後日談① 大衆の中の二人

「ねえ、お昼どうする。…っていうか、また野菜室がカオスなんだけど。これいつの大根?天然の切り干し大根になってるよ」

「だからあ、アラサーのひとり暮らしの野菜室に期待すんなって。…どっか食いに行こうぜ」

キョトンと目を丸くした奏多は、あ、そっか、外出ていいのか。と初めて気づいたように言う。


「なんかこの家来ると外出ちゃいけない気分になる」

「まあ前にいたときそうだったもんな」

「え、でも、修吾と一緒にいるとこ見られたらマズくない?」

「あー、車でどっか行くか。有明とかまで出れば大丈夫だろ」

「う゛〜…もし見つかっちゃったらどーすんの。修吾困るじゃん」

「…じゃあ変装でもしてく?」

「…変装?逆に目立つとかやめてよ」

ちょっと待ってな、と修吾は奏多に言い残して寝室に向かう。

クローゼットの中を物色した修吾は部屋着からそれに着替える。最後に姿見で自分の姿を見ると、我ながらよくできた変装なのではないかと笑いたくなる。


「ええーーーーーーーーーーーーー???」

リビングに戻った修吾の姿を見た奏多は盛大に驚きの声を上げた。

いつも無造作に下ろされている前髪はカチューシャでオールバックになり、細い垂れ目の目元には薄い水色のサングラス。エメラルドグリーンを中心にレモンイエローや茶色が配された幾何学模様のオーバーサイズのシャツの中には白いタンクトップを合わせて、足元には普段着ないデニムを合わせていた。

「どうよこれ。いいだろ」修吾は奏多のリアクションに腹を抱えて笑った。

「え…チャラ男じゃん。え、修吾そういう人だったの」

「違えよ。流石にこれなら俺だってわかんないだろ」

「いや…私もこれが誰なのか分かんないレベルなんだけど」

「これ、学生時代にノリで買ったやつ。まだ残ってて良かった」シャツの袖を持ち上げながら言う。


まだポカンと口を開けたままの奏多に「どう、似合う?」「いや…かっこいいけど、似合わない」「…かっこいい?」彼女の傍らにしゃがみ込んで口元を緩めながら首を傾げる。

その姿はやんちゃな若者が路地裏でよからぬことをしているような雰囲気を醸し出した。


「か、…っこいいよ。でも、いつものだらっとしてる方が好き」

「ちゃんと変装できてる?」

「二千パーできてる。写真撮りたい」

「ええ、やだよ」

「お願い」

「やーだー」

「じゃあ一緒に写ろ」

奏多が服の袖を引くので、やれやれと思いながら修吾は奏多に顔を寄せる。奏多は自分の頬に人差し指を当てたポーズをとるとシャッターを切った。

「…ぶはっ」「やば!!!」

二人で写真を確認すると、そこには完全なギャルとチャラ男のカップルが写っていた。


・・・


「奏多さあ」

「ん?」

「…ウチ住まない?」

有明にあるショッピングモールのイタリアンレストランで発せられた修吾の言葉に、パスタをくるくると巻いていた奏多が顔全体で呆れたような顔を作る。

「…あのさあ」奏多は静かにフォークを置く。

「うん」

奏多の目の前にいるチャラ男はダメ?と言いたげに首を傾げる。

「…私たち、付き合って一日目なんだけど。ていうか正確に言うと数時間しか経ってないんだけど」少し声を潜めて奏多が言う。

「…うん」

「私、急にいろいろは…困るって言ったんだけど」赤くなった顔で前髪を抑えながら奏多はうなだれる。

「だって一緒にいたいんだよ。…お前、なんか冷たくない?」

「別に冷たくない」気を取り直した様子で奏多がパスタを口に含んだ。

「えー、ダメ?」

「ダメ、じゃないけど…でもしばらくは無理っしょ。親になんて言うのよ」

「…奏多さんを僕にください?」

「んで、父親に殴られんの?まああいつにはそんな権利無いけど」

奏多は一瞬冷たい顔になる。修吾は驚きに目を見開く。


「…親父さん戻ってきたの?」

「ああ、そういえば言ってなかったね。うん、帰ってきた。夏頃」

「お前…そういう大事なことちゃんと言えよ」

チャラ男は教師の顔になり奏多を睨みつけた。

「…勉強に集中したかったの、…変に連絡取りたくなかった」ごちそうさま、と小さく手を合わせて奏多がフォークを置く。

「女に捨てられたんだって。良く帰って来れたよね。最低じゃない?」

「控えめに言って最低だな。俺が殴るかもしんない」

奏多からのSOSを黙殺したというその男には本気で殺意を覚えていた。

殴るどころか、もっと酷いことをするかもしれない。修吾の目が冷酷さを帯びる。


「もう、私が殴った」

「へえ?!」冷酷な目から一転、修吾の顔が明るく楽し気なものに変わった。

「なんでそんな喜ぶの。人殴ったって言ってんのに」

「殴れ殴れ。そんな最低なやつ。ちゃんと怒れたなら良かったと思って」修吾はアイスコーヒーを一口飲む。

「人生最大級のブチぎれだったよ。お前らの最低な人生に私を巻き込むな、親なら親らしくしてみろ、勉強の邪魔すんなって言ってやった」誇らしげに胸を張って言う彼女にかっこいいなお前、と修吾は笑う。

笑った後で、奏多の髪をすきながら「でも、一緒にいてやりたかった」と苦し気に言った。「…私も一緒にいて欲しかった」修吾の苦い顔が奏多にも伝染った。


「それで?家の中は大丈夫なのか?」

「まあ、表面的にうまくやってるよ。父親も母親も私にビビってる。マジAKB」「AKB?」「あほきえろばか」奏多の口調に修吾は苦笑する。

「だから、家出てもいいんだけど…、イッシーが…」

「…関係性を見つめなおせってやつ?」

「…うん」奏多が困り果てたような顔になる。

「お前ホント真面目だね。ちゃんと嫌な事にも向き合って。あんまり頑張り過ぎんなよ」

「うん」

「じゃあさ、せめて春休みの間はウチにいない?あと、四月からは週末泊まりにおいでよ」

「…まだ諦めてなかったの」奏多が笑う。

「奏多の気持ちは分かったけど、俺の気持ちも分かってほしい」

「私、一緒にいたくないとは言ってない」

「へえ?じゃあ、一緒にいたい?」修吾は目を細めて口の端を上げる。


「…いたいよ、ずっと」

奏多が修吾の目を見つめて微笑みながら言う。

てっきりいつものように照れて返すかと思っていた修吾は、その姿にじわじわと自分の方が照れてしまう。

その瞬間、素早く奏多がテーブルに置いてあったスマホを取り上げる。カシャっというシャッター音。

「おい!」

「いつも修吾ばっかり意地悪するから、仕返し」修吾が知らない間に強かになった少女は愉快そうに二ッと笑った。


少し遅めのランチを終えた二人はぶらぶらとショッピングモールを散策する。

「じゃあ必要なもの買ってくか?何が要る?」

「えー、なんかあるかな?歯ブラシと、強いて言えば洗顔石鹸欲しいかな?パジャマは修吾の服貸してくれる?」

パジャマ。何の気無しに発せられたであろうその言葉に、修吾はドキリとした。足が止まりそうになるのを意識して動かした。

「…服は?」

「家から持ってくるよ」

「せっかくだからちょっと見てこうぜ。お前、スカートとか履かないの?」

あの日とほぼ変わらないジーンズにロンT姿の奏多を修吾はしげしげと見つめる。

「あんまり。ていうか、服自体にあんまり興味ない。服もほとんど持ってない」

「ええ?!年頃の若い子なのに?」

「うわあすごいバイアス」

「なんか好きなものとか趣味とかないの?そういえばアクセサリーつけてるのも見たこと無いな」

「あー、ピアスは開けようかと思ってる。なんか一応」

「へえ。見てく?」ちょうど通りかかったアクセサリーショップを修吾が指す。


「…止めないの?」

「今時ピアスくらい普通だろ。俺も空いてるし」

「ええ?!」

奏多が修吾の耳をじろじろ見るので、ん、と左耳の軟骨を指した。今は穴が塞がらないようシリコンのピアスがはめられている。

「うっわー…チャっラ…え、修吾遊び人?」

「だから、遊んでは無いってば。普通だよ普通。ほら、ピアッサー売ってるよ」

眉をしかめた奏多を修吾は店内に押しやるようにすると、奏多はピアッサーを見に行った。


すかさず店員が話しかけに行くのを見て、修吾はぼんやりとショーケースを眺める。

その中の一つ、水色の石に小さなダイヤらしき石が添えられたピアスに目が留まる。

「何かお探しですか?」

「あー…あのピアス見せてもらえます?」

「もちろんです。こちらはメインの石はブルートパーズで、ダイヤが添えてあります。枠がミル打ちになっているので、小さくても華やかですよ。ブルートパーズも綺麗な空色で素敵ですよね」

講釈を聞き流しながらそれを見ていた修吾の元に、ピアッサーを決めたらしい奏多が戻ってくる。


「へえ、可愛いね」

「似合うかと思って。奏多水色似合いそうだから」

「水色、好きだよ」

「試してみますか?」と試着棒にピアスを通した店員からそれを受け取った奏多が、耳たぶのところにそれを当てて鏡をのぞき込む。

ゆるゆるとその顔に喜色が浮かんでくる。

その表情を確かめて修吾は「じゃあこれと、あとそのピアッサーも一緒に」と店員に告げてジーンズのポケットから財布を取り出そうとする。

「え、いいよ別に、誕生日とかでもないのに」

「でも記念日だろ?」

記念日が一つ増えたことに気づいた奏多が、あ。と声を上げる。

「あげる。もらって?」

彼女の髪をさらりと撫でた修吾に、奏多は照れたような笑顔を向けた。

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