残り ■-4 日 「答えは、はい」

あーでもないこーでもないとスマホを眺めつつ議論した結果、無事に夕飯はトマトベースのピザに決定した。


ピザが届くまでの間仕事用の本を探していた修吾は、几帳面な奏多がDVDも綺麗に並べてくれていたのに気づき、その天の部分を指で撫でながらふと口を開く。


「せっかくだから映画でも見ながらにするか?飯」

「え。ご飯中はダメでしょ」

「お前の家ホント厳しいんだなー。別にいいだろ、たまにだし」

やったぁピザパじゃんと言う奏多の言葉に修吾が相好を崩す。

「DVD、なんか気になるのあった?」

「特にない。先生のおすすめがいい」

んーとパッケージの背を眺める修吾の隣に奏多が並ぶ。


「一番好きなのどれ?」

「どれも良いんだよなぁー。俺、劇場で見てよかったやつしかDVD買わないから」

「へえ、じゃあどれも面白いんだ?ていうか、知らない映画ばっかり」

「…お前、それ遠回しにおじさんだって言ってる?」

「ええ、それは被害妄想でしょ流石に。…これは?」

いくつかのパッケージを取り出して見ていた奏多が差し出したのは、実在する天才数学者をモチーフにその半生を描いた物語だった。

修吾は懐かしそうに眼を細めるとそのパッケージをそっと撫でる。


「ああ、これもいい映画だよ。…でもダメ」

「えなんで」

修吾は少し躊躇した後に照れ笑いを浮かべながらパッケージに目を向けたまま言う。

「…俺、泣くから」

「…泣いてもいいじゃん」

「やだよ。生徒の前で。恥ずかしいだろ」

「…人が泣いてるとこは見たくせに」

「見ようと思って見たわけじゃない」

DVDを元あった場所に戻していた修吾の口がふと、「…How big is the universe」と零した。それはその映画の中で、主人公と意中の女性が心を通わせるシーンのセリフだった。


「…Infinite?」

返された言葉に修吾が目を丸くして奏多を見つめる。問いかけるように修吾を見る奏多と目が合う。

奏多が瞬く。

一回。

二回。


「…見たことあんの?」

見事に自分が告げたセリフの続きを言い当てられた修吾は、かろうじてそう言った。

「いや、無いけど。でも宇宙って無限だから、そうじゃないの」

「…そうか。まあ、そうなんだけど。…まあ、…機会があったら今度見てみたら」

修吾は奏多が言い当てたセリフに続く甘やかな言葉を飲み込んで、手ごろなところにあったDVDを取り出した。

「…こっちは見たことある?」

それは隕石が迫りくる地球を救うため宇宙に飛び立った男たちの活躍を描いた、ひと世代前のSF映画だった。

何度見ても色あせない、不朽の名作だと修吾は思っている。事実、何度見てもラストシーンでは涙がこらえられなくなるのだ。

奏多はそれを受け取るとパッケージを矯めつ眇めつ眺めた。え、古っ。


「見たい。面白いの?」

「面白いって言うか、良い話だよ。英語の練習するのに昔よく見てた」

「へえ、先生真面目」

「…お前ね、人のことなんだと思ってんの」


修吾がテレビにDVDを差し込んだところでちょうどインターホンが鳴った。

修吾は玄関に、奏多はテーブルに向かう。

ピザを受け取った修吾がリビングに戻ると、奏多が取り皿などを用意してくれていた。かいがいしくビールまでも用意されている。

まだ熱々のピザの箱を開くとふわりとトマトとニンニクの香りが立ち上った。うひゃっと奏多が目を輝かせながら修吾と自分用にピザを取り分ける。


『いただきます』

口を揃えて言った後で、奏多がピザを口に運ぶとかすかにカリッといういい音がした。奏多が目を丸くしたのを確認して、修吾はビールのプルタブを開ける。

「サクサク、うんまっ」

「ローマピザって言うんだって。これと違って、生地がもちもちなのはナポリピザ。これ美味いよな」

奏多のリアクションに気をよくした修吾が、以前この店でデリバリーを頼んだ際に同梱されていたチラシに書かれていた知識を披露した。

「へえ、先生物知り。…この家に来て一番勉強になったかも」

「…一言多いんだよ」

ピザを口に含んだ奏多の目が愉快そうに細められたが、すぐにその視線はテレビから流れてきた音に奪われる。


しばらく二人でもくもくとピザを食べながら画面に集中する。

冒頭から地球の危機が明かされるスピーディーな展開に奏多はもちろん、何度もこの映画を見ているはずの修吾も引き込まれていた。

三十分もすると食事はひと段落付き、奏多は時折ぽりぽりと小気味いい音で付け合わせに頼んだピクルスの人参をウサギのように齧るのみになる。


映画は宇宙に関する知識など無い一般人に白羽の矢が立てられたシーンにさしかかっていた。修吾は二缶目のビールをチビチビと飲みながら、時折小さく口を動かしている。


「それ、シャドーイングってやつ?」

「…悪い、癖で。気が散る?」

「ううん、すごいなと思って。どうやってやんの」

「聞こえたことを喋る」

「はい出た、イミフ」

「…だってそうなんだからしょうがないだろ。”um... none of them wanna pay taxes again. Ever.”」

「うざみ極まる」

わざと奏多に聞こえるよう発声した修吾に、奏多は画面から目を離さないまま告げた。

勉強しているとはいえ、修吾ほどは英語が聞き取れない彼女は字幕を見逃すまいと顔をテレビに向けて食い入るように見つめている。


「お前、リスニング得意じゃないもんな」

「日本人だもん。先生これ、全部聞き取れるの」

「…俺一応、進学校の英語教師だからね。今度コツ教えてやろうか」

「今度…うん、今度ね」男たちの健康診断をしているコミカルなシーンに目を細めた奏多は上の空で修吾に返した。


しばらくして映画がラブシーンにさしかかろうとしたとき、その気配を察知した奏多が食卓の片付けを始めた。

修吾もそれに乗っかって、テーブルに乗っているビールの空き缶や取り皿を流し台に下げる。

ピザの箱を潰そうと格闘している奏多に「俺やるよ」と修吾が短く告げると、ちらりとテレビを窺って、『まだだ』と判断したらしき奏多は洗い物をはじめる。

修吾は箱を捨て終わると、少し迷ってから食器棚からグラスを取り出し、のんびりとウイスキーの水割りを作った。

そんなふうにしばらく二人でキッチンで時間をつぶした後に、先に修吾がテーブルに戻った。


「映画見るの久しぶり」

洗い物を終えた奏多は修吾がテーブルについたのを見て追いかけるように戻ってくると、場をとりなすように告げた。

「友達とかと行ったりしないのか?」

「あんまり。二時間とか座ってるのだるいし。お父さんがいた時は、たまに家で金ローとか一緒に見てたけど」


あの人映画好きだからと奏多は自然と続けたが、修吾はそれどころではない。

飲みかけていた水割りにむせそうになった修吾は、グラスを慌ててテーブルに戻すとDVDを一度止めた。


「お前、『お父さんが時』ってなんだ」

「え?」


修吾の剣幕に唖然と奏多は問い返したが、自分の発言を反芻して修吾の問いの意図を掴んだらしく、しまったという表情を突如露にして視線をさまよわせる。


彼女が初めて見せたその動揺に修吾が目を見張る。


奏多は僅かな時間だけで動揺を抑え込むと、修吾の視線から逃げるように止まったままのテレビに目を向けた。


「あー…。そんなこと言ったっけ?」

「…おい」

「あーあれだよ、言い間違い」

「おい。言い逃れはできないぞ」

「あー…。…まあ…そういうことですよ」

「…親父さん、出てったのか」


奏多は黙って座椅子の上で膝を抱える。


「仕事で、とかじゃない…な?」

「んー」

「いつ頃の話だ、それ」

「んー?高校入ってすぐくらいじゃないかなー。あ、そうそうGWあたりだった。…去年のGWマジ、家の中お葬式だったから」

奏多は観念したように口を開く。


修吾はその言葉に内心歯噛みした。その頃はまだ生徒一人一人の性格やパーソナリティ、家庭環境を探っている時期だ。せめてもう少し後だったら、彼女の異変に気づけたかもしれないのに。


父親の印象がほとんどないことにも得心がいった。


「それって、…法的には」修吾は言いにくそうに、膝を抱えた奏多に目を向ける。

「離婚はまだしてないみたい」

「…お前は、大丈夫なのか?困ってることがあるなら言えよ」

「んー」

「…その顔、そのことと関係あるか?」

「…」

奏多は抱えた膝に顎を乗せて止まったままのテレビに視線を向け続けている。


「…ちゃんと答えてくれよ」

「…答えは、はい」

奏多は無表情に焦点の定まらない目で、テレビの一点を刺すように見ながら答えた。


その『入ってくるな』とでも言いたげな、世界を拒絶するような姿にぞく、と修吾の首筋に寒気が走る。


「…ていうか、今日も一個サービスなんだけど。そしてこの話終わりにしたさがある。思春期のジョシコーセーを担任がいぢめる。まじメンブレ」

「…別にいじめてねえ、ゲームなんだろ。…っていうか…、メンブレって何だよ。日本語喋れ」


奏多がわざと場を賑わせようとしていることに気づいた修吾はあえてそれに乗っかった。先ほどの頑なな姿は痛々しくて見ていられなかった。


「メンブレ知らんの?!さっすがアラサー」

「ジョシコーセーがおじさんをいじめるのは良いのかよ」

「いじめてないよ、事実だもん」でしょ、と奏多が揶揄うように修吾に目を向けると、パタパタと足を慣らしながら、早く映画続き見たいよ。と言う。


修吾はリモコンに手を伸ばしかけ、それに触れる直前で『しまった』という顔になり手を止めた。

その映画のラストには、父子が決別するシーンがある。


修吾の動揺を見抜いたらしき奏多は大人びた微笑みを浮かべた。

「いいから、なんとなくもうオチ予想付いてるから、見よ?」


・・・


彼女の宣言通り映画のオチを予期していたらしい奏多は、ラストシーンを見てもまぶし気に目を細めるばかりで一滴の涙をこぼすことは無かった。

そんな彼女の様子に気を取られた修吾も涙を流すことは無く、むしろ彼女の姿が痛々しく見えて映画に没頭することも出来なかった。


そんな彼は商店街をいつものネカフェに向かう道すがら、これまでの奏多とのやり取りを思い出していた。

夏の夜の熱気が修吾にまとわりついてその足取りを重くさせる。煌々と光る飲食店の明かりが目にまぶしい。


父親が出て行った。その娘は知らない誰かに殴られた。

「…いや、わかんねえよ…」

修吾はだんだんと自分が何を見つけようとしているのか分からなくなってきた。


友人と喧嘩、家族と喧嘩、バイト先のトラブル、ウリ、通り魔、ストーカー、いじめ、返り討ち。もうスマホを見なくても諳んじられてしまうそのリストはすべて潰されてしまった。

それでも、危ないことにも巻き込まれていないという。

それは明らかに矛盾しているように思えた。


どこかに嘘があれば簡単なのだが、先ほどの奏多の姿を思うと嘘をつくようにはどうしても思えない。


父親のことを問い詰めた時の、あの、彼女の動揺は本物だった。


正式に離婚が成立していない以上、学校側にそれを連絡する必要はない。

だからあれは、彼女が口を滑らせなければ分かるはずがない事実だった。

そして、「はい」と無感情に答えた時の奏多は…辺りを凍り付かせようとでもいうかのように、まるで冷気が吹きだすのような目をしていた。

そんなに言いたくない事実ならば、いいえと答えてしまえば済む。

それをせずに彼女は、正しく答えた。だからきっと、他の回答も嘘ではないはずだ。


それでも、修吾にはただ一つの仮説も浮かんで来ない。

商店街の雑踏の中にいると、徐々に修吾は体が現実に慣れてきたような感覚になる。

居酒屋から聞こえる喧騒も、呼び込みをする男性の声も、すれ違うカップルの笑い声も、こっちが現実だよと修吾に呼びかけるようだった。


父親が出て行った。その娘は知らない誰かに殴られた。

もうそれが答えでいいんじゃないかと思えてくる。

そうだな。と修吾はその現実からの呼びかけに答えた。

あと三日もすれば、彼女は家に帰れるだろう。それまでの辛抱だと、彼女のことはもう考えないようにした。



△▽△あとがき▽△▽

お読みいただきありがとうございます。引き続きお付き合いいただけると大変うれしいです。

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次は部活でのお話です。修吾のクラスメイトの秘密が明らかになります。

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