不穏なモニター
AM8:00 下駄箱
「ねえねえ聞いてよ!あの三年の怖い先輩たちいるじゃん!?交換留学の!その黒髪の優しそうな先輩にさっき呼び止められちゃってさ〜」
「え〜〜!?なになに!何て言われたの!?」
「キミなんか甘いの持ってない?って……」
「え〜!なにそれ、お腹減ってたの?」
「さあ……。そんで、ちょうど朝駅前で配られてたサンプルのクッキーあったから渡しちゃった!もうちょーかっこよかった!これはファンになるの分かる!」
「てか、駅前でクッキーなんか配ってたっけ?」
「えっ、配ってたじゃん!新しくできたお店のやつ!」
AM11:00 中庭
「お前さっき先輩に絡まれてなかった?」
「絡まれた。なんか食いもん持ってんだろ寄越せって。金髪のヤンキーに……」
「新手のカツアゲ?」
「かも……。購買で買ったカップケーキ渡したら見逃してもらえたわ……」
「まじこえーな……。つーかうちの購買ケーキ売ってんだ。俺も後で買い行こ」
「や、今日だけの特売?とかで。初めて見るやつだった」
PM12:00 一年校舎
「あれっ、お兄ちゃんどうしたの!?一年の棟まで来て……!お昼一緒に食べる!?」
「いい。那由多は?」
「トイレじゃない?あ、ほら戻ってきた」
「兄さん!!?一緒にご飯食べる!!??」
「いいって。それより二人とも、ちょっと兄さんと約束してくんない」
「?」
「しばらくの間、絶対一人にならないで。二人一緒に行動して。知らない人についてかないで。家から持ってきたもの以外食べないで。もし廻神といられるなら、基本的にあいつといたほうがいい、あとは……」
「……?」
「……こんな兄ちゃんでごめん。」
PM13:00 地下室
無数に備え付けられた画面をじっと見つめながら、ススピロはぽそぽそとマイクに声を乗せた。
「ノーチェ……次、西校舎四階。茶髪の女子生徒のポケット。藤野が通りすがりになんか入れた………ファロ、そのままそいつの気逸せといて……うん、バレリア、その男子生徒呼び出した子、たぶん藤野の駒。気付かれないように薬回収して」
ガチャ、と音がして、隠し扉から繋がる階段をジルが降りてくる。
グレーの業者服に装いを変えており、目深に被った帽子の下から覗く目には疲労が滲んでいた。
「ススピロ様、西校舎の自販機の点検終わりました。薬物が混入したペットボトルは全て回収済みです」
「お疲れ」
「……はあ。藤野撫子はこの学園を狂乱にでも陥れるつもりでしょうか」
「さあ。今のところ蒔かれた種は全部回収できてると思うけど」
「――流石はプロの仕事だ」
ぱちぱちと軽やかに手の叩かれる音に顔を上げれば、今まで黙って彼らの仕事を傍観していた男がにこやかに腰を上げていた。
帝明学園の理事長――廻神恭太郎である。
「朝からキミらの仕事ぶりを見学していたが、ものすごい洞察力と観察力だ。恐れ入ったよ」
作業服から腕を抜きながら、ジルは色のない目で恭太郎を見た。
「……あなたの大切な生徒たちが危険に晒されているっていうのに、ずいぶん余裕そうですね」
「そんなことはない」
ジルの言葉に、恭太郎はそっと笑みを浮かべる。
心根の読めないその笑顔に、ジルは人知れず警戒心を深める。ススピロは依然として画面に目を向けたまま、耳だけで二人のやり取りを静観した。
「君たちのおかげで学園の〝不純物〟がどんどん浮き彫りになっていく。我が校の生徒の中にこれだけ彼女の手の者がいたとはね」
「……子供を餌にして、我々のような者の手を借りて、聖職者の仕事とはずいぶん崇高ですね」
「毒を飲んでこそ制せるものがあるということさ」
恭太郎は続ける。
「うちの問題教師だった塩谷君も、どういうわけか自主的に我が校を去ってくれたし、なんとも有難い話だ……。彼のお祖父様は著名な数学者でね。私としては良好な関係を築いておきたかったので助かったよ」
やわらかな微笑みを浮かべる恭太郎の左頬に、赤い筋が走る。
ジルが突き出した細身のダガーナイフが、彼の背後の薬品棚に突き刺さっていた。
「この学園の生徒がいくら死んでも構わない。でも、もしまたリオ様を餌にするようなことがあったら――俺が真っ先にアンタを殺しにいく」
光の差さない瞳に見据えられ、恭太郎はゆっくりと両手を上げた。
「……え。なにこの修羅場」
殺伐とした空気の中、隠し扉から降りてきた伊良波がびくりと足を止めた。
静かにナイフを下ろしたジルに、恭太郎は相変わらず読めない笑顔で伊良波に右手を振る。
「やあ伊良波くん。近頃の研究はどうだい」
「……まあ、ぼちぼち……」
「君は我が校の宝なんだ。助力は惜しまないから、必要なものがあればなんでも言ってくれ。それと――彼らにはあまり深入りしないようにね」
「……はい」
素直に頷いた伊良波に、微笑んで頷いた恭太郎は階段へと向かっていく。
「それじゃあ、引き続きよろしく頼むよ」
それだけ言って地下室を出て行った恭太郎に、伊良波は肺の中で留めていた空気をそっと吐き出した。
「………殺し屋なんかよりあの人の方が怖いわ」
「食えない男です」
ナイフの刃先を拭ってスーツの内側へと仕舞ったジルは、どこか気落ちした様子の伊良波に目をやった。
「彼らには忠告できたんですか」
「……まあね」
「深掘りされたでしょう」
「や、あの子ら、基本的に僕の言うことなんでもきくから……。まさか兄貴が殺し屋集団とつるんで危ないことやってるなんて、毛ほども思ってないだろうしね」
乾いた笑いを浮かべる伊良波の前に、ジルはバスケットを差し出した。
「……何。また野菜?」
嫌な顔をする伊良波に
「まあ、開けてごらんなさい」
と促す。
「……あ」
渋々受け取った伊良波がバスケットを開くと、そこにはカラフルなドーナツがぎっしりと詰め込まれていた。
「スペインまでの往復で、あなたが過去に書いた論文を読みました。〝砂糖が人体に与える影響、及び糖代謝動態に及ぼす脳血流改善剤の効果の検証〟」
「……ああ、小学生の時に書いたやつね。いい出来でしょ」
「小難しい理論武装で固めてましたが、言いたかったのは「僕からドーナツを奪うな」でしょう?」
「なっ」
一気に真っ赤になった伊良波を前に、ジルはさくさくと紅茶の準備を始める。
「分かりますよ。普段厄介な方々を相手に世話を焼いてると」
ススピロの前にもすでにたっぷりとチョコレートのかかったドーナツが置かれていた。
「ご両親から制限されていたのか知りませんが、論文中にドーナツが散乱してた。それを見て、なんとなく、帰ったらあなたにドーナツを与えようと思いました」
「……は。なにそれ。なんで」
「特別な理由なんかありませんが」
ただ、とジルは続けた。小さく浮かんだ彼の笑みは、リオたちに向けるのと同じ、世話の焼ける身内に向けるそれだったことに伊良波はなんとなく気付いてしまう。
「失恋の傷を負った友人を慰めるのには、甘すぎるくらいがちょうどいいでしょうから」
「…………はー、まじ、クサすぎて笑けるんですけど」
伊良波はバスケットを抱えたままぐるっとジルに背を向ける。
どうしてかじんわりと熱くなる目元を隠す方法が、これ以外に浮かばなかった。
「……っ君らが殺し屋集団とか、もはや嘘でしょ。ほんとは慈善活動とかしてんじゃないの。そっちのほうがなんかしっくりくるし」
「お望みなら〝らしい〟とこ見せましょうか」
「あ、ダイジョブデス」
「やば」
地下室に珍しい穏やかな雰囲気を破ったのは、そんなススピロの声だった。
ジルと伊良波が近付いてモニターを覗き込めば、明らかに異様な雰囲気を醸し出すモニターが二箇所。さあっと、二人の顔からも血の気が下がる。
「………これは、まずいですね」
「……いやいや、まずいどころじゃないでしょ」
一つのモニターには、明らかに武装した男子生徒たちに囲まれるアルバの姿。
もう一つのモニターには、床に両手をつき、リオに迫る五十嵐の姿があった。
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