから。…スカートほとんど持ってないって言ってたのに」

「親戚の集まりとかある時用にちょっとだけ。ほとんど一張羅だよ。…こういう方が、いいですか」

修吾は歩きながら奏多をもう一度まじまじと見る。

「いや、今日の奏多も可愛いけど…普通なのがいい。そういうのはたまにでいいよ」

「あ、そ?」

修吾は唇を変な形に歪めながら前髪を抑える彼女を笑顔で見つめて、「寒くないか?」と聞く。三月も中旬に差し掛かっていたが、まだ夜は冷え込む。


「カーディガン持ってきたから、大丈夫」

彼女はブランド物のハンドバックを目で示す。また修吾が眉をひそめるのを見て、「これは、お母さんのやつ借りて来たの」

「ああ、そう。…お母さんも元気にしてる?」

「うん。元気だよ」

「うまくいってる?」

「んー、まあまあ」

「そうか。まあ、ゆっくりだな」

「うん、ゆっくりね」


奏多が修吾の家に帰ってきた数日後、修吾はにやけ顔でいつものトークルームに『彼女出来た』とメッセージを投げていた。その後授業に向かっていた修吾が夕方にそのルームを確認すると、未読が十二件にもなっている。

『面通し』『彼女の友達紹介して』『いつ飲む?』『俺いつでも行ける』『俺も予定空ける』『SLAP?』『え、でも、彼女さん来るならちょっとはちゃんとした店のが良いんじゃないの』『あー。メシ屋なんかないか?』『焼き鳥食べたい』『新宿のあそこは?』『予約した、15日(金)19時~』『ということなので修吾よろしく』

『おい、本人不在で決めるな』と慌てて修吾はメッセージを送ったが、『遅いお前が悪い。楽しみにしてるからな』という隆宏に押し切られてしまった。


拓海から大学の様子を聞く目的もあったので奏多に相談すると、「前に言ってた友達?嬉しい、楽しみ」と言うので、その約束の日にこじゃれた焼き鳥屋に向かっていたのだった。イタリアンやフレンチではないのがアラサー男子の悲しいところだ。


先に店に着いていた隆宏たちは修吾たちの到着を今か今かと待ちわびていたらしく、修吾が店の暖簾をくぐるとすぐに目が合った。二人とも顔にいやぁな笑みを浮かべている。その笑みは後ろから続いてきた奏多を見て驚きに変わる。


「…よう」

修吾が曖昧な挨拶を向けるのに被せて「あの、お待たせしてすみません」奏多が修吾の後ろから二人を覗き込むようにして会釈した。

隆宏は目を細めて口の端を大きく引き上げながら、拓海は子犬のような目をキラキラさせながら奏多を見る。

「今晩は。今日は付き合ってくれてありがとう。座って?」

口火を切ったのは隆宏だった。そのハスキー声でキザったらしく、修吾たちのために開けてあったらしき自分の向かいのソファー席を指した。

おしぼりを持ってきてくれた店員に修吾は生ビールを注文すると奏多に「何にする?」と問う。「ええと、ウーロン茶いただけますか」お願いします。と奏多は丁寧に店員に頭を下げた。

店員が下がると、テーブルに修吾には気まずい、二人には楽しいらしき沈黙が満ちる。


「…何だよ」

「いやあ。若い子はいいなあと思って。俺、佐々木拓海と言います。初めまして」

「瀬川隆宏です。こいつのことは何でも知ってるから、何でも聞いて」

「相良奏多と申します。初めまして。今日は遅れてすみませんでした」

ちょうどそこに店員が飲み物を持ってきてくれたので五人で乾杯する。

「遅れたのはどうせ修吾の仕事のせいだろ?お前、彼女に謝らせんじゃねえよ」隆宏がビールを一口飲むと修吾に目をやる。修吾はそんな隆宏の言葉が耳に入らないかのように、奏多を見ながら愉快そうにニヤニヤしている。


「ねえ、ナニ」修吾の視線に気づいた奏多が嫌そうに顔をしかめる。

「いや、ちゃんとしようとしてんなーと思って。普通でいいよ。お前の口から『申します』とか聞くと笑えて来る」

「ねえ、なんでソーユーこと言うの。マジ虚無るんだけど」

そうそれ、と声をあげて笑う修吾に奏多はしまったという顔で赤面する。

「こっちが素だから」修吾は拓海と隆宏に告げる。二人も奏多を見て面白そうに目を細めていた。

「カナちゃん、俺らも堅苦しいの苦手だから、普通にしてて」

「そうそう。ろくでもねえ大人だから。全員」「おい、俺を含めるな」という修吾のツッコミは総スルーされる。

「っていうかキョムルってなに?」

「ええと、テン上げの逆です。うつろ、の虚無で」

「…テンアゲ?」

「ええと、テン上げはテンション上がるってことで、虚無るはテンション下がるってことです」

「へえ、面白いねえ。今度若い子と話すときに使お」

拓海と隆宏との会話で多少は奏多から力が抜けた。


「…ねえねえ、ところでこの子って、あの子でしょ?」拓海がそれは楽しそうに目を細めながら修吾に問う。

「…そう」

「ほらねえ」「ほらなー」

奏多には、拓海と隆宏に彼女が家に来たことを相談したとは伝えていた。それでもその二人のリアクションに、奏多は何がと言いたげに修吾に目を向ける。


あー、と言葉に詰まる修吾を見て隆宏が口を開く。

「君が修吾の家に来たって話聞いた時、俺らは修吾とその子が付き合うんじゃないかって話してた。想像よりも彼女に昇格するまでの期間はずっと長かったけど」

「ええ?」隆宏が奏多に伝えると彼女は目を丸くする。修吾は居心地悪そうに視線を外に向ける。

「その時は必死に否定してたけど、でも、こんな可愛い子と一緒に生活してたら好きになっちゃうよねえ。俺だったら一日で好きだって言っちゃうなあ。…そういえば結局、あの時何があったの?」奏多が笑顔のままほんの一瞬だけ視線を泳がせた。

「ただの親子喧嘩だった。…ところでメシ頼もうぜ。奏多何食べたい?」

修吾の断ち切るような言い方に、付き合いの長い二人は何かを伺うような顔になる。それを奏多に悟らせないように、修吾は奏多にメニューを差し出した。


「あの子、親と喧嘩したくらいで担任の、しかも男の家に転がり込むような子に見えないけど」

奏多がトイレに席を立ったタイミングで拓海が真面目な顔になって言う。

「俺らに言わないのは良いとしても、お前はちゃんと本当のことわかってんのか?」

「…。分かってる。……死のうとしてたんだってよ。SNSのアレで」躊躇しながらも修吾は二人には本当のことを話した。

「…」

想像を超えて剣呑な内容に二人が表情を凍りつかせて息を呑む。「ふざけんなって感じだよな」修吾は食べ終えた焼き鳥の櫛を乱雑に串入れに投げ込んだ。

「…そういうことをしそうな子にも見えなかったけど」拓海が悲し気に言う。

「…父親が出てって、母親がメンタルやられて、奏多に当たってたんだよ」修吾が低く吐き捨てるように言った。

母親が奏多に告げた、重苦しく纏わり付く呪うような言葉までは口に出せなかった。彼女の悲鳴を放置した父親のことも。

思い出すと未だに湧き上がる怒りに修吾の鼻先がびくびくと痙攣する。


「珍しく女のことで怒ってるな。…もう大丈夫なのか」

「母親は病院行って持ち直した。さすがにもう、…大丈夫だろ。あいつもなんかあったら言ってくるだろうし」

「なら良かったね。あの子幸せそうだし」

「本人には言わないでくれよ。親子喧嘩で通すことにしてる。…この話はここまでな」

テーブルを縫うようにこちらに戻ってくる奏多の姿を見つけた修吾が気を取り直すようにビールを煽った。ただいま、という奏多におかえり、と修吾は笑顔で告げる。


「奏多、こいつ、お前のOBになるやつ。適当なヤツだけど話聞けるだけでもマシだろ」修吾は先ほどまでの雰囲気を気取られまいと用意しておいた話題を奏多に振った。

「四月から早大生?へえ、頭いいんだねえ」俺と一緒だ。と拓海はニコニコと言った。

「こいつ、色々あってオープンキャンパスに行けてないから、知っといた方がいいことがあれば教えてやって」修吾が拓海に水を向ける。

「んー?つっても、俺が大学生だったのだいぶ昔だけど。…そうだなぁ。とりあえず、サークルには入った方がいいよ。これは早大に限らずだけど」

「え、そうなんですか?あんまり、入るつもりなかったんですけど」

「大学で仲良くなる友達は大体サークルが多いよ。授業無い間、サークル棟でたむろしてたりするし」

「へえ」

「学部はどこ?何キャンパス?」

「文学部なので戸山です」

「戸山か。じゃあねえ…」と、拓海が色々話すのを、メモとっていいですか、と奏多はスマホを取り出してメモしながら熱心に聞き入っている。


「早稲田の文学部ってめちゃくちゃ頭いいんじゃないか」隆宏が修吾に問う。

「めちゃくちゃ頭いいよ。こいつ最後一年間ホントに頑張って勉強してたから。受かってくれて本当に良かった」

修吾が愛おしそうに奏多を見つめる。そんな修吾の顔を見て隆宏は目を丸くする。

「…惚れてんなー…」呆れたように隆宏が言った。その言葉が耳に届いた奏多の手がびくりと止まる。

「なんだよ。やめろよ。いいだろ別に」

「俺も、修吾がそんな顔で彼女見てんの初めて見たんだけど。え、歴代彼女に謝ってきた方がいいんじゃない?」

「なんでだようるせえな。俺のことはいいの。この話終わり」

「こんな感じじゃないんですか?」今度は奏多が修吾の発言を無視して問い返した。おい、という制止の言葉は残念ながら誰の耳にも届かない。


「別に、冷たいってわけじゃないけど…」

「淡々としてるよな。女との付き合い自体もほとんどなかったし」

「そうだね、なんか、『好き~!』って感じじゃなくて、『好きっポイ』みたいな感じ?」

「へえ…?」奏多が大きく首を傾げる。


「俺、こいつの二代目彼女に何度か、修吾が自分を好きか分からない、みたいな相談されたことあるぜ」

「俺は誕生日忘れられたって泣きつかれたことあるよ。人の彼女を宥める時間ってホント無駄だってそのとき身に染みた」

「ええ?」と奏多がさらに首を傾げる。

「…あれは別に忘れてたんじゃない。覚えてた」せめてもの立場を守ろうと修吾が嫌そうに口を開く。

「え、そーなの?…覚えてたうえで何もしなかったってこと?」

「だって、欲しい物もしたいことも無いって言ったの向こうだぜ」

「…」奏多は宇宙人を見るような目で修吾を見る。


「振られても淡々としてたし、誰かの時は『もう一緒にいなくていいや』みたいな感じで別れてなかったか?」

「ええ?!なにソレひどくない?!」どーゆーこと、と奏多が修吾に険しい顔を向ける。立つ瀬が無くなった修吾は頬杖をついて顔をそむけた。

「昔の話は別にいいだろ。お前のことはちゃんと好きだから大事にするって」

「好きって言った?!」拓海と隆宏は目玉が零れ落ちるんじゃないかというほど目を見開いて顔を見合わせた。

「大事にするだってよ。修吾が」「やっぱり歴代彼女に謝ってきた方がいいよね」「だな」

「なあ、ホントに、もうやめないかこの話…」弱り切った修吾が懇願する。


「…まあ、修吾はこれまでそんな調子だったから。カナちゃんはちゃんと愛されてて良かったね」拓海が言うと、奏多は顔を赤くしながらも小さくはいと微笑んだ。


・・・


「私もそのうち『一緒にいなくていいや』ってふられるんだきっと」

「お前さあ…」

隆宏曰く面通しの飲み会が終わって帰宅した後のこと、風呂上がりの奏多はどこかすねるような口調でそう言った。

「ちょっとこっちおいで?」座椅子から修吾はなだめるように彼女を呼ぶ。

「ヤダ」

にべもなく告げる彼女に、仕方なく修吾が冷蔵庫からペットボトルを取り出した彼女の元に向かう。彼に背を向けようとする彼女を抱きしめた。

「…俺が、そんなことできると思ってんの本当に」

「…」

「分かんない?」

「…」

「俺、誰かと一緒に住みたいと思ったのも、結婚したいと思ったのも、お前が初めてだよ。お前が帰ってきてくれた時どれだけ嬉しかったか、分かんないの」

「…」

「絶対幸せにするから。だからお前も、…いなくならないで。もう。頼むから」

「…私だけ?」

その言葉にピンときた修吾は困ったような顔になって彼女を離すと自分の方に向き直らせる。

「お前、妬いてんの」

「…」今度は奏多が困った顔になる番だった。修吾は苦笑して彼女の目をのぞき込む。

「お前だけ。お前だけが特別で、お前だけが大事。絶対に離したくないと思ったのは、お前だけだよ。…こんなこと言うのも初めて。あいつらが聞いたらひっくり返って驚くと思うけど。…そういう奏多はどうなの」

「…私は、…彼氏は、修吾が最初で最後がいい」

予想を超えたいじらしい言葉に修吾は彼女を抱きしめて「ホント可愛いな、お前」と呟いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る