残り ■-4 日 「買ってくれる?」

二人ですっかりそうめんを平らげた後、修吾は仕事の続きを、奏多は英語の問題集を解いていた。今度は奏多がローテーブルにつき、修吾は奏多が座っていたクッションを膝の上に乗せてその上にパソコンを置いていた。


ふあ…という声に修吾が奏多に目を向けると、彼女はほとんど崩れかけた頬杖に体を預けるようにしている。

「…相良、眠いなら寝室行って昼寝すれば?」

修吾は奏多に苦笑を向ける。昨夜も今朝も自分のせいで十分に眠れなかっただろうから無理からぬことだ。


「うーん…」

修吾がパソコンを脇によけてローテーブルを覗きに行くと、回答欄はミミズが貼ったような文字で埋められている。

それをみて修吾は思わず吹き出した。

「ひっでえ字。お前これ、テストで書いたらバツにするからな。…ほら。俺のせいで寝不足だろ。悪いな」

「ふぁ~い…。…ここで寝たい」大きくあくびと伸びをしたあとに、今度こそ奏多はぺしょんとローテーブルに突っ伏した。

「ダメ。ちゃんとベッド綺麗にしてやっただろ。向こう行け」

「…はあい、適当な時間に起こして。…寝顔覗いたりしないでよ」


「しないよ。…たぶん」

去り際に掛けられた言葉に修吾が意地悪く返すと、奏多がジト目で修吾を見た。

「…嘘だよ。おやすみ」

「先生のくせに嘘つきなのサイテー。…おやすみ」


寝室のドアが閉まる音を確認してから、修吾はどこかバツの悪そうな顔になると換気扇の下でタバコに火をつける。

しばらく何かを探るように空を見つめた後でため息をついて首を振ると、気を取り直してポケットからスマホを取り出して奏多のリストを眺めた。

新たに、通り魔という単語の横にもバツ印をが増えていた。生き残った選択肢は『ウリ、ストーカー、返り討ち』の三択になる。

「…通り魔でも無いって…」タバコをもみ消してローテーブルに戻る。


友人でも家族でも、奏多と接点を持っている人間であれば、何かしらのきっかけで彼女と揉め事になり殴ってしまったということは考えられる。


それが、知らない人間に殴られた?しかもあんなに、顔に酷い痕が残るほどに。

しかも通り魔でもないという。確かに、区内でそれと疑わしい事件が発生したら教師には情報共有のメールが飛ぶはずだった。

それらしきメールは今までに来ていないし、冷静に考えれば、もし通り魔だったとしたら警察や病院に行きたがらないのもおかしい。


…そうだ。なんで奏多は家族や友達に知られたくないと思っている?そして、俺にも話そうとしないのはなぜだ。

。知られたくないことが。


否応なく、修吾の目はリストに生き残っているウリの文字に止まった。修吾はそれを汚らわしいものでも見るような眼で見たが「…別に、珍しいことじゃない…」と自分を納得させるように憎々しげに呟く。


そうだ。珍しいことではない。

いつの時代にも彼女たち女子高生の周りには、援助交際やパパ活と名を変えそれは存在してきた。

肉体関係が無かったとしてもパパ活は未成年者には禁じられている。だがそんな法律など、ザルで水を掬おうとするくらい無意味なものだ。


肉体関係があれば言わずもがな、売春という立派な犯罪である。


修吾は投げ出すようにスマホを置くと床に大の字になる。まだストーカー被害にあっている可能性も、彼女が誰かに何かをしようとして殴られた可能性も残っていた。

けれど、それは自分勝手な希望に過ぎないだろうと考える。最悪の選択肢を想定しておくべきだと思った。


「ウリかよ。…お前が」

らしくないだろ。口の中でつぶやくが、とにかくこれで答えがわかるだろうと思うと少し気が晴れたような気になる。

どこか心の中に抜けないトゲがあるような違和感があったが、それには見ないふりをした。


・・・


「先生。…先生」

呼びかけに修吾が目を開くと、一面の天井だった視界に奏多が入り込んでくる。

「…おはよ?」

「あー…俺寝てたか。…おはよ」

修吾はふわあ、とあくびしながら上体を起こした。見れば長いはずの夏の日もだいぶ赤く染まっている時分だった。

「良く寝てたよ」

「お前…見てたの?人には寝顔見るなって言ったくせに」

「別にそんなじっと見てたわけじゃないし。ていうかリビングの真ん中で寝てたら見るなって言われても無理じゃない?」

「…それはお前が正しい」

あくびが止まらないらしい修吾は目元に潤んだ涙を雑に拭うと頭をぽりぽりとかいた。


「お水いる?」

「いるー」

コップに水を注ぐ音を聞きながら、修吾はまだぼんやりと視線を投げ出している。


「ん」奏多が自分も水を飲みながら修吾にもう一方の手に持っていたグラスを差し出した。サンキュと言って受け取り冷たい水を飲むと、頭の中にかかった寝ぼけた靄が少しは晴れた気がした。奏多はクッションの上に腰を下ろしてスマホを見ている。


スマホ。修吾の目が自分のスマホに向かった。晴れ渡り切らなかった、修吾の頭に残るかすかな靄が疑念を押し出すように修吾に口を開かせた。


「お前…」

「…ん?」

「昨日、知らないやつに殴られたって言ったよな」

「それ、一個目の質問?」

「…前回の復習だよ。これくらいまけろ」

「しょうがないなあ。まあ、言ったね」奏多はスマホを見たまま告げる。


口を開いたことで決心がついた修吾はローテーブルの方に向いていた座椅子を窓辺に座る奏多の方に向きなおさせるとそこに座った。奏多はその様子に、スマホを置いて膝を抱え少し硬い顔で修吾を見つめる。

「…ストーカーにあってる?」

「いいえ」

「お前、誰かに危害を加えようとした?」

「…いいえ」

奏多は珍しく少し逡巡したあとに答えた。


ここまでは予想できていたことだったから大きな落胆はない。

ただ、続けなければいけない言葉が喉にへばりついてなかなか出てきてくれなかった。


「…パパ活か、援交か、売春か、してるのか。しようとしたのか」その声はまるで威圧するように低く潜められていた。

「…質問がいっぱいありすぎて答えられない」

「…わかった、質問の仕方を変える。肉体関係の有無にかかわらず、男と一緒に過ごすことで金を稼ごうとしたか」

奏多はその言葉に沈黙する。先程の穏やかだった静謐さとは真逆に、そこに漂う粒子の一つ一つが重苦しく二人にのしかかる。


「…先生は…」奏多はうっすらと微笑みを浮かべていた。

「先生は、私が売られていたら買ってくれる?」


その言葉に、修吾は自分の背が逆立つような感覚を覚えた。

なんですぐに答えない。なんで問いに問いで返してくる。修吾の中で予感が確信に変わる。


「…買うわけ無いだろ」

「どうして?要らないから?」

その質問に修吾は眉を寄せた。どうして。

頭の中に、売り物である数々の少女たちのうちの一人として奏多が並べられ、値踏みするようにそれを眺める男たちのイメージが湧いた。

修吾はそのおぞましさに鼻にシワを寄せる。どうして買わないのか。決して要らないわけではないと思った。

それでも、買いたくも、誰かに買わせたくもない。それは。


「…お前は売り物じゃないから。売り物であることを肯定したくないから、買わない」

ふうん?と奏多は小さく言うと口に指をあてて何かを考え込む。

奏多からの答えを待つ修吾の口元にだんだんと力がこもってくる。


「答えは、いいえ」

「…え?!」

修吾は目と口を大きく見開いた。そのまましばらく固まっているその姿に奏多が大げさに吹きだす。


「ちょっと、マジで失礼なんだけど。人のことどーゆー目で見てんの?私、そんなにエンやりそうな子に見えるわけ」

失礼すぎる、と腹を抱えて笑う奏多に修吾は未だ困惑した目を向ける。


「いや、だってお前…知らないやつに殴られるような場面、そうそう無いだろ…」

「まあそうだよね」

「そうだよねって…お前、本当に嘘ついてないのか?」

「ついてないよ。約束したもんね」

では今日はここまで。と奏多はにこりと笑う。


「それにしても、さっきの質問の仕方はよかったね」

「え?」修吾の困惑をよそに楽し気に言う奏多に修吾の首が傾ぐ。

「肉体関係の有無にかかわらず、ってやつ。定義がしっかりしてて答えやすかった」

「あぁ、そりゃどうも」

「さて、夜ごはんはどうしようか」と奏多はキッチンに向かう。


修吾はまだ何かを案じているような顔をしていたが、すっかりいつもの調子を取り戻して冷蔵庫を探っている奏多を見て、続きを考えることを諦め口を開く。


「あー、今日くらいなんかデリバリーでも頼むか?時間も遅いし、毎日作るのも大変だろ」

「え、でも私あんまりお金持ってない」

「…お前、遠慮してるのかもしれないけど、大人に向かってそれはちょっと失礼だぞ」

「えぇ、ごめん。そういうつもりは」

「ここにいる間は金の心配はもういいから。子供なんだから大人には甘えとけ。何食いたい?」

「…ピザ!」

やっと子供らしくはしゃぐ奏多に笑顔を向けると修吾はスマホを取り出しデリバリーアプリを立ち上げる。


「夜は炭水化物禁止じゃないの」

「たまにはいいの、デリバリーと言えばピザでしょ。今日はチートデイってことで」

修吾はデリバリーのカテゴリでピザを選ぶ。ワクワクしたような表情で修吾を見つめていた奏多がふと思いついたように告げる。


「そういえば、明日部活って言ってた?」

「うん」

「先生バスケ部でしょ。終わりちょっと早い?」

「まあ、夕方前くらいには終わるけど。よく知ってるな」

「陽斗が夏休み入る前になんかそんなこと言ってたから。じゃあ、先生もちょっと早く帰って来れる?」


奏多の言葉に、修吾は同じクラスの長谷川陽斗と奏多が会話している光景を思い出す。


「ああ、お前長谷川ともよく話してるもんな。まあ、四時頃には帰ってこれるかな?…なんで?」

「ちょっと作りたい料理があるんだけど。一人じゃできないから、先生に手伝ってもらいたくて」

「…自慢じゃないけど俺、料理できないぞ」

「大丈夫。火だけ見ててくれればできる」

「…どういうことだよ、まあいいけど。ピザ何がいい?この店のピザどれも美味いよ」

どれどれ?と奏多が修吾のスマホを覗き込みに来る。黒い髪がサラリと揺れ、昨夜嗅いだばかりのシャンプーの香りがふわりと匂いたった。



△▽△あとがき▽△▽

お読みいただきありがとうございます。引き続きお付き合いいただけると大変うれしいです。

次のお話で、修吾が知らなかった奏多のことが一つ明らかになります。

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