残り ■-1 日「お前、さてはそれ、生徒だろ」

奏多の作った夕飯を食べ終わったあと、修吾は家の目の前を通る私鉄で新宿まで向かう間に隆宏たちとのトークルームを確認する。


隆宏から『暇だからゼロ次会やってる』というメッセージが入っていた。

時刻は八時を少し過ぎた頃だった。この分なら八時半には店につけるだろう。


電車に乗り込むとすぐに終点を告げるアナウンスが流れる。それに導かれるように駅に降り、人ごみをすり抜けて西口方面の小さな出口に向かった。


階段を上ると電気屋のネオンが修吾の目にまぶしい。

雑多な街を行き交う人々に紛れ店に向かう修吾のローファーは、コツコツと小気味よい音を立てた。


五分ほど歩いたところにある雑居ビルの地下に降り扉を開けると、途端にジャズと人々の話し声が修吾を包んだ。

やや照明が落とされた店内は半数ほどが埋まっている。平日のこの時間にこの人の入りならば繁盛している方なのだろうと思われた。

近づいて来た店員に「待ち合わせで」と告げ数歩店内を進むと、最奥の席に見慣れた二人の姿を見つけた。

隆宏が修吾に気づきタバコを挟んだままの手を小さく振る。シンプルな白いTシャツから伸びる腕は夏らしく日焼けしていた。


「久しぶり。早かったな」よほど拓海と盛り上がっていたのか、切れ長の目の端を楽し気に下げながら隆宏が修吾を迎えた。

「元気だった?」「まあ、ぼちぼち」犬を彷彿とさせる容姿の拓海に問われた修吾はため息交じりに答えながら安っぽい木の椅子に腰かけた。

オーダーを取りに来た店員に、修吾は少し迷ってからウイスキーの水割りを注文した。

「あれー、珍しいね、ビールやめたの?」

「もう飲んできた」

「なんだ、飲み会か?人気者だな」

「いや…ちょっといろいろ」

隆宏が独占していた灰皿を引き寄せた修吾はタバコに火をつけ、煙を吐きながら頬杖をついた。


いかにも腹の中に一物ありますとでも言いたげな態度の修吾を、隆宏は目をひそめながら、拓海はキョトンとしながら見やる。

「真面目な話なら酔う前にしてくれよ」

「明日死にます、みたいな顔してるけど」

修吾はむう、とかぐう、とかいう声を喉の奥で漏らした。届けられた薄い色の水割りを受け取り、とりあえず二人のグラスと合わせるとぐいぐいと煽る。

意図せず、修吾の口からは再び深い深いため息が零れた。

「よっぽどだな。気になって酒が進まねえよ」と隆宏が修吾をせっつく。


修吾もを相談するつもりで来たのだが、あの家の外の世界でそれを口にしてしまうと、この問題に確かな輪郭を与えてしまうようで口が重かった。しばらく逡巡していた修吾だが、覚悟を決めたようにタバコの煙を吐き出す勢いに任せて口を開く。


「…家に女が転がり込んできてる」

修吾の言葉に二人が顔を見合わせた。

「…えっと、自慢?」

「顔にできたてのデカいあざがある女じゃ嬉しくないだろ」

「…目つぶればできないことも無くない?」その容姿で、昔から女子にモテまくっている拓海はさらりと冷たいことを吐く。彼なりに周りの目を気にしたのか、何をとは言わなかった。

修吾は勘弁してくれと首を振る。

「拓海相変わらずだなー、そのうち女に刺されるぞ」

「え、俺、ちゃんと後腐れ無いようにしてるから大丈夫だよ」拓海がへらりと笑う。

拓海の場合はそれが事実であることが修吾には心底不思議だった。

どんなに理不尽な別れ方をしても、相手はしばらくの間は拓海に心酔しているし、その後も恨まれることが無い。

本人曰く、付き合ってるときに色々してあげてるからさ、というが、それが自分の友達に乗り換えられても良い理由になるのだろうか。


「…で?それをどうしたいんだ」

「どうもしなくていいんだけど、あざが出来た原因を話そうとしないんだよ」

「えぇめんどくさ。ほっといて早く放りだしなよ。危ない女なんじゃないの」

「…やっぱそうだよなあー…いや、そうなんだけどさぁー…」

水割りのグラスを大きく傾ける修吾に、隆宏はいやらしく口の端を歪ませる。フリーのライターをしている隆宏は修吾とも特に縁が深く、しかもカンが鋭い。

「お前、さてはそれ、生徒だろ」

「……………………」


黙ったまま答えられない修吾に、二人は宝物を見つけた子供のような顔になって途端に色めき立つ。

「まっじ?!JK!うわあいいなあ!!!」

「いつかやらかして欲しいとは思ってたけど、やっと淫行教師になったか。長かったな~」

「待て。手は出してない」

「今のところ、でしょ?うわあいいなあいいなあ、JKと同居なんて完全に企画物じゃん。しかも夏に。控えめに言って最高じゃん」

「拓海、後腐れ無くする方法教えてやれよ。しかし、付き合ったじゃなくて同居って言うのがまたいいな~」

あのなぁ、という修吾の呟きは全く届いていないようで、まるで我が事かというように二人で話に花を咲かせている。修吾は黙ってグラスを干すと次を注文した。

こうなったら学生時代と何も変わらない。あの頃もきわどい本を回し読みしたり、どこのクラスの誰が可愛いだの、誰に告られただの、キャッキャウフフと楽しんでいたものだった。


「可愛いの?」

「…」

「写真は?ねーの?」

「…」勝手に言ってろ、とでも言いたげな修吾は黙って煙草をふかしている。

「え、修吾、困ってるんだったらウチで引き取ってもいいよ?その子」

「アホ言うな。大事な生徒をよりによってお前に預けるわけ無いだろ」

「ちゃーんと、丁寧に、合意取り付けるのに〜…もったいない」

「大事な生徒が大事な彼女に昇格するまでどのくらい耐えられるかな?」

隆宏が片眉を持ち上げて言った。修吾がそんな隆宏を見て目をすがめると彼は愉悦の色を目に浮かべる。


「…で?真面目な話、お前はその子がなんで怪我したかを知りたいってことか?いや、興味を持って知りたいって言うよりも、まあどっちかっつーと保身だな?」

お前のことだから、と隆宏が続ける。隆宏が話の風向きを変えてくれたことに安心して修吾は脱力した。

「そう。危ないことに巻き込まれたわけじゃないって言ってたけど、普通に傷害事件だろ。今んところ警察には行ってないけど、それで大丈夫なのかと思って」

「ちょっと詳しく話してみろよ。拓海もちゃんと聞け?」

隆宏はそういうと、三人分の追加ドリンクを注文した。


・・・


「ふーん、『昨日、事故ではなく誰かに殴られた』『殴った相手は男で、彼氏ではない』、ねえ」

「全然何にもわかってねえな。有益な情報は事故ではない、彼氏ではない、くらいじゃないのか。お前、ちゃんと考えて質問しろよ」

昨日から今日にかけてのことを説明すると、二人は二者二様のリアクションをする。


「まあねえ、JKが殴られたって聞くと衝撃的だけど、普通に考えたら人を殴るシチュエーションなんていっぱいあるんじゃない?友達と喧嘩したとか、家族と喧嘩したとか、バイト先で客ともめたとか?あと、友達の彼女を寝と…は無いのか」

「あとお前みたいに、浮気がバレた、も無いな。考える上での参考情報として聞くけど、その子可愛いのか?」

隆宏に再度問われて修吾は答えに窮してしまう。

「ブスでは無いけどすごい可愛いわけでもない。スタイルも別に普通。まあ、普通に明るくてちょっとギャル味がある感じの。でも見た目は清楚っぽい感じ?」

「つまり全般的に普通ってことか」

「そう」

「あのさあ修吾、お前担任でしょ?なんかもうちょっと特徴っぽいの無いわけ」

修吾はきまりが悪い顔でそう言われてもなあと零す。


「でも普通の女子高生は顔にあざなんて作らないだろ。ってことは、なんかあるんだろうな。…まあ、他に思いつくところで言うと、売春ウリか、あとは通り魔に襲われたとか。ストーカーにつけまわされてるとか」

「えぇ…ウリかよ。勘弁しろよ…」それが事実だった時の諸々の対応を想像して修吾は弱りきった顔になる。


「可能性の一個としてはあるだろ。顔にそれだけ、そんな痕が残るような殴り方するってことは、それだけ付き合いが深くて、恨みやら怒りとかが溜まってるってことなんじゃないか?

だとすると、単なるウリよりも特定のパパがいた方が納得感あるな。関係を終わらせられようとしてゴネたとか、終わらせたくてゴネたとか」

「え、でも、ウリでも、そういう性癖の輩もおるやん」

拓海が畳みかけたその言葉に修吾の首はとうとう力なく下を向いた。

「確かに。ウリなら後腐れないし、好き放題できるもんなあ」


「あとさあ、学校だったらいじめって言うのもあるんじゃない?してる側なのか、されてる側なのかは分かんないけど」

「してる側が殴られることってあるか?」

「復讐」

「ああ、なるほど」

「あと、寝取り寝取られまでは無かったとしても、普通に、友達の彼氏を好きになっちゃったとか、好かれちゃったからその友達に殴られたとかはありそうだよね」


「…お前ら、すごいな。どんだけ妄想力豊かなんだ」

湯水のごとく湧き出てくる可能性に感心しつつも、そのほとんどが自分の安寧を脅かすような内容であることに修吾の眉は下がり切ったままだ。

「その子が誰かに危害を加えようとして返り討ちにあった可能性もあるな」

また一つ危なげな可能性が浮上してしまった。


その後しばらく二人は考え込んでいたが、「まあそんなとこかな?」拓海の言に隆宏も頷く。


「隆宏はどれ推し?」

「俺はストーカー説だなあ。修吾がストーカーから彼女を守ってやって、見事二人が結ばれる美しいラブストーリーが見たい」

「ホントお前はそんなワイルドな見た目してる割に王道好きだね。俺は友達の彼氏に好かれちゃった説がいいけどなあ~。最後には心中しちゃうのとかどうよ」

「お前はメリバが好きすぎるんだよ」

「結ばれもしねえし心中もしねえよ。そういう子じゃないから」

「で、明日から何とかなりそう?危なくないって言うなら下手に詮索しないで放っておくのも手だと思うけど」拓海が修吾に目を向ける。


「そうだな。これだけ案が出てれば、どれか当たるだろ」

「でもなんか変じゃないか?その子、真相を知ってほしいのか、知られたくないのかよく分かんねえな」隆宏が首を傾げた。

「どういうこと?」

「本当に知られたくないならそんなゲームすらする必要無いだろ。修吾がどれだけ問い詰めても、のらくらしてればいいんだから。通報していい、とまで言ったんだったら」

「いやいや、俺のこと見くびって、どーせわかるはずないと思ってんだよあいつは。警察にしてもただの強がりだと思うぜ。だってまだ十六だぞ、しかも進学校の。警察には行きたくないだろ」いつも利いた風な態度の彼女を思い出して修吾はイラついたように言う。


「え、じゃあ、警察に通報することをちらつかせて?それで?」

拓海と隆宏は二人で顔を見合わせるとくくくと愉快そうに笑いあう。「お前、悪いなー」「だから、そういうのはないっつーの」修吾は面倒になりながらも否定する。

「まあでも、好きになっちゃったらわかんなくない?」

「なんねーよ。十六だぞ、ガキだろ」

「付き合ってくれよ、面白いから。俺、修吾がその子と付き合うに生ビール十杯賭けるわ」

「だから、絶対、無いから。お前ら、一回高校教師やってみ?好きとか嫌いとか以前の生物だぞあれは」

いい加減うんざりしながら修吾が言ったが、二人はニヤニヤしながら楽し気に修吾を見つめるだけだった。

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