残り ■-5 日「本人に言わないでよ」

修吾は腕組みしながら、今日最後になるミニゲームを眺めていた。

上部にある窓から昼の日差しがまぶしく差し込む体育館には、キュキュッというバッシュの音と低いドリブルの音が響いている。


修吾が担任する生徒でもある長谷川陽斗が相手のゴール下でディフェンスに阻まれている。修吾はさあどうする?とでも問いたげに片眉を持ち上げた。


しばらくドリブルしながらタイミングを計っていた長谷川が左肩をやや持ち上げた、それにディフェンスがつられたところで逆サイドから抜き去ってレイアップシュートを打つ。

ボールがネットを通るパスッという軽快な音に、コート外に控える部員からパラパラと拍手が漏れる。

修吾も口の端を上げて手を叩くと、得点を許してしまったチームに目を向ける。


「おいBチーム声出してけよ!やられたまんまか?こっから一本だろ!」彼らの肩が下がっているのを見て修吾が声を上げる。

「…っしゃー!」「一本ー」

生徒たちが思い思いの声を上げた。ドリブルの音が力強くなる。軽快にパスを回しあっという間にフリースローラインの内側まで切り込むと軽快なジャンプシュートが決まった。Aチームが攻勢に回ろうとしたところでタイマーの音が響く。

「集合ー」部員たちが三々五々汗を拭いながら集まってきたところで試合終了を告げる。「四十八対四十二、Aチームの勝ち」『ありあしたー!』


「片付けしろー。高橋、頼むぞ」

修吾が部長である高橋に声をかけたところで、のんびりとしたドリブルの音が修吾に近づいてくる。


「キムにい~、1on1やってこー」「おれもー」

長谷川と、彼と仲の良い四組の成瀬だった。キム兄という呼び名はいつものことだったので特に咎めることはしない。

修吾自身呼ばれ慣れてしまっていたし、今は他の教師もいないので気にすることもない。


三十人を超える部員の中でも特にこの二人は修吾と体格やプレースタイルが似ており、色々と指導するうちにすっかり友達認定されてしまっていた。

生真面目な教員であれば眉をしかめるところだろうが、修吾は今のところ困ってもいないし嫌な気もしていないので放置している。


「悪い、今日はこの後予定あんだよ。また次な」

「えーマジか。じゃ、スリーポイント勝負しよ。三本で。負けたやつがジュース奢る」

そのくらいならばいいかと修吾は長谷川のもとに向かうとおもむろにドリブルカットし、スリーポイントラインに歩を進める。


ちょっと急だよと笑いながら追いかけてくる長谷川と成瀬。

「成瀬お前、また髪明るくした?」

「うん、この色いくない?アッシュ入れてみた」

「似合うよ。でも目立ちすぎて危ない奴に絡まれないようにしろよ?」

「はーい」

「長谷川はまた背伸びた?」

「伸びた。もうすぐキム兄よりデカくなるよ」

二人がそれぞれに正しく高校生活を楽しんで成長している姿に、修吾は笑みを浮かべる。


片付けを終えた他の部員たちが「おつかれしたー」と言って帰って行くので修吾は「気を付けて帰れよー」と声をかけた。

短い間だが開かれた扉から、外のむわっとした熱気が入り込んでくる。


長谷川は彼らが立ち去ったあと、気を取り直すべく数回ドリブルをしたあとでシュートを放つ。パスっという軽快な音。小走りでボールを拾いに行った長谷川が修吾にパスを寄越した。

修吾も身に沁みついたリズムで三度ドリブルをしてシュートする。ボールは綺麗な弧を描いてゴールに入る。


「ええ、俺プレッシャーなんだけど」苦笑いしながらドリブルをした成瀬は、ゴールを見ると真顔に戻りシュートを放った。やや直線的に放たれたボールはゴールリングに弾かれ、うがー、と成瀬が吼える。


「気持ちで負けてんだもん」「それはそう」横に立った長谷川が呆れて言うので修吾も口を揃える。


成瀬からボールを受け取った長谷川はラインに立つと、すっと空中に吸い込まれるようにジャンプしてボールを押し出した。着地した時点でゴールを確信しているかのような長谷川の表情通り、ボールはリングの中に吸い込まれる。


「長谷川、お前フォーム綺麗になったな」パスを受け取りながら修吾が言う。「ジャンプ練してる。やっぱスリー決めないと勝てないから」

「ホントお前ら、偉いな。ちゃんと自分でやること見つけてちゃんとやって。俺この学校の教師になってよかったわ」


修吾は長谷川に触発されたのか先ほどよりも滞空時間が長い伸びやかなシュートを打つ。パスッという音が鳴る。


修吾がボールを回してやると、成瀬はもう小言は零さずドリブルをしてボールの感触を確かめると、手の中でくるくるとボールを繰った。その感触を逃がしたくないかのようにスッと短く床を蹴り放ったボールは綺麗に逆回転をしながらリングを通った。


「…っし」小さくガッツポーズをしながらボールを取って戻ってきた成瀬は、何やらニヤニヤしながら修吾の隣まで戻ると長谷川にパスをした。


「何企んでんだよ」成瀬の表情に長谷川が嫌そうな顔になる。

「いーや別に。ほら、ラスト打てよ。気持ちで負けるなよ?」


成瀬の意趣返しに長谷川は真面目な顔になるとドリブルをして床を蹴り、その時、


「あっ相良!!!」

成瀬がここにいるはずがない少女の名を叫んだ。


その声に修吾は目をひん剥いて体育館の入り口を見る。誰もいない。

修吾は体育館中を見回すが、3人以外に誰の姿も無い。


ボールがゴールのバックボードを盛大に叩く音が響き、大きく跳ね返ったボールが長谷川の足元まで転がる。


「…成瀬お前マジふざけんなよ!!」

「まあまあまあ」

長谷川が顔を赤くしたまま修吾にパスをする。


それを無意識に受け取った修吾は「…えぇ?」と口を開けて二人を交互に見た。

修吾から顔を背ける長谷川と、ニヤニヤしている成瀬。


「…ぇええ?」

「…早く、キム兄の番」

修吾は長谷川がしっしっと促すままにラインに立ってシュートを放つが、ボールは大きくショートしてゴールにかすりもしなかった。


「何してんのキム兄」余裕の表情で成瀬が打ったシュートは綺麗にゴールを通過する。

「イーブンだな」

「いや全然イーブンじゃねーし。お前ボール戻して来いよ」

へいへい、とボールを小脇に抱えた成瀬が体育倉庫に向かう。


取り残された修吾と長谷川に気まずい空気が流れる。


「本人に言わないでよ」

「いや、言えないだろ…色々と…」

お互いに首の後ろをかきながら言った。修吾は万が一にも彼の思い人が自宅にいるなんてことを気取られてはいけない、と心に誓う。

「まあ、…頑張れ?」

修吾の言葉に、長谷川はおうともうんともつかない返事をした。


・・・


その後、体育館の戸締りをした三人は校舎裏にある自動販売機に向かってダラダラと歩いていた。


「そういえばお前ら、ちゃんと勉強もしてんのか?」

「ぼちぼち」

「してるー。俺この後夏期講習。絶対寝れる自信ある」

修吾からの教師らしい質問に、長谷川と成瀬は思い思いに答えた。


「寝んな。塾講師にとっては授業中寝られるの結構ショックなんだよ」

「キム兄、塾講のバイトしてたの?」

「大学の時な」

「っていうかお前は授業受けに行くって言うより彼女に会いに行ってんだろ」

絶賛片思い中であるらしい長谷川は成瀬を睨む。


「え、成瀬彼女出来たの」

「そうなんだよー聞いてキム兄。めっちゃ可愛い子でさあ」

「こいつ、最近その話しかしないの。もうウっザい。早く別れろ」

「そう言ってやるなよ」

長谷川が吐き捨てた言葉に修吾は笑ってしまう。


目当ての自動販売機についた修吾はポケットから取り出したICカードをパネルにかざしながら二人を促した。

『ざーす』

もともといつも通り修吾にたかるつもりだった二人は戸惑いもせずにボタンを押す。修吾はブラックの缶コーヒーを買うと風下に行ってポケットからタバコとポケット灰皿を取り出した。


「キム兄なかなか不良だよね」

「他の先生に見つかったら俺らまで怒られんじゃん」

「今日、他の教師ほとんど出てきてないの確認してある。おごってやったろ。多めに見ろ」

「タバコなんか吸ってっから彼女出来ないんだよ」

成瀬がタバコを非難したいのか、単に惚気たいだけなのか判別がつかない表情で言った。

「別に欲しいと思ってないからいいんだよ」


「うわあ大人の余裕。そういえば、一組の高木、また彼女変えたらしいよ」

成瀬がどちらかというと長谷川に告げるように顔を向けた。

二年の中で一番イケメンだと修吾のクラスでも女子が噂しているのを聞いたことがある。

子犬系と言うらしく、確かに拓海と似た雰囲気がある男子だった。

「また?!はぁー、イケメンは羨ましいな。つーか、そんなに出会いがあることが不思議」

「今度はTik Tokだって。あいつギターやってるから」

「あー…時代はバスケよりギターですかねえ、先生」

長谷川がこちらを覗き見るようにする。それには返さず、修吾は別のことを問うた。


「Tik Tokで知り合って、会って、付き合ったってことか?本当に?」

「…そーだと思うけど。え、俺なんかマズった?やべ、聞かなかったことにしてくんない?」成瀬が顔を引きつらせるので修吾は苦笑して首を振った。


「いや別に、お互いが合意してればマズイいことはないよ。ただ単純にすげーなって思っただけ。元々知らないやつだろ?」

SNSが出会いの場の一つであることは修吾も認識していたし、研修会などでも口酸っぱく言われるのでよく理解している。それでもSNSに興味が無い修吾にとっては遠い世界の話のように感じられた。


「あー、キム兄、若く見えるけどやっぱ発想がおっさんだな。普通にDMとかでやり取りしてて好きになっちゃうこともあんじゃないの」俺は無いけど。と成瀬。

「Twitterとかだと趣味が合う人見つけやすかったりするし。オフ会もあったりとかするらしいよ」俺も無いけど。と長谷川が成瀬に被せた。


「へえー…おっさんには理解できん。…お前らも、やるなとは言わないけど…色々気をつけろよ。危ない奴らもいるんだから」

「大丈夫、闇タグは踏まないように気をつけてるから」

「ああ、そういえばこの前、港区で高校生捕まってたね」


その時見たニュースのヘッドラインの重々しさが蘇って修吾は顔を歪めた。その時の焦りを思い出してか、胸の奥がちくりと痛む。


何ソレ知らない、という成瀬。

「出し子の話だろ」

「お、流石先生、ニュース見てんだ」

「ちょうどその時研修会があって、同じチームの人が教えてくれた。お前らもマジで気をつけてくれよ。人生終わるぞ」

「え」「研修会なんてやってんの?夏休みは?」

二人は目を丸くして、どこかで聞いたようなセリフを吐く。修吾はお前らもか、と天を仰いだ。

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