残り ■-1 日「育ってきた環境が違くても好き嫌いは無くした方がいい」

研修を終えた修吾は、今すぐにでも飲み屋街に足を運びたくなる気持ちをなけなしの理性で止めて自宅のマンションのエントランスを抜けた。


奏多に言われた通り適当に買い揃えた食材と缶ビールが入ったスーパーの袋を下げて自宅の玄関を開けると、修吾は何かに気づいたように顔をあげた。その何かに導かれるようにリビングに歩を進める。


「…いい匂いがする」

ぶかぶかなTシャツを着てキッチンにいる奏多に修吾が驚きをこめてそう告げる。


「ご飯作ってるって言ったじゃん。ていうか、帰ってきたら」と奏多が顔をしかめた。その、若者独特のイントネーション。

彼女の顔のあざは予想通り、昨日よりも広がってしまっている。


「一人暮らし長いと『ただいま』言うの忘れるんだよ…ただいま」

「おかえり」

「お前、飯作れるの」先ほど一度は飲み込んだ言葉を思わず修吾が吐き出した。


「凝ったものは無理だけど。レシピ見ながらなら普通に作れるでしょ。え、馬鹿にし過ぎじゃない?」

「何作ったの」

「鶏肉のソテーとじゃがいも切って焼いたやつ。あと、かろうじて見つけた乾燥ワカメのナムル。…野菜が壊滅的すぎて、栄養バランス的に何作るかすごい困ったんだケド」


奏多は修吾が買ってきた袋を覗いて、やったあキャベツあるじゃん、あ、ブロッコリーも。と喜んだ声を上げる。

そんな彼女をとまどうように見つめる修吾の視線に彼女が気づき、やや険しい顔になる。


「…何?要らないなら食べなくていいけど。ていうかそれなら先に言ってほしかったんだけど」

「…いや、そういうことじゃない」

「じゃあ何ですか」

奏多はフライ返しを片手に掲げ不満げに片方の眉を下げている。


「なんていうか、…ありがとう?」

「…何ソレ。…どういたしまして?」

困惑した顔のまま首を傾げて言う修吾に、奏多も苦笑して同じように首を傾げた。


温かいうちに食べようよ、とテキパキ食事の準備を進める奏多にされて修吾はテーブルに向かう。


どう座るべきか少し迷って、自分はテレビに相対するようにいつもの居場所であるテーブルの長辺にあぐらをかき、座椅子をはす向かいの短辺に押しやった。

「え、椅子、先生使っていいよ」

「…いいから」

料理を運んできた奏多の遠慮した言葉に首を横に振った。さーせんと奏多は椅子に腰かけると手を合わせる。


「いただきます」

「…いただきます」

修吾は手こそ合わせなかったが奏多にならった。しばらく発していなかったその言葉はどうも口馴染みが悪い。


自宅のテーブルの上にきちんとした料理が並んでいるという見慣れない光景に、修吾はとりあえず缶ビールのプルタブを開けて一口飲んだ。奏多はワカメをつまんで「ん、まあまあ」と言っている。


修吾は『じゃがいもを切って焼いたやつ』というピザのように切り分けられた料理を取り皿にとって一口齧った。カリッという食感の後に、香ばしい香りともっちりとしたじゃがいもの甘みが広がる。


「…うま」

言ってから思わずビールを煽った。

「よかった。私、夜炭水化物禁止にしてるから、ソレいっぱい食べて。

ていうか、フツーに酒飲んでるのウケるんだけど」

「…あ」

奏多の指摘に修吾は自分が手にしているビールの缶に目をやった。


ついいつもの癖で何も考えずにビールを買ってきてしまったが、生徒がいる前で飲んでもいいのか?いや、逆に悪い理由があるだろうか。ここ俺の家だけど?と心の中で反問しながら、じゃがいもをもう一口口に含む。


「別に悪いとは言ってないじゃん。なんていうか、珍しい?見慣れない?と思っただけで」

「大人には一日頑張ったご褒美が必要なんだよ」

「あーはいはい、大人様おとなさまは大変ですねえ。じゃあ、明日からもお酒に合いそうなご飯作っとくよ。知らんけど」

「お前、料理できんの?本当に?」

修吾は先ほどとほとんど変わらぬ質問をした。何度聞いても、目の前に並べられた料理を見ても、この少女が料理をしているイメージが湧かなかった。


「家で普通にごはん作ることあるよ」

「へーーーえ、意外だな。通りで慣れてると思った」

「先生は慣れてなさそうだね。あ、もしかして手料理ムリ系な人種?だったらゴメン」

奏多は鶏肉の一番小さいひとかけらをつまんだ後に言った。


「いや、そんなことはない。…あー…俺大学から一人暮らしで外食ばっかだったから。誰かに飯作ってもらうの相当久しぶりなんだわ。つーか、家族以外にちゃんと作ってもらったの初めてかも」

「うわーマジ?彼女の手料理とか食べた事ないの?さびし」

「別に寂しくない」

修吾も鶏肉を口に運んだ。心なしかその口元がほころぶ。


今年二十八になる修吾はいわゆる塩顔というやつで、特別モテるわけではないが特別モテないわけでもない。


この歳になるまでそれなりの恋愛はしてきたが、恋人の手料理が食べたいと思ったことは一度もなかった。

より正しく言えば、そんな発想すら無かった。


どれだけ愛情をこめてくれても所詮は素人が作った料理なのだ、時間と手間暇をかけるのであれば相応の金を払って店で美味しい料理を食べた方がいいと思っていた。

その認識を修吾は内心少しだけ改める。


どうやら栄養バランスまで考えてくれたらしい彼女の温かい料理は、素人料理にしては食べる価値があるもののように思われた。


「先生って嫌いな食べ物とかあるの」

「別に無い。しいて言えばセロリ」

「…育ってきた環境が違くても好き嫌いは無くした方がいいと思う」

「…お前、なんでそんな古い歌知ってんの」

「昔の曲でも今はスマホで聞けるから。おススメに上がってくる。ていうか、先生ヤバいよ。発言がおじさん」

「大人はいろいろ忙しくて音楽なんて聴いてる暇無いんだよ。…お前今日は何してたんだ?」

「んー、顔冷やしながら寝落ちしたり。必要なものAmazonでポチったり。ご飯作ったり」

「顔、まだ痛いか?」

「まあ、フツーに痛い」

「…で、それどうしたんだよ」

「ちょっと色々」

「だからそれはわかってるって…」


できるだけ自然な会話に聞こえるように切り出した修吾の詮索に気づいた奏多はグラスを持って席を立つと、

「質問は『はい』『いいえ』『関係ない、わからない』で答えられる形でお願いしまーす」と言いながら緑茶を汲んで戻ってくる。


その姿にやっぱり警察に突き出すかという思いが一瞬よぎるが、いやいや、指導要録が。いじめだった時の対応が。と踏みとどまった。


「あー…それやったの、」修吾は顎で奏多の頬を指しながら「男だろ?」

「はい」

「お前、付き合ってるやついるんだっけ。彼氏にでもやられた?」

「いーえ。私、彼ピいたコト無いもん残念だけど」

「えっそうなのか?」

「はい」

「あっおい今のは」

「では本日はここまで」

「…」修吾が持ったビールの缶がパキ、と鳴る。その気色ばんだ様子を奏多はニコニコと見つめた。


「それはそうとして。あのさ、明日、部屋の片づけしてもいい?」

「…片付け?…別にいいけど」

修吾は思わぬ提案に不機嫌そうに部屋を見回した。


それなりに床に落ちて―置いてあるものもあるが、それほど気にしたことは無かったのだが。表情で修吾の考えを悟ったらしき奏多が告げる。


「先生、感覚マヒってるからねそれ。この部屋汚くはないけど、整理された部屋のほうが便利だよ。触っちゃいけないところとかあれば言っておいてほしいんだけど」

「なんだよそれ。別に無いよ」

「大丈夫?生徒に見られちゃまずいものとか」


その言葉に修吾は一瞬真顔になると、飲み終わった缶ビールの缶をべきべきと潰しながら言った。

「まあー、別に困りはしないけど、しいて言えば…しいて言えばだけど、寝室のベッドの下の引き出しは…開けない方がいいかもな?」

な、と取り繕ったように笑う修吾に、奏多はだるぅ、と思い切り顔をしかめた。


△▽△あとがき▽△▽

明日からは1話ずつの投稿になります。

次はアラサー男子3人がキャッキャしたり、推理したりするお話です。

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